イカロスの騎士【帝国篇】

草壁文庫

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第2章

第18話 鬼の使者

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『魔術師テルーは【商人連】の所有する【商品】であり、一国による独占は認めません。【契約】に従わない・または違反した場合は、【商人連】による制裁を受けることとなります』

 白雪はごそごそと動き、飛ぶこと無くプロクスの指先までよじよじ移動する。

『……または、【契約】に違反するという行為を疑われる場合は、【商人連】による【監査】を受けていただきます。【違反行為】とは、契約に指定された以外の行為を【商品】に強要、または【商品】を損壊する行為を意図的に行なった場合などが上げられます。詳しくは【契約書】をご覧下さい。【監査】につきましては、抜き打ちで行ないます』

 一息にそう言うと、白雪は再び頭巾の中にごそごそ戻っていった。

「……とのことだ。貴国に限ってまさかそんなことはないと思うが。まぁ、もうすぐ契約期間も終了だ。この件に関しては娘とも話し合って決めることにする。話はそれからだ」

 プロクスは、顔をこわばらせているバハールを伺いみる。すると、視線に気づいたのかバハールはにこやかに笑みを作った。

「娘には一人【商人】が付いている。連絡してこないところを見ると順調なのだろう?」
「はい、もちろんです。ですから是非とも、このまま我が国に留まっていただければと思っております」

 何卒、とバハールは再び頭を下げた。

 プロクスは返事をせず、ただ頷いて彼に背を向けて歩き出す。

 護衛と共に騎士王が去り、その場にはデゼリアとグラナート公国一行だけが残った。

「バハール様、一体どうされたのですか……?【商人連】の契約は急な変更ができないと重々申し上げたはずです」

 デゼリアは真っ青な顔をしている。長年外交官を務めてきた彼は、人外組織【商人連】の恐ろしさを知っていた。

「緊急事態が起きてね。テルー様には、何としてもグラナート公国に留まっていただかなければならない」

 バハールは騎士王の得体の知れぬ仮面を脳裏に描く。

「あれが、騎士王……年老いたロバ騎士などと聞いていたが、彼自身も【商人】と契約しているとなれば厄介だな。【商人連】の特権に守られている」

 特権とは、絶対的な王の命令であっても、【商人連】は拒否することができる。そして、国の法律で裁くことは不可能。それは帝都だけでなく、全公国でそうなっている。それほど、【商人連】の権力は絶大だ。

「再交渉の必要がある。【商人連】には彼らが欲しいものを差し出すしかない。そして、王にもご協力いただかなければ」
「……陛下に、話をなさるつもりですか」

 クリードが眉間に皺を寄せて呻くように言う。サブルム、とはグラナート国王である。

「将軍が怒ります」

 将軍、とはウルカヌスのこと。サブルムの唯一の息子がウルカヌスだった。父と子の仲は正直言うと悪い。

「仕方があるまい。……陛下は、かつてグラディウス侯と共に戦地を駆けられた間柄だ。だからこそ、グラディウス侯は、娘を我が国に派遣することを許したのだ」

 今ならわかる、とバハールは苦く呟く。

「……バハール、様?」

 何が起きている、とデゼリアはバハールとクリードの顔を交互に見る。

「デゼリア、そなたはまた交渉役になってもらう。……時が来たら、伝える」

 呆然としているデゼリアを置いて、彼は足早に元来た道を戻る。その斜め後ろで、クリードが低く囁く。

「バハール様。どうするつもりだ」
「サブルム様に、直接オリオン王に交渉していただくしかない。そして、グラディウス侯に圧力をかける。ウルカヌス様にも至急連絡を」

(いくら【商人】と契約していようと、プロクス=ハイキングの王家に対する忠誠は絶対。……王の命令ならば、必ず従うだろう)

 バハールは思う。それが、騎士王の誇りを打ち砕き、踏みにじるようなことであっても――。


✧ ✧ ✧ 


 薄くてやわらかい、白いカーテンの向こう。若い貴公子にリードされて、くるくると踊るライラの姿がある。だが、その表情がものすごく硬い。
 彼女は隣国の王子――公爵子息と踊っていた。美麗な青年で、ライラの婚約者候補とも言われていた。

「娘の姿が見えるか、オリオン」
「……あぁ」

 王は答える。小さな、掠れた声。プロクスは、ライラに変わって王の隣にいた。宴もたけなわで、挨拶に来る者もいなくなった。

 プロクスは、王の隣に椅子を置いて座っていた。

「随分大きくなったものだ。利発で、本当に君によく似ている」
「そうかい?うれしいね……」

 ふぅ、とオリオンはため息をついた。

「疲れたかな?人前に出るのは久しぶりだろう。カーテンの中だし、寝ていてもかまわないよ」
「……うん。もう少し、見ておくよ……」

 オリオンは、手を上げて、そのままプロクスの方に差し出した。プロクスはその手を握りしめる。

「君の手は、こんなに大きかったかな」

 プロクスの言葉に、王はふふと笑いを零す。

「あなたは昔も今も、私を子ども扱いだな……ライラの方をよっぽど王として扱っている」
「私の年齢からすれば、さもありなん」

 プロクスは、掌から魔力を流す。オリオンの痛みを取るために。

「……辛い?」

 そう問うたのは、オリオンだ。

「あなたは……ずっと見送ってきただろう?親しい人も」
「そうだね。慣れないね。何度でも痛いよ」
「……私のために、胸を痛めてくれるかい?」
「もちろんだとも」

 オリオンは、残った力でプロクスの手を握りしめる。

「そうか……」

 口が、もご、と動いた。

「すまない……手放して、やれなくて、すまない……」

 呟いて、王は目を閉じる。ややあって、静かに寝息が響いた。

 それでもしばらく、プロクスはその手を握っていた。その言葉の意味を理解して、プロクスはしばしぼうっとしていた。

 プロクスは、本来ならばとっくに【満願】していた。

 魔族との十年戦争を終えた時だ。だが、時の王に請われて【契約】を続行した。王が契約の解除を口にするまで、国の守護者であり続けると。

 彼女はそれを承諾した。そして、ロバを王から頂戴した。あの時から、緩やかな老後が始まっていた。だが、いざとなれば動けるように態勢は整えていた。

(約束の時まで、あと三年。引退して、堂々と海を渡ることができる。何てことはない。たっぷり別れを惜しんで、後悔の無いように行きたい)

 そんなことを考えていると、とことこと足音が聞こえた。カーテンの裾がめくれ、シエルが入ってきた。

「プロクス、お父様といっしょにいてくれてありがとう」

 遠慮がちにやってきたシエルは、プロクスをじっと見上げた。その胸に、燕のブローチが光る。

「ねぇ、プロクス。この燕のブローチ、お姉様にあげたんでしょ?ぼく、とっちゃったから、代わりにお姉様に何かあげてくれる?」
「わかりました。ではシエル王子、お揃いの鳥のブローチにいたしますか?それとも別の鳥にいたしますか?」
「……お揃いがいいな」
 シエルは少しだけ頬を染めて、嬉しそうに言った。
「なら、そうしましょう。王子、こちらに」

 プロクスは立ち上がり、オリオンの手を差し出す。

「交代いたしましょう。父上と手をつないでさしあげて」
「はい、わかりました」

 シエルは嬉しそうに言い、プロクスの座っていた椅子に弾むように腰を落とし、父親の手を握った。

 プロクスはその頭を優しく撫でて、その場を辞した。




 広間に降りるプロクスに、皆の視線が注がれる。
 王に対する忠誠厚く、そしてまた王から最も信頼されている者。王の手、と呼ばれる伝説の老騎士。純白の優美な衣装、ふわりふわりと歩く小柄なその姿から、かつて竜に跨がり、獰猛に妖魔を屠ったという騎士の姿を誰が想像するだろう。

 プロクスに気づいたライラが、ダンスを終えてその両手を差し出す。プロクスは一礼してその手を取ると、広間の中心に進み出る。そして、彼女の腰を抱いてステップを踏む。

 そうして踊り始めると、ライラの表情が次第にやわらかくなった。

「お上手です、ライラ」

 プロクスが呟くと、もちろんだとライラは口に笑みを浮かべ背筋を伸ばす。勝ち気な眼差しにプロクスは微笑んだ。

 それを、ルーカスとリリアックは遠くから眺めていた。

「あれと同じになるのは無理でも、目指せよ、ルーカス。あそこにいるあの人は、お前を後継者に定めたんだからな」

 リリアックに言われ、ルーカスは、思わず視線を下に落とす。だが、突き刺すような強烈な力を感じて、顔をそちらに向ける。
その先にいたのは、神鹿軍団長イオダス・サージェス。

 これだけの人の中に、自然と溶け込む異形の黒真珠の頭部。彼は、じっとそこに佇んで――ひたと踊る二人に――否、プロクスの動きに集中していた。

 同じ師の弟子だが、ルーカスはイオダスをよくは知らない。プロクス自身も、積極的に彼と関わらせようとはしなかった。

(あいつは、恐ろしい奴)

 本能的にそう思う。
 するり……と、首が、蛇のように動く。ルーカスの視線に気づいて、イオダスが顔をこちらに向けた。

 彼に顔は無い。だが、にやり、と笑われた気がした。

『おまえにはわたさない』

 頭に、キンと声が響く。
 それが痛みを伴うものだったので、ルーカスはとっさに耳と目を塞ぐ。

「どうした、ルーカス」

 横からリリアックに声をかけられ、ようやく我に返る。目を開ければ、視界にイオダスの姿はなかった。
 青ざめた顔のルーカスを、リリアックは訝しげに見た。

「……ごめん。なんか、……軍団長と目が合った気がして」

 そう言うと、リリアックは何度か眉間に皺を寄せた。彼はイオダスの姿を探したが、見当たらなかった。

「……気をつけろ、ルーカス。あいつには近づくな。お前にも、お前の師匠にとっても危険な奴だ」

 小声でリリアックは囁く。

「なんで?先生の弟子なのに?」
「弟子だからこそだ。――ほら、前を向いていろ、ルーカス」


 堂々としていろ、とリリアックはルーカスの背中を軽く叩く。
 広間の中央では、音楽が止んで皆が拍手する中、ライラは嬉しそうにプロクスと共に会衆にお辞儀していた。
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