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第2章

第15話 王の誕生日

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 王の誕生日祝いの宴には、多くの貴族が集まった。楽な服装を好むプロクスも正装だった。

 白はいつも通りだが、まとう絹やその装飾はさらに繊細だった。胸にはスズランのブローチを付ける。銀は艶々に、花に見立てた大粒の真珠は輝いていた。

「先生、そのブローチ出したの久しぶりだね。お母さんのだった?」
「そうだよ。かなり古いものだから、修繕に出していたんだ。ルキ、似合っているぞ」

 ルーカスも、慣れぬ正装をしている。今日はグラディウス侯爵家の後継として祝賀会に参列することになっていた。ルーカスの蜜柑色の髪が引き立つ、深い緑の正装は一見地味だが、プロクスと揃いの白のマントをつけると若々しく、華やかに感じられた。

「なんで、ほんと、リリアックが従者なわけ?」

 髪を櫛で整えられながら、ルーカスは不満を言う。

「意外に様になっていると思うよ」

 プロクスはイスに腰掛け、二人の顔を交互に見た。リリアックも正装であり、騎士王付ということで胸元に白い星を散らした木のシンボルを刺繍している。

 リリアックは無精髭を剃り、乱れていた髪をすっきり整えていた。

 昨日まで四十代くらいに間違われるくらいのむさ苦しさだったが、今日は年相応のすっきりした二十代の青年に見えた。整った顔立ちと紺碧の瞳は、女官たちの注目の的だった。

「ねぇ、先生。俺そろそろ半ズボンは嫌なんだけど。次から、長いのが履きたいな」
「騎士王様にそう頼まずとも、私が用意いたしましょう」

 リリアックがにこやかに答える。響かせる美声はわざとだ。ルーカスは気味悪そうに顔を歪めた。

「まぁ、でも、あなたが長ズボンをはくと、足が短いのが強調されると思うのですがね」
「黙れよ」

 ルーカスはリリアックを睨みつけ、プロクスは二人の顔を交互に見た。

「リリちゃん……」
「騎士王様もそんな声を出しても無駄ですからね。まぁ、もらった給金に見合った働きはいたしましょう」

 部屋には侍女がいて、そんなリリアックをうっとりと見つめていた。昨日の酔っ払い姿を知らない娘だった。

「ルミエ!だまされちゃだめだ」

 ルーカスが言うと、侍女はハッとしたように顔を紅くして俯いた。

「……それで、今日の予定を確認いたしましょう。祝賀会は王の体調を重んじて、昼過ぎには終了予定。その後、王妃主催の園遊会が催されます。午後は小一時間ほど顔を出せばよろしいかと。ルーカスは園遊会にて、近衛騎士団を参考に防衛網突破について学んだ後、夜は私と共に訓練を行ないます」

「その勉強ってどんなの?」

「完璧な近衛騎士団の護衛をくぐって、王妃を誘拐する方法について考えます」

「先生、リリアックがすごく物騒なことを言っているよ」

「何をおっしゃるやら。敵として動くことで、防衛の隙について考えるのです」

 リリアックは、取り出した眼鏡をちゃっと掛けた。度なんてもちろん入っていない。昨日と違い、手は白く綺麗な手袋をはめていた。

「すごくとんでもなく不敬極まりないけれど、私と違って斬新な発想だね。だが、やはり不敬だ。ここはあれだ、会場にいる一番強い男を狙いなさい。近衛騎士団長のウェールスで手を打とう」

「神鹿軍団長じゃないの?」

「あれは無理だ。あきらめなさい。ウェールスは園遊会に妻子がいて楽にやれるだろうから、最大限に警戒している祝賀会でやろう」

「先生、誘拐から暗殺に変わってる。奥さんと子ども人質に取る気かよ?」

「おや……私はそんなこと一言も言っていないのに、我が弟子が怖いことを……」

 プロクスは大げさに口を押さえた。その動作にルーカスは少しだけイラッとした。

「先生が一番怖いだろ……」

 リリアックも同感、とにやにやしながら頷いた。

「……閣下、よろしいか?」

 外から声が掛けられる。噂をすれば、ウェールスだ。プロクスが手を上げると、侍女が扉を開けた。甲冑のガチャガチャと動く音と共に、ウェールスが入ってきた。プロクスに一礼し、リリアックに目を向ける。

「リリアック?帰ってきたのか?」

 はい、とぶっきらぼうにリリアックは返事する。目も合わせずに明後日の方向を見る。

「それは良かった。行き倒れているのではないかと心配していたんだぞ。連絡ぐらい寄越せ」

「申し訳ありません」

 返事は短い。ウェールスは苦笑した。

「まぁ、積もる話はまた後でしよう。閣下、姫の元へ」
「わかった。では二人とも、会場でな」

 プロクスは立ち上がり、ウェールスに続いて部屋を出る。
 廊下を出てしばらくすると、ウェールスがプロクスを見た。その表情に、プロクスはすぐに察した。

「ライラに何か?」
「部屋から出てきません。説得をお願いしたい」
「わかった」

 騎士が配置され、厳重に警備された王宮の奥に一行は向かう。

 騎士王とぞろぞろ歩く美しい近衛騎士たちの姿はよく目立つ。すでに貴族や客が次々と到着していて、彼らは遠くから興味深そうに様子を伺っている。

「珍しい、ロバ騎士だ。流石、王が出られるとあって駆けつけられたか」
「ライラ王女のエスコートを務めるらしいぞ」

 貴族たちは、ひそひそと囁き合う。王と同じく、彼らにとっては雲の上の存在である。中には、グラディウス侯を見たことがない者も多い。騎士王など、平和な現在においては幻だとも。

「ロバ騎士さまは独身なのかしら?一時期、銀髪の若い娘を連れていたでしょう?」

 孤独な田舎の騎士もついに色に狂ったと、一時期社交界では大きな噂となった。銀髪の娘はまるで女神のように美しかった。それで、周囲の人間が引き離しをはかったとか――姿を見なくなったのは、彼女の正体が魔女で、封じられてしまったとか、いろいろな噂が立った。

「彼女は遠縁の娘で、世話をしてもらうために養女にしたと聞いたが」

「まぁ、お年を召されておりますものね。もう六十……七十を超えていらっしゃるのでは?けれど、由緒ある武家のグラディウスの名を彼女に継がせるわけではないでしょう?」

「孤児を引き取って後継にするそうだ。近衛で訓練を受けているが、どこの馬の骨とも知れぬ平民の子だ」

 彼はやはり変わり者だ、と皆口を揃えて言う。

 貴族の誰も、騎士たちの頂点に立つのが女だと思っていなかった。
 それほどまでに、プロクス=ハイキングの存在は謎に包まれていたのだった。


✧ ✧ ✧


「ライラ、入るよ」

 部屋の前で戸惑う侍女の脇をすり抜けて、プロクスは部屋に静かに入った。

 繊細な刺繍が施されたクッションが床に落ちている。絨毯には割れたティーカップが落ちていて、紅茶がしみこんでいた。

 ライラは、その前で呆然と座っていた。カップの破片を拾おうとしていたのか、掌には幾つかの欠片がある。

「どうしたんだい?」

 プロクスはライラの前に膝をつくと、彼女の顔をのぞき込んだ。彼女は真っ赤に泣きはらした顔をしていた。プロクスを認めると、ひくっとしゃくり上げる。

「大丈夫だよ。大丈夫だ、ライラ」

 二人きりになると、幼い頃と同じく敬称をつけずに呼んでしまう。
 ライラはそんなプロクスにしか見せない表情を浮かべ、困ったような顔をしてドレスを見下ろす。ライラの黒髪に合わせた気品のある青のドレスに、紅茶が零れてしまっていた。

「こぼしてしまった、あなたが贈ってくれたドレスに」

 プロクスが手を差し出すと、ライラは破片を渡した。プロクスは破片を全て拾い、そこらにあった布に包んだ。

「……そうしたら、わけがわからなくなってしまって……ごめんなさい。侍女にも当たり散らしてしまった。子どもみたいに困らせてしまった……」
「ライラ、まだ時間があるから代わりのドレスを」
「これじゃなきゃ嫌だ」

 ライラは目を煌めかせる。眉間に皺が寄った。

「わかった。すぐに染み抜きをしよう」
「これだけは譲れない。ごめんなさい……あ、ぅ、ブローチ」
「ブローチ?」

 ライラの大きな目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。
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