禍羽根の王 〜序列0位の超級魔法士は、優雅なる潜入調査の日々を楽しむ〜

しののめ すぴこ

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実地訓練−治安維持活動:編入3日目

第一幕:完

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 かつん、かつん……と、広い廊下に響く靴音。

 美しく磨き上げられた床面に、豪奢な外套の裾が翻る。

「お帰りなさいませ」

 平伏する者達が左右に列をなして、この広大な敷地の主人を迎えた。

 黒い髪に黒い瞳。深い色の眼差しで周囲を見据えたその人は、真っ黒な魔法学校の制服に外套を羽織った姿で、悠然と歩いていた。

「ただいま」

 何十人もの頭を下げる侍従達に小さく声を掛けると、先導する側近に促されて最上段の椅子へと腰を掛ける。

 長い脚を軽く組み、緻密な刺繍の入った肘掛に手を添えれば、しずしずと寄ってきた少女が、螺鈿の盆を恭しく捧げた。

「どうぞ」
「有難う」

 出された茶器を受け取った累は、一口つけてから、大きく息を吐いた。

「ふぅ……で、何か用があったかな?」

 実地訓練の場から直接呼び戻されたのだ。急用でもあったかと思ったが、ずらりと控える【止まり木】達を見るからに、そんな雰囲気ではない。

 苦笑気味に、隣のアトリに視線をやると、

「まずはごゆるりと。暫くお忙しくされていたのです、ご休息を楽しんで頂ければ……」

 そう言って累の手から茶器を受け取り、代わってスズメが、温かいタオルを差し出した。
 疲れた手に、じんわりとした温かさが気持ちいい。

「あったかー。……えー、じゃあ特に帰ってくる必要ないじゃん」
「緊急の件はございませんが、細かいものはいくつかございますよ。……用が無いとお戻りになられないから、皆、何かしらの確認事項を持ってくるのです」
「そうきたか。別に僕がいなくても、上手く回ってるならそれでいいんだけど……ありがと、スズメ」

 軽く手を拭ったタオルを返せば、すぐに新しいものに交換したスズメが、今度は自ら累の手を拭い始めた。
 丁寧に、爪の先まで優しく清めていくのを好きにやらせながら、周囲を見渡す。

「あれ。ササゴイは?」

 そう言えば、こんな時いつも真っ先に出迎えてくれた老人の姿が無い。人好きのする温和な笑みは、若い頃から変わらずに、常に累に注がれていたものだが……、

「申し訳ございません。足腰が悪くなり、十分にお仕えすることが出来そうもなく、裏方に下がらせて頂きました」

 アトリの静かな言葉に、軽く目を伏せた。
 それだけの時間が過ぎたという事実に、思いを馳せる。

「…………そうか、もうそんなになるか……」
「本人も酷く落胆しておりました。しかし累様が気に掛けて下さったと伝えれば、望外の喜びでしょう」
「後で顔を見せに行くよ。近くにいるんでしょ?」
「は……ご配慮有難く……」
「——ご足労には及びませんよ、累様。……お久しゅうございます、ササゴイにございます」

 広い室内の奥から、1つの影が現れた。
 控えめに歩み寄ってくる姿に、累の頰が緩む。

 名残惜しそうに累の手を取るスズメを下がらせ、深く座り直した。

「久しぶりだね、元気そうだ」
「累様がお戻りになられるのを、首を長くして待っておりましたら、こんなに老いてしまいましたよ。……お変わりないようで、安心致しました」

 下段で深々と礼をしたササゴイに、頭を上げるように促せば、温和な笑みが累を見つめた。

「ご活躍は、常に耳に入ってきておりましたよ。序列0位の近衛魔法士だなんて、誰が作ったのやらと思っておりましたら……」
「あはは、それね。名乗ったわけじゃないよ、周りが勝手にそう言っただけで……」
「否定しなかったのは意図的でございましょ? 近衛魔法士達も、まさか自分共の配下に置くわけにはいかなかったのでしょうね。——我らが皇帝陛下を」

 ササゴイの言葉に、一層深い笑みを浮かべた累。
 円熟しきった、全てを達観するような表情で、どう見ても自分より老齢の従者を見つめる。

「……もう、ここからの景色は見飽きたんだよ」
「在位500年、御目出度う御座います。今も昔も、そして未来も、変わらぬお姿で我らを導いてくださる、唯一無二の陛下……」

 言祝ぎに返したのは、シニカルな微笑だった。
 何の心情も映していない瞳で、質問を口にする。

「ササゴイも、僕を表舞台に出したいの?」
「いいえ。我ら【止まり木】は、累様を戴く為に存在しておりますが、それは我らの勝手。累様は御心のままに過ごして頂けば良いのでございますよ」
「そう……出る気は無いんだよね。陛下だなんて、キャラじゃ無い……」
「それこそ何のご冗談を……! 累様こそが始祖であり、世界の象徴。民が禍羽根を信仰するのは、それが自分たちを守る翼であると、理解しているからで御座いますのに」

 きっぱりと言い切ったササゴイに、苦笑が漏れる。

「ほんとブレないね……。……カナリアも相変わらずだった」
「アレは累様への気持ちだけで生きている哀れな娘です。今日の一件、聞き及びました。【止まり木】としての不始末、大変申し訳ございません」

 ササゴイに合わせて、その場の全ての【止まり木】達が一斉に叩頭した。
 その壮観なまでの光景を、無感動に一瞥した累は、軽く頬杖をついて視線を落とす。

 ……彼女の情はこわい。

 累の為ならば何を犠牲にすることも厭わない、強い信念があるのだ。そしてそれは、一部の離反者達の思想にも共通する部分がある。……『皇帝陛下』への盲信だ。

 表へ出ることのない累を戴く為に、人同士が争う、不毛。
 戦うべき人類共通の敵であるノクスロスを差し置いて、他で争えるというのは、この世界が安定してきた証拠とも取れるのだろうか。

 しかし、それでも累は表舞台に出るつもりなどないのだ。ただ、呪われたこの身に課せられた役割として、穢れを喰らい続けているだけ。

「……本当に、煩わしいものだね。……普通に生きていた時を忘れてしまいそうだ」

 もう、うれいの時期なんて、とうに過ぎている。
 それでも累は、望む声に応えるために、各地を回り続けるのだ。

 ——その延長線上に、終わりがあると信じて。

「……今回押収した『聖遺物』が届いてございます」

 ひたすらに平身低頭のササゴイの合図で、精緻な飾りの施された台車が運ばれて来た。

 分厚いクッションの上に置かれているのは、何個もの平たい四角の塊。どれも砂に塗れ、全面に大きくヒビが入っている、用途不明の物体だ。

 目の前に届けられたそれらを、目を細めて眺めた累は、手を伸ばして1つを掴んだ。

 ザラリとした砂の感触と共に、ずっしりとした重さを感じる、手のひらサイズの塊。黒い一面は何個ものヒビで覆われ、本来の機能を満たすことがないのは明らかだった。

「如何でしょうか?」

 離反者たちが不正に売買していたガラクタだ。
 そんな価値は無いのだと、教皇庁にも何度も伝えているのだが、陛下の探し物だ、と仰々しく扱う習慣が根付いてしまった。今では遺跡を発掘することで生計を立てる者もいるのだから、余計な口を挟むべきでは無いと静観している。

 1つを確認した累は、ため息を飲み込んで別のものを手に取った。が、それも大きく破損している。更に次を、と見ていくが、どれも期待するものは無さそうだった。

「うん。有難う。やっぱりダメだね……」
「左様でございますか……。無知でお恥ずかしい限りなのですが、これは何を入れていた箱なのでしょうか?」
「……ははは。箱、かぁ……そうだね、入れていたのは、情報、だよ」
「……情報、ですか……?」

 ポカンとしたササゴイの反応に、思わず切ない笑いが漏れてしまう。
 これが、時間の流れという残酷さなのだ。

「……昔はね、皆が持ってたんだ。1人1台ってぐらい……。今じゃただの聖遺物ロストテクノロジーだけどね」

 寂しさを振り切るように、遥か過去の遺物をクッションの上へ戻す。


 ——もう、あれが電波を受信することなんて、無いのだから。


「……では、こちらはまた保管庫へ入れるとしまして……」

 累の沈んだ空気を敏感に察したササゴイが、空気を一新するかのように手を叩いた。

「さぁ、累様はお疲れだ。湯殿の準備を!」

 すぐに、何人もの【止まり木】達が、音も無く支度を始めた。
 その素早い行動に、一歩出遅れた累がパチリと目を瞬かせる。

「え、もうお風呂?」
「久しぶりにご奉仕が出来ると、湯殿番達が張り切っておりますよ」
「いや……ここのお風呂、広過ぎるし落ち着かないんだよね……」
「皇宮の湯殿に文句を言われる方など、累様以外にはおられませんな。ささ、お前達……」

 ササゴイが数歩下がれば、代わりにスズメが、数人の少女を引き連れて累の手を取った。

「ご案内致します」
「……またいっぱい連れて……」
「これでも少ないくらいでございます」

 すました美貌でにこりと笑うスズメに、累も小さく吹き出した。

「今日は水浸しにならないでよね」
「なんだい、スズメ。お前はまだ累様にご迷惑をお掛けしているのか?」
「っ、あ、あんな粗相はもう——……」
「時々だもんねー」
「累様ぁっ…………」

 広い皇宮に、和やかな笑い声が響き渡る。

 禍羽根の王と、その止まり木を成す鳥達の、優しい空間。

 それは500年超、変わらない光景なのである——。


***


 ——最初の災厄ノクスロスが世界を襲ってから、500年超。

 この世界は、魔力の始祖 オリジナルとして、わざわいを殲滅する翼を持った【禍羽根の王】を、皇帝陛下に戴いた。

 科学文明が滅んだ代わりのように生まれ始めた、魔力の因子を複製 レプリカする子供達を希望の礎に、新たな歴史を刻み続けている。

 遥か昔から未来永劫、変わらぬ姿で至高に座する、禍羽根の王を信仰しながら——。





   ■第一幕:完■






================================
キリが良いので、ここで一幕目を終わりとさせて頂きます。
沢山の方に読んで頂けて、非常に有難く思っております。

次回より再び、舞台を紺碧校へと戻して、続きを連載していく予定です。
まったり不定期連載となりますが、宜しければお付き合いいただけますと幸いです。
================================
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感想 19

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みんなの感想(19件)

あまがし
2020.12.18 あまがし

すごく面白かったです!!
次の章も楽しみにしてますね!

解除
Ai
2020.04.30 Ai

やっば…
とても面白かったです!
次の章も楽しみにしています!!!!

解除
Usaman
2020.02.19 Usaman

まさかの正体に興奮がやばいです!読ませていただけて、本当にありがとうございます!応援してます!

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