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実地訓練−治安維持活動:編入3日目

真価③

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「……カナリア……」

 部屋の奥からしずしずと寄ってきたのは、長く艶やかな黒髪を靡かせた、色白の美少女だ。

 扉は、開いていない。
 いつの間に室内に入ってきたのか……。このタイミングの良さを考えると、一部始終を確認していたに違いない。

 黒いレースのスカートを美しく捌いたカナリアは、累の前に平伏すると、魅惑的な赤い唇を開いた。

「先ほどは断りもなく、勝手に御前を失礼してしまい、大変申し訳ございませんでした」

 どこか色のある声でそう告げたカナリアは、ゆっくりと顔を上げた。
 サラリと頰を流れる黒髪。
 真っ青な瞳が累を映し出し、幸福そうに微笑んだ。

「……嫌なタイミングで出てくるね……」

 座り込んだままの累は、極上の笑みを真正面に受け止めながら、正直な感想を口にした。

 今、彼女に構う余裕なんて、無い。

 力なく片目に手をやる累を見つめたカナリアは、歓迎されていない事を聞かされてもなお、その微笑を一切崩すことなく、再び口を開いた。

「お側にお寄りしても?」
「…………ダメって言っても来るんだろう」

 諦め混じりの累の言葉に、笑みを深くしたカナリアは、音もなく立ち上がった。
 そして柔らかい歩調で、触れるほど近くに膝をつくと、白く細い指で、累の頰を優しくなぞった。

 愛おしそうに撫でる、柔らかい指先。

 そこまで許した覚えはない、と非難めいた視線を投げたが、カナリアは嬉しそうに笑っただけだった。

「お可哀想に……。あんな小娘1人のために、無茶をして結界を壊されるからですよ?」

 優しく、労わるような吐息混じりの言葉。

 耳にするりと入って来る声は、ともすれば鵜呑みにしてしまいそうな危うさがある。

「それにしても、流石でございますね。累様の、魔法を構成する必要すらない原始オリジナルの魔力……。あんな矮小な結界で、阻害出来ると思う方がおこがましいのです。師団員の彼ですら、累様の適当な戯言を真に受けて……」

 楽しげに称賛するカナリアを、視線一つで聞き流した累。
 いつまでも構ってられない、とばかりに短い言葉で問いかけた。

「……何を考えている?」
「累様のことを」

 美しく弧を描いた唇が溢すのは、まるで睦言だ。

 一切の間を置かず返ってきた曖昧な言葉に、累は冷たい表情のまま拒絶した。

「そういう事を言ってるんじゃない。何か……企んでいるんだろう?」
「嘘は申しておりませんよ。カナリアは、いつでも累様の為だけに動いております」

 微笑を崩さない少女とのラチのあかない問答に、苛立ちが募る。
 確実に、目的があってこの場にいるのだろう。だが、話す気のないカナリアを問い詰めることは、至難の技だった。

「……本当に厄介だね、お前は。魔力を持たない、唯一の【止まり木】。……こんなに近くに潜まれていたのに、気付かないなんて……」

 累には、無駄な会話で時間を潰せるほど、余裕はなかった。

 穢れの無い空間で力を使ったせいで、飢えた魔力が、捕食を求めて昂り始めていたのだ。
 ニイナが乱暴されて腹が立った、というのもあるが、早くこの場を立ち去る為にも、結界を破る必要があったのだ。仕方ないとはいえ、彼女の相手までは考えていなかった。

 思わずこぼしてしまった独白の溜息にも、カナリアは律儀に反応する。

「視界に入らないと見えない……それは普通の感覚でございますよ、累様。貴方様は、魔力とともに生き過ぎたのでございます。見え過ぎると、見えないものの存在に無頓着になりますから……」
「……魔力のない人々を蔑ろにした覚えはないが」
「勿論、それは存じておりますわ。魔力がない為に、【止まり木】で冷遇されていたカナリアを、気にかけてくださったのは累様ですもの」

 望外の喜びでしたわ、と笑うカナリアが、その唇を累の耳に寄せた。

「……結界を張っていた者の魔力は、如何でしたか? ……それとも、呼び水になってしまいましたでしょうか」

 囁くような熱い吐息が、耳にかかる。

 煩わしさに振り払おうとするも、捕食を求めて蠢き始めた魔力のせいで、上手く力が入らない。
 しなだれかかってくる彼女の細い体が、累を抱きしめるようにその腕を回した。

「抵抗もできない累様って……とっても魅力的……」

 耳にぬるりとした熱を感じた、瞬間。

「…………っ!?」

 ギリッ、と。

 鋭い痛みが走った。

 反射的に動いた体が、カナリアを突き飛ばす。と同時に、カナリアも逃れるように飛び退っていた。
 一体なぜ、と痛む耳を押さえて見つめた彼女の唇には、赤い液体が滲んでいた。

 ……齧られたのだ。

 突然のことに驚きながらも、呪われた魔力が傷を再生させていくのを感じる。痛みだけを残して、その身体は常に完全に保たれてしまうのだ。……累の意思を置き去りに。

 普段であれば気にも留めない程度のことだ。癒えた傷に、痛みの名残を探すだけ。

 しかし今は、必要な代償が、飢えていた。

 餌を求める魔力は、累の身体から溢れるようにその輝きを放つと、手近に倒れ伏した離反者を包み込んだ。

 今更、人の魔力を喰うことに躊躇いはない。
 意識のない人間に、とは思えど、このまま魔力が暴走する事態は絶対に避けねばならないのだ。気分の良くない行為に眉を顰めつつも、以降の行動も考えて、限界まで男の魔力を頂戴する。

 生暖かい血液だけを残して、完全に消えた傷と、ほんの僅かな充足感……。こんなものじゃ足りない、と言わんばかりの魔力が、目の奥を赤く染めているのを自覚するも、自制できるだけの余裕が生まれた。

「……いつ見ても、お綺麗な緋色……」

 ぽうっと呟いたカナリアに非難の目を向ける。
 【止まり木】である彼女であれば、累を傷つける無意味さを知っているだろうに、わざわざどうして……と思い、

 …………今度はその真意に愕然とした。

 唇についた累の血液を舐めるように、舌をペロリと出したカナリア。
 凄艶に微笑んだ彼女は、優雅な仕草で片手を持ち上げると、倒れたままの離反者を示す。

 累が捕食したことで、暫くは昏倒したままであろう男。

 その体から…………黒い霧が立ち上っていた。

 黒々と育っていくノクスロスに、累の中の魔力が歓喜の悲鳴をあげている。

「カナリアには魔力がなく、累様にお捧げすることは出来ませんが……」

 遠くで、ニイナの悲鳴が聞こえた気がした。

「でも、カナリアこそが、累様を満たして差し上げます」


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