29 / 62
魔法庁附属、魔法学校・紺碧校。本科。
飢え
しおりを挟む「きゃぁあっ!」
「スズメ!?」
「スズメ様っ!!」
スズメの悲鳴と共に、ばっしゃーんっ、という擬音が相応しいほどの、盛大な水飛沫が上がった。
濡れた床に滑ったスズメが、コントのようにバスタブへダイブしたのだ。
「ちょ、大丈夫!?」
「スズメ様、お召し物が……っ!」
足元が滑り、反射的にバスタブの縁に手を掛けようとしたものの、運悪く累の腕があったため、避けようと遠くに手を付いて、事態が悪化したようだ。崩した体勢を戻しきれず、歩く勢いのままに頭から突っ込んだスズメ。累の両足を跨ぐように湯に浸かりながら、呆然と瞬きを繰り返している。
スズメの細い両手は、自然の成り行きで累の胸板に置かれていた。思わず抱きしめる形で助けようと腕を上げた累だったが、すんでのところで思い留まることに成功する。が、宙に浮いたまま行き場をなくした両手が、非常に情けない。
危ない、抱きしめるところだった、と別の意味で動揺しつつ、ハンズアップ状態のままスズメの顔色を伺う。
先程までの、2人のことを冷淡に観察していた、有能然とした侍従のスズメではなく、年相応に幼い、無防備な表情で固まっているスズメ。柔らかい金髪が濡れ、ポタポタとお湯が滴る様は、何とも言えない悲壮感に満ちていた。白く、薄い素材のブラウスは、濡れたことでピタリと肌に吸い付き、身体の曲線も露わで目のやり場に困る。
自分の裸は見せ慣れていても、逆の状況なんて有り得なかったからなぁ、と呑気な感想が頭を過ぎったところで、スズメの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まった。
「……っ~~~~!!」
頰に手を当て、恥ずかしさを隠すようにバスタブの端まで逃げるスズメ。
だが、服が濡れて上手く動けないのか、もたもたとお湯の中をもがきながら、累から距離を取っている。
「も、申し訳ありません……っ!!」
羞恥で死んでしまいたい、と言わんばかりに顔を真っ赤にしながら平謝りするスズメ。
久しぶりに盛大にやらかしたスズメの姿は、普段とのギャップが大きすぎて、笑いがこみ上げてくる。
「ふ、ふふっ、あはははははっ! いいね、スズメ。ナイスフォロー!」
親指を立ててグッジョブを送る累に、キッと涙目で睨むスズメ。
「何がですかっ!」
「ほら、見てごらんクイナ。君の大先輩だって、こんな派手にやらかしちゃうんだから、いちいち重く受け止めなくていいんだよ?」
「ちょっと累様っ! 私を使って慰めるなんてっ!」
「あははははっ、いや、久しぶりにやってくれたねー、スズメ。昔はしょっちゅう、あれこれ引っ繰り返してたのを思い出したよー」
「やめてくださいっ! 最近はしてなかったじゃありませんかっ!」
「後輩の為に身体を張って教えてくれたんだよね、わかります」
「違いますっっ!! もうっ、せっかく私が……っ!」
「あははははははははは!」
必死に弁明しようとしているが、びしょ濡れの姿では全く説得力がない。
普段とは形成逆転で、何を言っても累に揶揄われる状況に、とうとうスズメは立ち上がってバスタブの外に出た。
「着替えてまいりますっ!」
透けている自覚はあるのか、ぐっしょり濡れた服の上を、腕で隠すように庇いながら、足早に逃げていくスズメ。
その後ろ姿に向けて、ごゆっくりーと軽口を投げてから、気分良くお湯の中で伸びをする。
「あー面白かったー。ね?」
「えっ……いえ、その……」
「あ、クイナもだいぶ濡れちゃったね。一緒に着替えておいで?」
「いえ、私は後で……累様をお一人にすることは……」
「そうなの? 別に気にしないけど、そういう決まりがあるなら好きにしてよ」
【止まり木】においてのルールがあるなら、累が口を出すべきではない。せっかくスズメが身体を張って、クイナの件を有耶無耶にしてくれたのだから、更にクイナが困るような発言は避けたい。
すっかり緊張の解れたらしいクイナは、自然な笑みを浮かべると、では、と再びタオルをお湯に浸けた。
「こそばければ、我慢なさらずおっしゃってくださいね」
「はいはーい」
累と対することに慣れたのか、今度はしっかりと力が入っていて気持ちいい。
有難うねーと心の中で呟きながら、されるがままに脱力した。
クイナの動かすタオルの端が、ぱしゃり、ぱしゃり、と水面に何個もの波紋を作るのを、ぼんやりと眺めながら、この後のことを考える。
アトリの話では、紺碧師団の副団長がやってくるらしい。
依頼にあったノクスロスに関する追加情報か、それとも進捗確認か……。当然ながら何の成果も上がっていないのは言うまでもない。
あ、でも立ち寄った村で、依頼対象と思われるノクスロスに遭遇したなぁ、と思い返す。
その時は絶対に捕食できる気でいたから、アテが外れて残念だった……。
なんてことを考えていたら、疲労と相まって、空腹を感じてきた。
……あー……マズイな。補給しないと……。
それは身体の奥底から本能に訴えるような、衝動じみた飢餓感だ。ちょっとご飯を食べたい、という普通の空腹感とは違う。生命を維持する燃料が無くなることへの危機感なのか、累の中の魔力が、理性すら凌駕しそうな程に昂まり始めた。
闇色の双眸で周囲に視線をやるが、都合よく捕食に値するだけのノクスロスなんているはずがない。
空気中に漂うフラグメント程度では、到底満たされないだろう、この欲求。
さて、どうしたものか。
「累、様……?」
戸惑うクイナの声。
見れば、累の変化を感じ取ったのか、手を止め、不安そうにこちらを見る大きな瞳と目が合った。その虹彩の奥に見える、魔力の影……。長い睫毛が、累の凝視を受け止めきれずに、小さく震えている。
そこでようやく視線を下げれば、タオルを掴む、白く細い指が見えた。
「——ごめんね。ちょっと、ちょうだい」
0
お気に入りに追加
482
あなたにおすすめの小説
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる