28 / 62
魔法庁附属、魔法学校・紺碧校。本科。
入浴
しおりを挟む「あー……きもちいー……」
広い浴室に置かれた、大きな猫足バスタブに身を沈めた累は、お湯の心地よい浮遊感に、ほうっと息を吐いた。
ぱしゃり、ぱしゃり、と湯の跳ねる音が室内に響く。
やはり疲れた体には、入浴が一番の疲労回復だ。
このまま寝てもいい……、と思いながら首を反らして、バスタブの縁に頭を乗せた。
と、こちらを覗き込むスズメと目が合う。
「お湯加減は如何ですか?」
「ちょうどいいよ」
「それは良うございました」
一応腰元にタオルを巻いているとはいえ、殆ど裸の累を前にしても、スズメに動揺は無い。それは累にしても同様で、今更恥ずかしがるような繊細さなんて、とうの昔にゴミ箱行きだ。
何と言っても、スズメが近くにいるようになってから、毎日のように裸を見られているのだ。最初こそ物凄く頑張って抵抗したものの、それが毎日ともなれば、折れてしまうのは累の方だった。せめてもの抵抗として、タオルは譲らなかったものの、それ以外はスズメの好きにさせている。
普段と変わらない口調でやり取りをしながら、フリルのブラウスの袖を捲ったスズメは、小さなアンティーク瓶を傾け、液体を数滴、湯船に落としてかき混ぜた。
ふんわりと柔らかい香りが広がるのを感じながら、目を閉じる。
「疲労回復に効果のある香りだそうです」
その説明を聞くともなしに聞いていると、別の足音が近付いてくるのに意識が向いた。
裸足の、小柄な人物だ。
その気配はすぐ側で立ち止まると、膝を付き、湯船に手を入れた。
「失礼いたします」
その声は、先ほど紹介されたばかりのクイナだった。
薄く目を開いて確認すると、腕捲りをした細い手で湯の中にタオルを浸し、恐る恐る、といった手つきで、累へタオルを近付けた。
そして、肩から腕にかけてを、優しく拭い始める……。
累にとっては慣れざるを得なかったこの奉仕行為も、今となっては、何の感慨も湧かない程度のルーティンだ。あぁ、これからはこの子が担当なのか、と業務フローを頭の中で思い浮かべた程度。
だが、クイナにとっては初体験だったのだろう。
真剣な表情の中に、慣れない行為への躊躇いが見られ、身の置き所に困る。
累としては、自分の体ぐらい自分で洗えるので放っておいて欲しいのだが、ここでクイナを拒絶すると、彼女の立場がないのだろう。
心を無にして、寝たふりでもするか……。
しかし、戸惑いながらの優しすぎる手つきのせいで、非常にこそばゆい。クイナの手を意識しないよう、努めてぼおっとしてみるが、油断すると笑ってしまいそうになる。この状況で意味もなくニヤニヤするなんて、気持ち悪いことこの上ないだろう。
何が何でも笑ってはいけない、と口元を引き締めるのだが、
「……っ、ふ……」
笑ってはいけない、と思うと、余計に面白くなってしまうのだから仕方ない。
一度笑いのスイッチが入ってしまうと、堪えるのは難しかった。
「っ……ふふっ……っ、だめだ……ごめんっ……」
「累様、何か?」
「っははははっ、ちょ、ちょっと待って、こそばいっ……っ……」
困惑して手を止めるクイナ。何か粗相をしてしまったのかと、オロオロしてスズメを仰ぎ見ているが、当のスズメは理由の検討がついたのか、呆れたように溜息をこぼしただけ。
「累様……」
「ご、ごめんって……ちょっと、待って……っ」
ひとしきり笑いが落ち着いてから、目元に浮かんだ涙を拭う。
こそばくて笑うなんて、久しぶり過ぎる、と楽しい気分になりつつも、せっかく真剣に頑張ってくれていたクイナに、失礼な態度だったと気付く。
不安そうな顔でこちらを見る、亜麻色の髪の少女へと顔を向けた。
「ごめん、クイナ。ちょっとこそばくて……。もっと力を入れてくれたらいいし、適当でいいよ」
笑いを我慢しきれなかった気まずさも相まって、苦笑気味に伝えると、クイナは目元をじんわりと赤く染め、眉尻を下げた。
「……申し訳ありません……」
「怒ってないよっ!?」
タオルを胸元で握りしめつつ、今にも泣きそうな顔で謝られ、慌てて身を起こす。
「累様、新入りを泣かすなんて……」
「いやいや、本当に怒ってないって! 久しぶりにこんなに面白かったし!」
スズメの冷ややかな目線が、凄く痛い。
嫌な汗が出てきているのを自覚しつつ、身動きすら出来ずに固まっているクイナを全力でフォローする。
「本当に、クイナは何の失敗もしてないからね。ほら、笑っちゃダメだって思うと、何でもないことも凄ーく面白く感じることってあるじゃん!?」
「……はい……」
「さっきが丁度そんなタイミングで。もう、箸が転げても面白いってぐらいの、笑いのツボが頂点で……!」
「箸が、転げても……?」
「あー……とりあえず……うん……笑ったりしてゴメンナサイ」
潔く謝る。
うん、笑った自分が悪いんです。
心底気落ちしているらしいクイナが、これで少しは気持ちを持ち直してくれればいい、と思ったのだが、
「そんなっ、累様が謝られるなんてっ、クイナはどうすれば……っ」
逆にパニックになってしまった。
ふるふると首を振り、身を竦めるクイナ。肩で切り揃えた毛先が、柔らかい頰にぺしぺし当たっているのが可愛い。……なんて眺めている場合じゃない。
「累様。これ以上クイナを困らせないで下さいませ」
冷静すぎるスズメの淡々とした口調に、こちらが身を竦める番だった。表情には出ていないが、絶対に呆れ果てているに違いない。
「えー、困らせてるつもりなんて全然ないんだってばー。スズメからも言ってよっ、失敗は成功の元だ、って」
「それでは、クイナは失敗した、と言っているようなものですが?」
「間違えました。違います。えー……細かいことは気にしない精神……?」
「それも、従者としての適正に欠ける、ということになりますね」
じゃあどう言えばいいんだ……。
綺麗に打ち返されるリターンエースに、もう降参の白旗を上げるしかない。
裸で風呂に浸かりながら困る男と、その横で膝立ちのまま泣きそうな顔の女の子。
そしてその側で1人、背筋を伸ばして優雅に立つスズメ。
累もクイナも、もうスズメにこの場を収拾して貰うしかない、と懇願の眼差しだ。
2人分の視線を受けたスズメは、小さく嘆息した後に、艶のある唇を動かした。
「まったく……累様はもっと毅然とご命令ください。我らに頭を下げるなど言語道断。クイナが戸惑うのも自明の理です。立場をお弁えください」
まずは累へのクレームだ。
予想していた通りの内容に、弁明の言葉すら浮かばない。
乾いた笑いで誤魔化す累に、気のせいじゃなく冷たい目線を投げたスズメは、次にクイナへと足を向けた。
履きこなした細いヒールで歩み寄りながら、クイナの肩へ手を置こうとし——。
「きゃぁあっ!」
「スズメ!?」
「スズメ様っ!!」
0
お気に入りに追加
482
あなたにおすすめの小説
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる