禍羽根の王 〜序列0位の超級魔法士は、優雅なる潜入調査の日々を楽しむ〜

しののめ すぴこ

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近衛魔法士

宿屋にて①

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 ——そして宿屋。

 この田舎町の中心に存在する、唯一の宿泊施設だ。

 スズメが恰幅の良い女将に宿泊料を払い、部屋まで案内してもらった。勿論ちゃんと、2部屋を押さえている。

「累様。お部屋のご用意を致しますので、申し訳ありませんが、一旦そちらに座ってお休みください」
「はいよ」

 部屋に入って早々、スズメに外套を脱がされ、テーブルセットへと誘われる。

 ここの宿屋は、田舎にしては十分に広く快適だった。ベッド1つに小さなテーブルセット。女将が上部屋だと自慢するだけあって、一人で寝泊まりする分には文句ない。
 しかし毎度のことながら、普段使う小物類や寝具など、自分の手で抜かりなく準備しないと気が済まないスズメが、上着を脱いで腕捲りをし、大きなトランクケースを開け始めたのには、感心を通り越して尊敬する。

 無駄のない動きで作業を進める少女を邪魔しないよう、椅子に深く腰をかけた累は、手持ち無沙汰に窓の外を眺めた。

 今は昼をだいぶ過ぎたところだ。

 傾き始めた太陽から降り注ぐ木漏れ日が、街全体に柔らかい明るさを与えている。道を歩く人や、遊ぶ子供を見守る親など、適度に人が集まる住みやすそうな田舎町、という印象だ。
 民家が立ち並ぶ道を辿り、視線を少し奥の森へと移せば、木々の中に小さく、立派な門構えが見えた。
 柱には、誰もが知っている、黒い翼を模した特徴的な紋章が入っている。

 そう。
 ここは、魔法庁付属の魔法学校・紺碧校から一番近い町なのだ。

「——それで、累様。紺碧校へ編入されたいなんて、突然どうされたんですか?」

 累の目の前のテーブルを、午後のティータイム風に仕上げながら、スズメが口を開いた。奥では、1階の厨房で熱湯を貰って来たらしく、紅茶の茶葉を蒸らしている。

「んー……。最近こっちの……紺碧師団の管轄内で、ノクスロスの被害報告が相次いでるんだよねー……」
「左様でございますか……。でも、それでしたら魔法師団の配備を強化すれば宜しいのでは?」
「うん、普通はそうするんだけど、今回のは簡単に解決しそうになくてね……。魔法士部隊が到着するまでの短時間で、ノクスロスが消失してるんだと。だから殲滅もできてなければ、手掛かりも掴めてないらしい」
「……では野放しのノクスロスが、この近辺を餌場にしている、という状況なのでしょうか?」
「そうなるね。恐らく、宿主がいるタイプのノクスロスだとは思うんだけど、今のところ軽微な被害しか無いのが奇跡的、ってとこ。だからもうすぐ、近衛師団にまで話が上がって来ると思うんだよね……」

 話しながら、目の前に運ばれて来るティーセットに視線を落とす。本日のお茶受けはくるみ入りのパウンドケーキだ。どこで調達したんだ……なんて、あの大きなトランクケースから出て来たに違いない。そんなものまで運んでいるから重いんだろうに、とは思うものの、言ったところで止めるわけは無いし、累自身も楽しみにしている時間なので、有り難く頂戴する。

 丁寧な所作で、赤茶色の液体をカップに注いでいくスズメ。柔らかい金髪を切りそろえた前髪に、長いおさげが、ハイウエストの焦茶色のワンピースに非常に良く似合っている。非の打ち所のない造形美は、目にも楽しい。
 何も言わずとも、砂糖はなし、ミルクを少しだけ垂らす、累好みの紅茶が差し出された。

「累様。だからと言って、近衛師団への依頼を先回りなさるのは、宜しくありません。ましてや身分を偽って、潜入調査まがいなど……」
「でも確実に回ってくるんだし、こういうのは初動の速さが肝心でしょ? 近衛魔法士として紺碧校の視察も出来るし、気になるノクスロス事件も下見出来る……一石二鳥ってことで」
「……何事も御身には代えられません。あまり安易に首をつっこむことはなさらないで下さいと、再三再四、お願い申し上げていると思うのですが——」

 スズメが愛らしい美貌を曇らせて苦言を呈す。
 ただでさえ表情筋が固いのに……と思いつつ、右から左に聞き流していく。
 累の身を思っての言葉だとは理解しているから、有難い忠告を拒絶することはないが、聞き入れるわけじゃないので従者泣かせだろう。

 スズメの淹れてくれた紅茶に口を付けながら、小言が終わるまでをリラックスタイムに変換しておく。

 白い湯気の立つカップを眺めながら、この色ではない、漆黒の霧について、思考の沼へと落ちていく。

 ——ノクスロス。

 微小な黒い粒子が集合することで、濃い霧状をしている、異形。
 人を襲い、その生命力を喰らうことで成長していく、人類の天敵だ。
 普通の武具で太刀打ちすることは叶わず、魔力の才を持った魔法士だけが殲滅することができる。だが魔法士が無敵かというとそうではなく、年間で何人もの命が失われているのが実情だ。それ故に、魔法士は希少で、そして決して潤沢に増員されることのない存在。

 この町のように、軽微な被害が多発していても、魔法士部隊を万全な体制で常駐させることが出来ないのには、こういう理由があるのだ。

 部隊として人数を充てられないのなら、累のように単独で動ける魔法士が向かえばいい。
 現場だって遅かれ早かれ、同じ考えに至る。師団長まで問題が上がれば、いずれ近衛師団の耳にも入って来るだろう。
 それなら少しぐらい早く動いたところで問題はあるまい。

 何より。

 累には、ノクスロスを求める理由がある。

「……飢えが、始まりましたか?」

 心配そうに尋ねてくるスズメの言葉に、カップを持つ自分の手を見つめる。

 そのまま、呼吸をするかの如く自然な仕草で、身の内の魔力を解放した。

 そして、命じる。
 空気中に漂う、微細なノクスロスの断片を、『喰ってこい』、と。

 次の瞬間、累の指に絡まるように、白く濃い魔法の燐光が現れはじめた。
 無風の室内で、風に乗るように揺らめく、魔力の輪郭。

 それは主人の命令を実行すべく、空気中を流れていき、室内へと霧散した……。

 かと思えば、すぐに再び収束し、累の指先から体内へと、溶けるように消えていく。

 ——捕食の色を、携えて。

 指先から流れ込んでくる、穢れの残滓。
 累が命じた通り、喰ってきたのだ。ノクスロスのフラグメントを。

 一瞬、目に血の色が走ったのがわかる。

 肉体が満たされる感覚と共に、活性化した魔力が、身体中にみなぎってくる。
 穢れの霧が、累を生かす生命力に変換されているのだ。

 こうやって定期的に、魔力にノクスロスを喰らわせ、力に変えている。
 累にとっては呼吸と同等に必要な行為だ。

 とはいえ、ノクスロスを取り込む感覚には、毎度ながら怖気が走る。
 いつまで経っても慣れることのない気持ちの悪さに、未だに人間らしい繊細さを持ち合わせていたのかと、自嘲するしかない。

 一瞬顰めてしまった眉の力を抜き、こちらを見つめるスズメを安心させるべく、小さく手を向けた。

「ほらね」
「……大丈夫のご様子ですね。それなら宜しゅうございますが、万一の場合には……」
「何回も言うけど、そんな飢餓状態になることは無いから大丈夫だってば。ノクスロスの断片は、空気中に漂ってるんだから」

 軽い口調で言いながらも、自らの異様さを再認する。

 そう。
 累の身体を満たすのは、食糧では無い。

 ノクスロスなのだ。

 累の魔力を絡めて、捕食する。
 それだけが唯一の栄養源。

 普通の魔法士としても異質な、人類の摂理に反する存在。

 この世界で唯一の、ノクスロスの天敵。

 だからこそ、累は、かしずかれるのだ。
 その特異な命のサイクルを、世界が求めている。

「あ、今日のパウンドケーキ美味しい」

 ただ、食べる必要が無いとはいえ、嗜好品は別だ。精神的に満たされる感覚は安定剤に近い。
 人として当然のサイクルを絶やさないことで、安心感を得ているのかもしれない。

 毎日バラエティーに富んだお茶受けを出してくれるスズメに礼を言いつつ、フォークを口へ運び続ける。

「おかわりもございますが、如何でしょうか?」
「ありがと。でもこれから周りを散歩しようと思ってるし、このぐらいにしとくよ。下の食堂も覗いてみたいしね」
「1階の大衆食堂、ですか……? お食事が必要でしたら、こちらまでお持ちいたしますが」
「あー、違う違う。食事がしたいわけじゃないから、大丈夫。ここら辺の人がどんな感じなのか見たいだけ」

 過保護すぎるスズメの提案を断りつつ、最後の一切れを完食。少し温くなった紅茶を飲み干してから席を立った。

「お供します」

 すかさず外套を持って近づいてくるスズメ。
 肩に掛けられたそれに腕を通すことはなく、開けられた扉をくぐった。


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