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Whispers Of A Specter~幽鬼の囁き
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時刻は22時。西島は駅前の時計を見上げながらそれを確認すると、にこにこと笑いながら横を歩く安西が話しかけてくる。
「もうお腹いっぱい! 早く座りたいなあ」
「そうか。疲れたならもう帰るか?」
「えー? それほどじゃないって! それに、一緒に行くんでしょ? 舞娘公園」
西島より少し背の低い安西が、少し拗ねたような表情で西島の顔を覗き込んだ。
今日の安西は特に楽しそうだ。西島は冗談を言って場を和ませるようなタイプではなかったけれど、先ほどの夕飯の時だって、彼女はうんうんと相槌をよく打ったし、ちょっとした彼の一言にコロコロと笑った。
少しキツめの印象の女だったが、意外な一面を見た気がした。人は見かけによらぬものだと、改めて思う。
普通に楽しい夕食の時間を過ごすことができた。今向かう舞娘公園についても、昔よく遊んだがこの数年は近くを通るだけだと伝えると「これから行ってみようよ」と誘われた。
別に面白みのある場所では無いことを伝えたが、「また居るかもしれないよ? 赤い靴の男の人。それに、夜の公園なんて私も初めてだし!」と安西は楽しそうに笑った。
「公園を通った方が近道なんだけれどさ、さすがにバイト帰りの時間は一人で通るのは怖いし」
安西は駅から公園を抜けた先のホテルで週末にバイトをしているらしい。ブライダルスタッフだと話していた。華やかな反面、人生に一度の式を台無しにしないように礼儀作法の躾はとても厳しいそうだ。
「そうだな。思ったより暗い」
2人は公園の前で足を止めた。いつも近くは通るものの、初めて入り口に立った夜の舞娘公園は想像以上に暗かった。月も出ていないから尚更だ。
「どうする? やめるか?」
隣の安西を見る。
「少し暗いだけで、別に怖い感じもしないしーー」
安西はそう言ってまた笑う。海風が少し強く吹く。公園の中から、さらーーと松葉が鳴る。彼女の後ろで結った綺麗な髪も風に乗って飜る。
「ーー西島くんも一緒だから大丈夫だよ」
彼女が目を合わせる。
「ああ、そうか……」
西島は頷きながら彼女の先程の言葉を反芻する。
『一緒だから大丈夫だよ』
その台詞に嫌な思い出があって胸がチクリと痛んだ。そして、少し嫌な予感がした。彼女が前に進むのに、西島も合わせる。
************
「東屋がいいね」
安西はそう言って前に進んだ。
結論から言うと、赤い靴の男の姿は見当たらなかった。何も見えないほどの暗さではなかったが2人以外の人の気配を感じない。ただ、海風が松葉をさわさわと揺らすのが心地良かった。
「思い出の公園って感じ?」
「ああ、多分何も変わってないな」
「よくここで遊んでたんだっけ?」
「走り回ってよく倒けたな」
ちょうどこの東屋が小学生の時の集合場所だった。示し合わせた訳ではなかったが、放課後ここに来れば大体誰かしらがここに居たので遊び相手に困った事はなかった。
昔の思い出に少し頬が緩む。
「へえ? 珍しい……嬉しそうな顔だね」
暗いので自ずと2人の距離は近い。安西は顔を寄せて西島の顔を見るとそう言って笑った。
「西島ってさ、笑うと可愛いよね。最初は怖そうだと思ったけれど、話してみたら凄く優しいし」
「怖い? そう見えるか?」
「ううん! それは私の勘違い! 気にしないで?」
「別に気にしてない。偶に言われるからな」
西島は本当に気にした様子もなく、あたりを眺めている。たまに吹く風が松葉を鳴らす以外、2人を心地よい静寂が包んだ。しばしの沈黙が流れる。
「ねえ、西島くん」
安西がそっと声をかける。彼女の声に振り返る。安西は寄り添う様に近くに寄っていたが、俯いているのでどんな顔かはわからない。
「どうした?」
「えっとね……?」
彼女の額がコテンと西島の胸に触れる。
「今日も楽しかったね。この前、遊びに行ったときもそうだけれど、西島くんと一緒に居る時間が好きだよ……いや、そうなんだけれど、それが言いたいんじゃなくて……」
「安西……」
西島が口を開こうとしたが、彼女は続ける。ゆっくりと、大切に、言葉を紡いでいく。
「あなたと一緒にいたいの……ずっと一緒にいたいの……」
意思を固める様に一呼吸置く。
「私、あなたのことが好きになっちゃった……ねえ? 私じゃ、だめ?」
彼女の顔が上がり、下から西島の顔を覗き見る。文字通り、目と鼻の距離しかない。息遣いが聞こえる気がした。彼女の瞳が潤んでいる。
「安西……ありがとう」
西島は安西の頭に優しく手を置く。安西は安心したように静かに目を閉じ、再び西島の胸の中に戻る。そして今度は西島が正解を探す様に、大切に言葉を選んで話す。
「お前と一緒に居る時間はとても楽しい……月並みな表情だが、可愛いと思う……いや、お前の事を可愛いと思った事は何度もある……今もそうだ……」
彼は言葉に詰まる。緩やかに風が吹く。しばし、静かに松葉が鳴く音だけが響いた。そしてそれが止むと、胸の中の安西の息遣いが今度ははっきりと感じられた。言葉はなく、それだけの時間が続いた。
そして、西島は、ゆっくりと続ける。いつも以上に優しい声だ。
「本当にそう思う……お前と一緒に過ごすのは楽しいだろう……」
「嬉しい……」
安西が答える。
「でもな……」
胸の中の安西がビクっと震える。また言葉に詰まる。上手く表現できる言葉を掬い上げようとするが、なかなか思うようにいかない。
安西は西島に預けていた身体を離して、西島の顔を見つめる。真剣な顔だ。目の端がチラっと光った気がしたが、目の光は弱々しくはない。
「どうして?」
「……すまん」
「他に、好きな子、居た? それとも、私は好みじゃない?」
「いや、そうじゃない……」
西島は申し訳なさそうな顔をして黙ってしまう。短い前髪をくしゃくしゃと掴みながら言葉を探す。でも、やはりうまくいかない。
「じゃあ、どうして?」
「上手くは言えない……」
それっきり2人の間には沈黙が流れる。
本当は、彼の気持ちを正確に表現できる言葉が西島の心の中にはあった。
--ピンとこない--
その言葉を直接投げかけることは、自分に好意を寄せてくれた相手を傷つけることだと経験上知っていた。西島にとって異性から告白を受ける事は珍しくはない。ただ、その度にこうやって困惑してしまう。
西島にとっては男女関係なしに、一緒に過ごすことが楽しいと感じる事はあっても、特別な関係になりたいかと問われると、いまいちピンと来なかった。
そして、安西の真剣な目に射抜かれると、適当な言葉や関係で誤魔化すのは失礼な気がする。西島は何度か口を開いたが、言葉は出なかった。
安西の表情が急に曇り、肩が落ち込んだ。
「西島くんってさ!」
少し高い、大きな声で話し始める。泣き笑いの様な表情だとわかった。取り繕うように笑おうとするが、上手くいかない。そんな声だった。
「やっぱり優しいよね。私を傷つけない様に話してくれてるでしょ? でも、今はどんな言葉でも正直に聞きたかったな……ごめん、困らせたよね。私、もう行くね」
安西の言葉には不安と不満が滲んでいるように感じた。彼女は吐き捨てるように言うと、急ぐ様に踵を返し、勢いよく駅の方に駈け出そうとする。
「安西……!」
西島は後ろから彼女の手を取る。未だ彼に何かが言える訳ではなかったけれど、思わず身体が動いた。彼女は足を止めたが、前を向いたままだ。
「離して、離してよ! もう行かせて!」
泣き声に近い声で安西が感情を爆発させる。
「安西、俺は……」
「そんな申し訳なさそうな声で喋らないで! 私が惨めになっちゃう。ほら、やっぱり困らせてるんだって。そう思っちゃうよ! もう、私に優しくしないで!」
振り返った彼女は西島の胸を叩きながら怒った声を出した。痛くはない。でも、西島は悲痛な表情をする。と、その時だ。
ーー……煩いーー
安西の背中側から不意に声がかかる。気怠そうだが、意志の籠った声だ。体温が全く感じられないその声に、2人は背中に冷たいものを感じた。
気付けば安西の後ろには、男の姿があった。細身の黒いスーツ姿の男だ。血の気が引いた青白い顔で、冷たい目で2人をうんざりした様に見つめている。不気味な静けさを纏っている。
「--ああ、すいません」
驚いてはいたが、西島はすぐに声のした方に謝罪する。
「ごめんなさい……でも……そんなに大きな声じゃなかったでしょ? うるさいなんて言わないでよ……やっぱり私が悪いの? 何よ……何でよ……」
安西はしゃがみ込み、驚きと怒りに満ちた表情で、彼女の顔を震わせながら泣き始めた。
彼女の声は一時的な混乱と痛みを反映し、断片的な言葉や呻き声として聞こえた。彼女の内面の葛藤と不安が、彼女の行動と言葉によって明確に示されていた。
その男はうんざりした様に困で溜め息をつく。そして、ゆっくりとした気怠そうな緩慢とした動きで彼女の背に近寄ると、宥める様に彼女の頭に手を置く。
「--聞こえなかったのか……? ああ、そうか。それならもう一度言おうか……煩い……静かにしてくれないか……良い子だ……出来るだろう……?」
幽鬼の様なその男は、そう言った。何の感情も載らない、虚で小さな声だ。ぼそぼそと喋るその声は相変わらず生気が感じられない。
「あっ、本当にすいませんーー」
西島は男の方を向いて口を開いた、言い終わる直前、足元に違和感を感じ取る。急に足元の安西の気配が変化したからだ。
安西の様子ががおかしいのはすぐにわかった。彼女は完全に地面に蹲るようにして肩が小刻みに震えている。ひゅっ……ひゅっ……と嘆息のように短く掠れた息遣いをたてる。
「大丈夫か! 気分でも悪くなったのか?」
反応が無い。
「おい! 安西! どうした?!」
大きく声を掛けながら安西の肩を揺する。それに合わせて力無くぐらぐらと彼女の頭は揺れるだけで、う……ぐ……と小さな呻き声が聞こえるが、力無く項垂れたままだ。そして、音にならない小声で何かをぼそぼそと喋っているが、内容は聞き取れない。
「しっかりしろって! おい! 安西!」
このままでは埒が明かないと判断して、彼女の頭を両手で掴んで顔を向けさせる。生気を失った虚な表情。焦点は定まらず、何かをうわ言のようにぼそぼそと繰り返している。完全な恐慌状態だ。
西島は必死に呼びかけ続けるが、やはり反応しない。
そして、肩に手が置かれる感触があり、西島は怪訝そうに顔を上げる。幽鬼の顔が思いの外すぐ側にあった。その男は熱の籠っていない目で西島の顔を覗き込みながら、駄目な子に言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。
「三度目だ……煩い」
その声が聞こえた瞬間。目の前の視界がひずむようにぐんにゃりとした後、そのまま解像度を落として不鮮明になる。糸が急にきれたように力なく項垂れると、そのまま安西と抱き合う形になった。そしてその塊は焦点の定まっていない虚ろな目をして、うわ言の様ななにかをぼそぼそと呟き続けるのだった。
幽鬼はそれを見届けると、気怠そうに溜め息をつく。
「ようやく眠れそうだったのだが、困ったものだ。それにーー」
と呟き、松葉の隙間から覗く空を見上げる。
「ーーせめて月の出ている日にしたらどうなんだ」
やれやれと言った風に首を振りながら東屋の方に向かおうとする。漸く手に入れた静寂に溶け込むように、男は東屋の陰に消えていく。
気味の悪い虫の鳴き声のような音をたてる1組の男女の存在を掻き消すように、海風が松葉を揺らす。
その、さらさらとした音を聞きながら、幽鬼はまた、ゆっくりと目を閉じるのだった。
「もうお腹いっぱい! 早く座りたいなあ」
「そうか。疲れたならもう帰るか?」
「えー? それほどじゃないって! それに、一緒に行くんでしょ? 舞娘公園」
西島より少し背の低い安西が、少し拗ねたような表情で西島の顔を覗き込んだ。
今日の安西は特に楽しそうだ。西島は冗談を言って場を和ませるようなタイプではなかったけれど、先ほどの夕飯の時だって、彼女はうんうんと相槌をよく打ったし、ちょっとした彼の一言にコロコロと笑った。
少しキツめの印象の女だったが、意外な一面を見た気がした。人は見かけによらぬものだと、改めて思う。
普通に楽しい夕食の時間を過ごすことができた。今向かう舞娘公園についても、昔よく遊んだがこの数年は近くを通るだけだと伝えると「これから行ってみようよ」と誘われた。
別に面白みのある場所では無いことを伝えたが、「また居るかもしれないよ? 赤い靴の男の人。それに、夜の公園なんて私も初めてだし!」と安西は楽しそうに笑った。
「公園を通った方が近道なんだけれどさ、さすがにバイト帰りの時間は一人で通るのは怖いし」
安西は駅から公園を抜けた先のホテルで週末にバイトをしているらしい。ブライダルスタッフだと話していた。華やかな反面、人生に一度の式を台無しにしないように礼儀作法の躾はとても厳しいそうだ。
「そうだな。思ったより暗い」
2人は公園の前で足を止めた。いつも近くは通るものの、初めて入り口に立った夜の舞娘公園は想像以上に暗かった。月も出ていないから尚更だ。
「どうする? やめるか?」
隣の安西を見る。
「少し暗いだけで、別に怖い感じもしないしーー」
安西はそう言ってまた笑う。海風が少し強く吹く。公園の中から、さらーーと松葉が鳴る。彼女の後ろで結った綺麗な髪も風に乗って飜る。
「ーー西島くんも一緒だから大丈夫だよ」
彼女が目を合わせる。
「ああ、そうか……」
西島は頷きながら彼女の先程の言葉を反芻する。
『一緒だから大丈夫だよ』
その台詞に嫌な思い出があって胸がチクリと痛んだ。そして、少し嫌な予感がした。彼女が前に進むのに、西島も合わせる。
************
「東屋がいいね」
安西はそう言って前に進んだ。
結論から言うと、赤い靴の男の姿は見当たらなかった。何も見えないほどの暗さではなかったが2人以外の人の気配を感じない。ただ、海風が松葉をさわさわと揺らすのが心地良かった。
「思い出の公園って感じ?」
「ああ、多分何も変わってないな」
「よくここで遊んでたんだっけ?」
「走り回ってよく倒けたな」
ちょうどこの東屋が小学生の時の集合場所だった。示し合わせた訳ではなかったが、放課後ここに来れば大体誰かしらがここに居たので遊び相手に困った事はなかった。
昔の思い出に少し頬が緩む。
「へえ? 珍しい……嬉しそうな顔だね」
暗いので自ずと2人の距離は近い。安西は顔を寄せて西島の顔を見るとそう言って笑った。
「西島ってさ、笑うと可愛いよね。最初は怖そうだと思ったけれど、話してみたら凄く優しいし」
「怖い? そう見えるか?」
「ううん! それは私の勘違い! 気にしないで?」
「別に気にしてない。偶に言われるからな」
西島は本当に気にした様子もなく、あたりを眺めている。たまに吹く風が松葉を鳴らす以外、2人を心地よい静寂が包んだ。しばしの沈黙が流れる。
「ねえ、西島くん」
安西がそっと声をかける。彼女の声に振り返る。安西は寄り添う様に近くに寄っていたが、俯いているのでどんな顔かはわからない。
「どうした?」
「えっとね……?」
彼女の額がコテンと西島の胸に触れる。
「今日も楽しかったね。この前、遊びに行ったときもそうだけれど、西島くんと一緒に居る時間が好きだよ……いや、そうなんだけれど、それが言いたいんじゃなくて……」
「安西……」
西島が口を開こうとしたが、彼女は続ける。ゆっくりと、大切に、言葉を紡いでいく。
「あなたと一緒にいたいの……ずっと一緒にいたいの……」
意思を固める様に一呼吸置く。
「私、あなたのことが好きになっちゃった……ねえ? 私じゃ、だめ?」
彼女の顔が上がり、下から西島の顔を覗き見る。文字通り、目と鼻の距離しかない。息遣いが聞こえる気がした。彼女の瞳が潤んでいる。
「安西……ありがとう」
西島は安西の頭に優しく手を置く。安西は安心したように静かに目を閉じ、再び西島の胸の中に戻る。そして今度は西島が正解を探す様に、大切に言葉を選んで話す。
「お前と一緒に居る時間はとても楽しい……月並みな表情だが、可愛いと思う……いや、お前の事を可愛いと思った事は何度もある……今もそうだ……」
彼は言葉に詰まる。緩やかに風が吹く。しばし、静かに松葉が鳴く音だけが響いた。そしてそれが止むと、胸の中の安西の息遣いが今度ははっきりと感じられた。言葉はなく、それだけの時間が続いた。
そして、西島は、ゆっくりと続ける。いつも以上に優しい声だ。
「本当にそう思う……お前と一緒に過ごすのは楽しいだろう……」
「嬉しい……」
安西が答える。
「でもな……」
胸の中の安西がビクっと震える。また言葉に詰まる。上手く表現できる言葉を掬い上げようとするが、なかなか思うようにいかない。
安西は西島に預けていた身体を離して、西島の顔を見つめる。真剣な顔だ。目の端がチラっと光った気がしたが、目の光は弱々しくはない。
「どうして?」
「……すまん」
「他に、好きな子、居た? それとも、私は好みじゃない?」
「いや、そうじゃない……」
西島は申し訳なさそうな顔をして黙ってしまう。短い前髪をくしゃくしゃと掴みながら言葉を探す。でも、やはりうまくいかない。
「じゃあ、どうして?」
「上手くは言えない……」
それっきり2人の間には沈黙が流れる。
本当は、彼の気持ちを正確に表現できる言葉が西島の心の中にはあった。
--ピンとこない--
その言葉を直接投げかけることは、自分に好意を寄せてくれた相手を傷つけることだと経験上知っていた。西島にとって異性から告白を受ける事は珍しくはない。ただ、その度にこうやって困惑してしまう。
西島にとっては男女関係なしに、一緒に過ごすことが楽しいと感じる事はあっても、特別な関係になりたいかと問われると、いまいちピンと来なかった。
そして、安西の真剣な目に射抜かれると、適当な言葉や関係で誤魔化すのは失礼な気がする。西島は何度か口を開いたが、言葉は出なかった。
安西の表情が急に曇り、肩が落ち込んだ。
「西島くんってさ!」
少し高い、大きな声で話し始める。泣き笑いの様な表情だとわかった。取り繕うように笑おうとするが、上手くいかない。そんな声だった。
「やっぱり優しいよね。私を傷つけない様に話してくれてるでしょ? でも、今はどんな言葉でも正直に聞きたかったな……ごめん、困らせたよね。私、もう行くね」
安西の言葉には不安と不満が滲んでいるように感じた。彼女は吐き捨てるように言うと、急ぐ様に踵を返し、勢いよく駅の方に駈け出そうとする。
「安西……!」
西島は後ろから彼女の手を取る。未だ彼に何かが言える訳ではなかったけれど、思わず身体が動いた。彼女は足を止めたが、前を向いたままだ。
「離して、離してよ! もう行かせて!」
泣き声に近い声で安西が感情を爆発させる。
「安西、俺は……」
「そんな申し訳なさそうな声で喋らないで! 私が惨めになっちゃう。ほら、やっぱり困らせてるんだって。そう思っちゃうよ! もう、私に優しくしないで!」
振り返った彼女は西島の胸を叩きながら怒った声を出した。痛くはない。でも、西島は悲痛な表情をする。と、その時だ。
ーー……煩いーー
安西の背中側から不意に声がかかる。気怠そうだが、意志の籠った声だ。体温が全く感じられないその声に、2人は背中に冷たいものを感じた。
気付けば安西の後ろには、男の姿があった。細身の黒いスーツ姿の男だ。血の気が引いた青白い顔で、冷たい目で2人をうんざりした様に見つめている。不気味な静けさを纏っている。
「--ああ、すいません」
驚いてはいたが、西島はすぐに声のした方に謝罪する。
「ごめんなさい……でも……そんなに大きな声じゃなかったでしょ? うるさいなんて言わないでよ……やっぱり私が悪いの? 何よ……何でよ……」
安西はしゃがみ込み、驚きと怒りに満ちた表情で、彼女の顔を震わせながら泣き始めた。
彼女の声は一時的な混乱と痛みを反映し、断片的な言葉や呻き声として聞こえた。彼女の内面の葛藤と不安が、彼女の行動と言葉によって明確に示されていた。
その男はうんざりした様に困で溜め息をつく。そして、ゆっくりとした気怠そうな緩慢とした動きで彼女の背に近寄ると、宥める様に彼女の頭に手を置く。
「--聞こえなかったのか……? ああ、そうか。それならもう一度言おうか……煩い……静かにしてくれないか……良い子だ……出来るだろう……?」
幽鬼の様なその男は、そう言った。何の感情も載らない、虚で小さな声だ。ぼそぼそと喋るその声は相変わらず生気が感じられない。
「あっ、本当にすいませんーー」
西島は男の方を向いて口を開いた、言い終わる直前、足元に違和感を感じ取る。急に足元の安西の気配が変化したからだ。
安西の様子ががおかしいのはすぐにわかった。彼女は完全に地面に蹲るようにして肩が小刻みに震えている。ひゅっ……ひゅっ……と嘆息のように短く掠れた息遣いをたてる。
「大丈夫か! 気分でも悪くなったのか?」
反応が無い。
「おい! 安西! どうした?!」
大きく声を掛けながら安西の肩を揺する。それに合わせて力無くぐらぐらと彼女の頭は揺れるだけで、う……ぐ……と小さな呻き声が聞こえるが、力無く項垂れたままだ。そして、音にならない小声で何かをぼそぼそと喋っているが、内容は聞き取れない。
「しっかりしろって! おい! 安西!」
このままでは埒が明かないと判断して、彼女の頭を両手で掴んで顔を向けさせる。生気を失った虚な表情。焦点は定まらず、何かをうわ言のようにぼそぼそと繰り返している。完全な恐慌状態だ。
西島は必死に呼びかけ続けるが、やはり反応しない。
そして、肩に手が置かれる感触があり、西島は怪訝そうに顔を上げる。幽鬼の顔が思いの外すぐ側にあった。その男は熱の籠っていない目で西島の顔を覗き込みながら、駄目な子に言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。
「三度目だ……煩い」
その声が聞こえた瞬間。目の前の視界がひずむようにぐんにゃりとした後、そのまま解像度を落として不鮮明になる。糸が急にきれたように力なく項垂れると、そのまま安西と抱き合う形になった。そしてその塊は焦点の定まっていない虚ろな目をして、うわ言の様ななにかをぼそぼそと呟き続けるのだった。
幽鬼はそれを見届けると、気怠そうに溜め息をつく。
「ようやく眠れそうだったのだが、困ったものだ。それにーー」
と呟き、松葉の隙間から覗く空を見上げる。
「ーーせめて月の出ている日にしたらどうなんだ」
やれやれと言った風に首を振りながら東屋の方に向かおうとする。漸く手に入れた静寂に溶け込むように、男は東屋の陰に消えていく。
気味の悪い虫の鳴き声のような音をたてる1組の男女の存在を掻き消すように、海風が松葉を揺らす。
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主人公くん初めから大変な目に!?
西島くんも気になっていた子で、読んでたら
なんか襲われてるみたいで疑問符が尽きません……ふたりともどうなるのか、期待と不安が同時に押し寄せてきます。
わあ、読んでいただけてとても嬉しいです。漸く物語が展開し始めました。西島くんはとても良い奴なのですが、主人公と共に彼の人生を動かす事件に巻き込まれていきます。
何があったのかが5話以降に描かれるので是非続きをお楽しみに!感想心から感謝です!