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ⅩCⅣ 分水の峰編 中編(3)
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第1章。さざなみ(3)
『もう、少しだ。あと少しで教都にはいる。』
ザイルは自分の頬が緩むのを、無粋だと思いながらも、止めることができない。
彼の周りには、十数人の上級騎士達が、ザイルと同じく鉄馬で、
夜の間道を駆け抜けている。
彼の逃亡は、旧教国正規軍戦士の心のなかに、かなりのさざなみを
引き起こしていた。
≪なぜだ!?≫
というのが、大多数の皇都に残った者の感想だったろう。
だが、ザイルにとっても、この離脱は予定外の行動ではあった。
当初の予定では、辺境守備隊のシュウレイ將に、教都の占拠をまかせ、
自分は皇国の軍事権を握り、示し合わせて、どこぞの平原で、
シュウレイ將の率いる、教国軍と会敵させ、その時点で皇帝軍を裏切り、
半円球上に取り囲み、暗黒の妖精契約者や皇帝らに、絶対数の有利さで、
飽和攻撃をしかけ、壊滅させようと、考えていたのだ。
しかし、隠形の軍師イルム將が、創派の軍という隠し手札を用意していた事、
暗黒の妖精のみならず、白光の妖精まで、彼らの陣にいた事、
武国の凶虎まで、関わってきた事を考えれば、
計画を廃棄せざるをえなかった。
彼は彼なりに、双月教国の現状に吐き気を覚えていたのだ。
暗黒の妖精らが引き起こした、騒乱を利用して、
教皇の側の奸臣を誅すると、決起しようとした。
死を賭しても、武人としての晩節を飾るに、これ以上の機会があろうか。
皇都に残した唯一の心残りは、教皇猊下の再捕囚の時間がなかったことか。
彼は武将としても、一流の素養を示した。
逃げるにあたっては、すべての未練を切り捨てたのだ。
後方の攪乱として、利にさとい副将格のソーケンを
心理誘導し、教国初代元帥の座を餌にして、動く暗器として使う。
『あの男が、どうこうできるとも思わんが。』
『ま、ソーケンは、わが軍に不要の存在。成功しても、奴に座る椅子はない。』
愚かな汚れた歴史を巻き戻すような人間を、生かす気はない、ザイルであった。
『シュウレイ、うまくやってくれただろうな。』
ザイルは、戦友の名を呼んでみる。彼の失敗は微塵とも思ってはいない。
そのザイル一行の前方に、凄まじい烈風が吹き荒れる。
次の瞬間、まばゆい緑光を従えた、超絶美貌の蜃気楼体が顕現した。
そして次の最後となる瞬間、ザイルは、その超上級妖精の表情に、
死の女神イピスの微笑を見た気がした。
☆☆☆☆
部屋の中に柔らかな圧が広がり、窓際に立つエリースの前に、
大氣を裂いて、風の超上級妖精が現れる。
そして、いつもの笑顔をエリースに、投げかける。
「すべて、終わったって。」
「リーエさん、お疲れ様、ありがとう。そして、エリースも。」
イルムは、風の超上級妖精リーエに、深々とお礼の言葉をかける。
風の超上級妖精は、古式礼法に則って、
私は、⦅疾風迅雷の妖精さ⦆です のポーズを涼やかに決める。
「投降した戦士のなかに、隠し刃を潜ませるのは、戦の常とは言うけれど・・・。
主将格の人物、自らがその役割を?」
キョウショウがイルムに質問する。
「双月教国の崩壊、教皇猊下の捕囚を考えれば、
国を狙うに者は、千歳一隅の機会。
どんな準備不足でも、やるしかないわね。自分を駒にしても。」
「ただ、ラファイアさんの存在、創派の戦士、カウシム王太子の行動で、
当初の筋書を破棄したのでしょうね。敵ながら賢いわ。」
「イルム、隠し刃は、普通、表裏一体で使う。他に誰かが、まだいると?」
ルリが、暗殺者の眼からの、意見を話す。
「主将格の人物が、隠し刃の役を担ったのよ。
その準備は、できなかったと思うわ。」
「けど、もしいるとしたら、あなたかな、カシノさん。」
「なにをバカなことを!」
訳も分からず、この部屋に呼ばれたカシノ教導士は、怒りの言葉を放つ。
「こいつは性格が悪い。カシノさん、ここは抑えてくれ。」
慌てて間に入る、キョウショウの姿を見て、エリースが笑い出し、
ルリでさえ、噴き出してしまった。
イルムも椅子から立ち上がり、頭を下げる。
場の空気が和んだとこから、イルムが改めて話し出す。
「私たちは、こうやって、もの事を解決してきたわ。表のことは、私が。
セプティ陛下に関することは、エリースが。創派のことは、キョウショウが。
そして裏のことは、ルリね。」
「私たちは、ずっとあなたを見てきた。双月教のことは、
あなたが受け持って欲しいと、思う。」
「むろん、旧教国軍のことは、リント將に頼もうと思っているけど。」
「なぜ、わたしに?」
カシノ教導士は、いぶかし気な目で、イルム將を睨む。
イルムは、満面の笑みで、その疑問に答える。
「わたしたちと、友人になれると思ったから。それで理由としては不足?」
カシノ教導士は沈黙する。しかし、その表情が緩んだときを見計らって、
イルムは右手を差し出す。
カシノも、イルムの差し出されたその手を、しっかりと握っていた。
第2章。さざなみ(4)
レリウス大公が、ミカルの奥宮のあの部屋に籠っていると、
部屋の外からその扉を開けられるのは、母たるミリア大公母と、
宰相のトリハだけと言われている。
先ほど、ミリア大公母がお尋ねになったと侍女から聞いて、
トリハは部屋の扉を叩くのを、躊躇していた。
「トリハ、何をしてる。入ってこないのか?」
中から、聞きなじみの音がきこえ、トリハは覚悟を決めて中へはいる。
小さな机を2つ並べ、片方の机には諸方面から送られた密書が、
片方の机には、いつものギム酒ではなく、数本の果実酒の瓶が、
それ以上に何本もの酒瓶が床に転がっている。
いつものように、部屋の端から、細工もなにもない実用一辺倒の椅子を
机の前に運び、トリハは黙って大公の前に座る。
重ね読まれた密書を盗み見る、一番上はアバウト学院に学ぶ、義妹キリナ君のもの
だとしたら、今考えておられるのは、当然・・・。
「教国を崩壊させた、皇国の女狐の戦略をお考えですか?」
「おうよ。だが全然読めねえ。テムスの女虎や、武国の凶虎なら
この絵図が読み解けるんだろうがな。」
「密書を読み返し、糸口をみつけられねぇかと思い、義妹たちの親書まで、
もう一回ひっくりかえしているとこさ。」
レリウス大公は、酒杯に残ってた果実酒を一気にのどに流し込む。
トリハは知っている、〖ミカルの餓狼〗とも呼ばれる、無頼の天才という印象が
本人の異常な、いや異様な努力によって、つくられているのを。
彼にとっては、寝室に違う名花を招き入れることも、苦行に等しいことも。
「陛下、教皇猊下の捕囚など、軍略を知らぬ者でしか思いつかない事。
女狐のみの考えではないと、愚臣は思いますが。」
トリハも、先ほどまで考えていて導き出した結論を、大公陛下に奏上する。
レリウスの視線が呆然と宙を彷徨う、だが次第に知性の光が宿っていく。
「そうかもしれねえ・・。いや・・そうに違いない。だが、それは誰だ。」
「女狐とは、密議のとき会いましたが、相当に強固な意思が見受けられました。
あれは軍師というよりは、一軍の將としての資質かと。」
レリウス大公は、獣が獲物を襲う時のような、危険な眼差しをトリハに向ける。
手元から酒瓶が落ち、トリハの足元に転がる。
「だとしたら、そいつは余程の力を持っているか、女狐の怒りの琴線を
震わせぬ素人か。どちらかだな。いや両方に該当する奴か。」
「御意。」
「だとすれば、・・・。」
トリハ宰相の頭に、情けない姿の若者が浮かぶ。
「その答えは、陛下の心の内に浮んだものと同じものと思います。」
「暗黒の妖精の契約者か・・・。知ってか知らずか、不沈と言われた千年を超える
宗教国家の命脈を断つ、一撃を考えたのか?」
不屈の笑みが、ミカルの餓狼に浮ぶ。
「トリハ、オレも新帝都にいくぞ。その暗黒の妖精の契約者、
単に殺せばいいというのではなくなった。
その影法師の軽重を見なければならぬ。」
「は!でしたら、教皇猊下のご機嫌伺いと言えば、女狐も拒否できますまい。」
「だが、どうせミカルを離れるなら、貴族共の大掃除もするか。」
「オレを排除したくてしかたない貴族の奴らに、反乱の隙をつくってやろうか。」
「ご自身で火を放たれ、大火事になる前に、ひねり消せますか!?」
「悪いか!?ひとつの行動で、ひとつ果実を得るだけで満足するには、
人の一生は短かすぎる。」
レリウス大公は椅子から立ち上がる。先ほどまでとは違い、
全身が生気に満ち溢れている。
「トリハ、イルト・オルク・ウルトの三將を呼べ。副宰相のリリカもな!」
『もう、少しだ。あと少しで教都にはいる。』
ザイルは自分の頬が緩むのを、無粋だと思いながらも、止めることができない。
彼の周りには、十数人の上級騎士達が、ザイルと同じく鉄馬で、
夜の間道を駆け抜けている。
彼の逃亡は、旧教国正規軍戦士の心のなかに、かなりのさざなみを
引き起こしていた。
≪なぜだ!?≫
というのが、大多数の皇都に残った者の感想だったろう。
だが、ザイルにとっても、この離脱は予定外の行動ではあった。
当初の予定では、辺境守備隊のシュウレイ將に、教都の占拠をまかせ、
自分は皇国の軍事権を握り、示し合わせて、どこぞの平原で、
シュウレイ將の率いる、教国軍と会敵させ、その時点で皇帝軍を裏切り、
半円球上に取り囲み、暗黒の妖精契約者や皇帝らに、絶対数の有利さで、
飽和攻撃をしかけ、壊滅させようと、考えていたのだ。
しかし、隠形の軍師イルム將が、創派の軍という隠し手札を用意していた事、
暗黒の妖精のみならず、白光の妖精まで、彼らの陣にいた事、
武国の凶虎まで、関わってきた事を考えれば、
計画を廃棄せざるをえなかった。
彼は彼なりに、双月教国の現状に吐き気を覚えていたのだ。
暗黒の妖精らが引き起こした、騒乱を利用して、
教皇の側の奸臣を誅すると、決起しようとした。
死を賭しても、武人としての晩節を飾るに、これ以上の機会があろうか。
皇都に残した唯一の心残りは、教皇猊下の再捕囚の時間がなかったことか。
彼は武将としても、一流の素養を示した。
逃げるにあたっては、すべての未練を切り捨てたのだ。
後方の攪乱として、利にさとい副将格のソーケンを
心理誘導し、教国初代元帥の座を餌にして、動く暗器として使う。
『あの男が、どうこうできるとも思わんが。』
『ま、ソーケンは、わが軍に不要の存在。成功しても、奴に座る椅子はない。』
愚かな汚れた歴史を巻き戻すような人間を、生かす気はない、ザイルであった。
『シュウレイ、うまくやってくれただろうな。』
ザイルは、戦友の名を呼んでみる。彼の失敗は微塵とも思ってはいない。
そのザイル一行の前方に、凄まじい烈風が吹き荒れる。
次の瞬間、まばゆい緑光を従えた、超絶美貌の蜃気楼体が顕現した。
そして次の最後となる瞬間、ザイルは、その超上級妖精の表情に、
死の女神イピスの微笑を見た気がした。
☆☆☆☆
部屋の中に柔らかな圧が広がり、窓際に立つエリースの前に、
大氣を裂いて、風の超上級妖精が現れる。
そして、いつもの笑顔をエリースに、投げかける。
「すべて、終わったって。」
「リーエさん、お疲れ様、ありがとう。そして、エリースも。」
イルムは、風の超上級妖精リーエに、深々とお礼の言葉をかける。
風の超上級妖精は、古式礼法に則って、
私は、⦅疾風迅雷の妖精さ⦆です のポーズを涼やかに決める。
「投降した戦士のなかに、隠し刃を潜ませるのは、戦の常とは言うけれど・・・。
主将格の人物、自らがその役割を?」
キョウショウがイルムに質問する。
「双月教国の崩壊、教皇猊下の捕囚を考えれば、
国を狙うに者は、千歳一隅の機会。
どんな準備不足でも、やるしかないわね。自分を駒にしても。」
「ただ、ラファイアさんの存在、創派の戦士、カウシム王太子の行動で、
当初の筋書を破棄したのでしょうね。敵ながら賢いわ。」
「イルム、隠し刃は、普通、表裏一体で使う。他に誰かが、まだいると?」
ルリが、暗殺者の眼からの、意見を話す。
「主将格の人物が、隠し刃の役を担ったのよ。
その準備は、できなかったと思うわ。」
「けど、もしいるとしたら、あなたかな、カシノさん。」
「なにをバカなことを!」
訳も分からず、この部屋に呼ばれたカシノ教導士は、怒りの言葉を放つ。
「こいつは性格が悪い。カシノさん、ここは抑えてくれ。」
慌てて間に入る、キョウショウの姿を見て、エリースが笑い出し、
ルリでさえ、噴き出してしまった。
イルムも椅子から立ち上がり、頭を下げる。
場の空気が和んだとこから、イルムが改めて話し出す。
「私たちは、こうやって、もの事を解決してきたわ。表のことは、私が。
セプティ陛下に関することは、エリースが。創派のことは、キョウショウが。
そして裏のことは、ルリね。」
「私たちは、ずっとあなたを見てきた。双月教のことは、
あなたが受け持って欲しいと、思う。」
「むろん、旧教国軍のことは、リント將に頼もうと思っているけど。」
「なぜ、わたしに?」
カシノ教導士は、いぶかし気な目で、イルム將を睨む。
イルムは、満面の笑みで、その疑問に答える。
「わたしたちと、友人になれると思ったから。それで理由としては不足?」
カシノ教導士は沈黙する。しかし、その表情が緩んだときを見計らって、
イルムは右手を差し出す。
カシノも、イルムの差し出されたその手を、しっかりと握っていた。
第2章。さざなみ(4)
レリウス大公が、ミカルの奥宮のあの部屋に籠っていると、
部屋の外からその扉を開けられるのは、母たるミリア大公母と、
宰相のトリハだけと言われている。
先ほど、ミリア大公母がお尋ねになったと侍女から聞いて、
トリハは部屋の扉を叩くのを、躊躇していた。
「トリハ、何をしてる。入ってこないのか?」
中から、聞きなじみの音がきこえ、トリハは覚悟を決めて中へはいる。
小さな机を2つ並べ、片方の机には諸方面から送られた密書が、
片方の机には、いつものギム酒ではなく、数本の果実酒の瓶が、
それ以上に何本もの酒瓶が床に転がっている。
いつものように、部屋の端から、細工もなにもない実用一辺倒の椅子を
机の前に運び、トリハは黙って大公の前に座る。
重ね読まれた密書を盗み見る、一番上はアバウト学院に学ぶ、義妹キリナ君のもの
だとしたら、今考えておられるのは、当然・・・。
「教国を崩壊させた、皇国の女狐の戦略をお考えですか?」
「おうよ。だが全然読めねえ。テムスの女虎や、武国の凶虎なら
この絵図が読み解けるんだろうがな。」
「密書を読み返し、糸口をみつけられねぇかと思い、義妹たちの親書まで、
もう一回ひっくりかえしているとこさ。」
レリウス大公は、酒杯に残ってた果実酒を一気にのどに流し込む。
トリハは知っている、〖ミカルの餓狼〗とも呼ばれる、無頼の天才という印象が
本人の異常な、いや異様な努力によって、つくられているのを。
彼にとっては、寝室に違う名花を招き入れることも、苦行に等しいことも。
「陛下、教皇猊下の捕囚など、軍略を知らぬ者でしか思いつかない事。
女狐のみの考えではないと、愚臣は思いますが。」
トリハも、先ほどまで考えていて導き出した結論を、大公陛下に奏上する。
レリウスの視線が呆然と宙を彷徨う、だが次第に知性の光が宿っていく。
「そうかもしれねえ・・。いや・・そうに違いない。だが、それは誰だ。」
「女狐とは、密議のとき会いましたが、相当に強固な意思が見受けられました。
あれは軍師というよりは、一軍の將としての資質かと。」
レリウス大公は、獣が獲物を襲う時のような、危険な眼差しをトリハに向ける。
手元から酒瓶が落ち、トリハの足元に転がる。
「だとしたら、そいつは余程の力を持っているか、女狐の怒りの琴線を
震わせぬ素人か。どちらかだな。いや両方に該当する奴か。」
「御意。」
「だとすれば、・・・。」
トリハ宰相の頭に、情けない姿の若者が浮かぶ。
「その答えは、陛下の心の内に浮んだものと同じものと思います。」
「暗黒の妖精の契約者か・・・。知ってか知らずか、不沈と言われた千年を超える
宗教国家の命脈を断つ、一撃を考えたのか?」
不屈の笑みが、ミカルの餓狼に浮ぶ。
「トリハ、オレも新帝都にいくぞ。その暗黒の妖精の契約者、
単に殺せばいいというのではなくなった。
その影法師の軽重を見なければならぬ。」
「は!でしたら、教皇猊下のご機嫌伺いと言えば、女狐も拒否できますまい。」
「だが、どうせミカルを離れるなら、貴族共の大掃除もするか。」
「オレを排除したくてしかたない貴族の奴らに、反乱の隙をつくってやろうか。」
「ご自身で火を放たれ、大火事になる前に、ひねり消せますか!?」
「悪いか!?ひとつの行動で、ひとつ果実を得るだけで満足するには、
人の一生は短かすぎる。」
レリウス大公は椅子から立ち上がる。先ほどまでとは違い、
全身が生気に満ち溢れている。
「トリハ、イルト・オルク・ウルトの三將を呼べ。副宰相のリリカもな!」
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