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ⅬⅩⅫ 使嗾編 中編(1)
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第1章。貴人
昨日の夜、賊の侵入を許し、そして取り逃がした事で、紫の最高枢機卿の本宅は
上の下への大騒ぎになっていたが、賓客が使用している別宅の方は、
全くの静謐の中に揺蕩っている。
窓を開け放した部屋の中に、凛とした気を漂わせる美丈夫が座っている。
女人と見紛うばかりの端正な表情。
その男は禁書と呼ばれる数冊を、机の上に無造作にのせ、
その内の一冊を静かに紐解いている。
大気でさえ、その男に傅くように、涼しい風を外から内へ運ぶ。
「義兄上、やはりここにおいででしたか。」
勢いよく扉を開けて、凛々しい女性が入って来る。
教都ムランでは、どこにでもみる出で立ちに姿を変えているが、
品の良さは隠しきれていない。
「レティア。妙齢の女性が、はしたない。」
男の口調は、あくまでもやさしく柔らかい。
「そんなことより、賊を追ったブーリカら4人が、まだ帰ってこないのです。」
「それは困りましたね。けどレティア、私よりそちらの御方に、
お聞きしたらどうです。」
いつの間にか、全身を軽鎧に包まれた細身で長身の騎士が、部屋の片隅に
佇んでいる。
「舐めた口をきくな。あの時、私は契約者のレティアを守っただけ。
おまえを守ったのは、おまけだ。」
顔を覆う兜越しに、
その姿には似つかわしくもない、麗しい声が部屋に響く。
「《漆黒の境界》に捕えたが、あの剣の魔力でひとりを逃がし、
レティアに頼まれて、逃げる賊に目印を打ち込んだが、
それから先の事はあずかり知る事ではない。」
レティアは、騎士を軽く睨みつけ、それ以上の言葉を遮り、
何度も繰り返し発した言葉を、秀麗な義兄に向ける。
「義兄上、あれが斥候だとしたら、今日にでも本撃があるかもしれません。
武国へ戻りましょう!」
その言葉が聞こえたのか、聞こえていないのか、読んでいた本を閉じ、
男は静かに言葉を紡ぐ。
「教国の1000年以上の叡智のなかに、人が争わずにすむ術がないかと
書物の中に探してはみましたが・・・。」
「レティア、人の業というものは、神々の力を持っても救えないものかも
しれませんね・・・。」
飄々と語りながらも、彼はその場を動こうとしなかった。
あたかも、運命が扉を叩くのを、じっと待ってるかのように。
第2章。夜明け前
深夜、最終野営地から出発した2台の鉄馬車は、教国軍に察知されるのを
覚悟で、教都ムランへ急ぐ。
夜明けと同時に、教都の大聖門に到達、突入するために。
先頭の鉄馬車内で、ルリはラファイアのヒールを受け続けている。
ラファイアの代わりにリーエが、暗黒の妖精が消去しそこなった、
空間の残滓を、風の超上級妖精の魔力で粒子化している。
「あんたも、少しは出来るようになったじゃない。」
ラティスは機嫌よく、リーエに言葉を投げかける。
リーエは、 ⦅やる時はやる妖精さんです⦆のポーズを
御者台の上で、軽やかに決める。
2台の鉄馬車が駆け抜けた後には、魔力により削り固められた痕跡が
はるか帝都に続いている。
後方の鉄馬車は、ツーリアが手綱をとり、横でエリースが全方位に探知の網を
広げ、襲撃に対する警戒を怠らない。
「エリース。言っておきたい事がある。」
巧みに手綱を捌きながら、ツーリアがエリースに話しかける。
「なによ、ツーリア!?」
エリースも前を向いたままで、ツーリアに答える。
「ありがとう。」
「はぁ?」
「二度は言わない。」
「どうしたの、柄でもない!」
ツーリアの表情に、ほんの小さい翳りが浮かぶ。
「今から勝手に、ひとり言を話すわ。」
「土の妖精以外につくられた分身体は、長くはもたないの。
あのルービス様が、極上級の魔力で分身体を生み出したとしても。」
「この身体の、いたるところの異常が、残された時間が長くないのを
示している。」
「そうエリース。特にあんたとセプティは、ルービス様の
単なる付属物の一つでしかない私に、
青春という時間と思いを、与えてくれた。」
「・・・だから・・・感謝している。」
「・・・・・・・・。」
エリースは驚きを隠しながらも、ツーリアの表情を見つめる。
そして、ツーリアの表情からそれが偽りでない事を、瞬時に理解する。
しばしの間、沈黙がふたりの間を支配した。
「・・・・許さないから。・・・」
やっと、エリースが言葉を絞り出す。
「勝ち逃げは許さないから。」
「勝ち逃げ?」
「この前、学院で立ち会った時、私はなすすべもなく、あんたにやられたわ。」
「じきに消える・・・ですって。」
「あんたと、再戦して、叩きのめさなければ、私の気が済まないのよ!」
「あんたの領域に、あと10年もすれば追い付いてみせる。」
「だから、それまではこの世界にいなさいよ。これは友としての命令よ。」
「エリース・・・。」
ふたりともじっと前を向いたままで、固まっている。
知ってか知らずか、ふたつの月の光が、ふたりの周りをやさしく包んでいる。
昨日の夜、賊の侵入を許し、そして取り逃がした事で、紫の最高枢機卿の本宅は
上の下への大騒ぎになっていたが、賓客が使用している別宅の方は、
全くの静謐の中に揺蕩っている。
窓を開け放した部屋の中に、凛とした気を漂わせる美丈夫が座っている。
女人と見紛うばかりの端正な表情。
その男は禁書と呼ばれる数冊を、机の上に無造作にのせ、
その内の一冊を静かに紐解いている。
大気でさえ、その男に傅くように、涼しい風を外から内へ運ぶ。
「義兄上、やはりここにおいででしたか。」
勢いよく扉を開けて、凛々しい女性が入って来る。
教都ムランでは、どこにでもみる出で立ちに姿を変えているが、
品の良さは隠しきれていない。
「レティア。妙齢の女性が、はしたない。」
男の口調は、あくまでもやさしく柔らかい。
「そんなことより、賊を追ったブーリカら4人が、まだ帰ってこないのです。」
「それは困りましたね。けどレティア、私よりそちらの御方に、
お聞きしたらどうです。」
いつの間にか、全身を軽鎧に包まれた細身で長身の騎士が、部屋の片隅に
佇んでいる。
「舐めた口をきくな。あの時、私は契約者のレティアを守っただけ。
おまえを守ったのは、おまけだ。」
顔を覆う兜越しに、
その姿には似つかわしくもない、麗しい声が部屋に響く。
「《漆黒の境界》に捕えたが、あの剣の魔力でひとりを逃がし、
レティアに頼まれて、逃げる賊に目印を打ち込んだが、
それから先の事はあずかり知る事ではない。」
レティアは、騎士を軽く睨みつけ、それ以上の言葉を遮り、
何度も繰り返し発した言葉を、秀麗な義兄に向ける。
「義兄上、あれが斥候だとしたら、今日にでも本撃があるかもしれません。
武国へ戻りましょう!」
その言葉が聞こえたのか、聞こえていないのか、読んでいた本を閉じ、
男は静かに言葉を紡ぐ。
「教国の1000年以上の叡智のなかに、人が争わずにすむ術がないかと
書物の中に探してはみましたが・・・。」
「レティア、人の業というものは、神々の力を持っても救えないものかも
しれませんね・・・。」
飄々と語りながらも、彼はその場を動こうとしなかった。
あたかも、運命が扉を叩くのを、じっと待ってるかのように。
第2章。夜明け前
深夜、最終野営地から出発した2台の鉄馬車は、教国軍に察知されるのを
覚悟で、教都ムランへ急ぐ。
夜明けと同時に、教都の大聖門に到達、突入するために。
先頭の鉄馬車内で、ルリはラファイアのヒールを受け続けている。
ラファイアの代わりにリーエが、暗黒の妖精が消去しそこなった、
空間の残滓を、風の超上級妖精の魔力で粒子化している。
「あんたも、少しは出来るようになったじゃない。」
ラティスは機嫌よく、リーエに言葉を投げかける。
リーエは、 ⦅やる時はやる妖精さんです⦆のポーズを
御者台の上で、軽やかに決める。
2台の鉄馬車が駆け抜けた後には、魔力により削り固められた痕跡が
はるか帝都に続いている。
後方の鉄馬車は、ツーリアが手綱をとり、横でエリースが全方位に探知の網を
広げ、襲撃に対する警戒を怠らない。
「エリース。言っておきたい事がある。」
巧みに手綱を捌きながら、ツーリアがエリースに話しかける。
「なによ、ツーリア!?」
エリースも前を向いたままで、ツーリアに答える。
「ありがとう。」
「はぁ?」
「二度は言わない。」
「どうしたの、柄でもない!」
ツーリアの表情に、ほんの小さい翳りが浮かぶ。
「今から勝手に、ひとり言を話すわ。」
「土の妖精以外につくられた分身体は、長くはもたないの。
あのルービス様が、極上級の魔力で分身体を生み出したとしても。」
「この身体の、いたるところの異常が、残された時間が長くないのを
示している。」
「そうエリース。特にあんたとセプティは、ルービス様の
単なる付属物の一つでしかない私に、
青春という時間と思いを、与えてくれた。」
「・・・だから・・・感謝している。」
「・・・・・・・・。」
エリースは驚きを隠しながらも、ツーリアの表情を見つめる。
そして、ツーリアの表情からそれが偽りでない事を、瞬時に理解する。
しばしの間、沈黙がふたりの間を支配した。
「・・・・許さないから。・・・」
やっと、エリースが言葉を絞り出す。
「勝ち逃げは許さないから。」
「勝ち逃げ?」
「この前、学院で立ち会った時、私はなすすべもなく、あんたにやられたわ。」
「じきに消える・・・ですって。」
「あんたと、再戦して、叩きのめさなければ、私の気が済まないのよ!」
「あんたの領域に、あと10年もすれば追い付いてみせる。」
「だから、それまではこの世界にいなさいよ。これは友としての命令よ。」
「エリース・・・。」
ふたりともじっと前を向いたままで、固まっている。
知ってか知らずか、ふたつの月の光が、ふたりの周りをやさしく包んでいる。
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