男子校の秘密

朝飛

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翌朝。清々しい空気が優しく俺を包み、爽やかな小鳥の囀りが聞こえてきて、俺の、
「ひーめー……」
 平和な日常が、
「今日も愛してるよ」
 始まらない。
「朝っぱらからキスするんじゃねえ!!」
 今や人を殴ることにほとんど抵抗を感じなくなった俺は、その原因となった人物、琉賀尚雪に平手打ちを食らわせた。当然、頬に手形がつくほど手加減せずに。
「朝から姫の愛のムチをもらえるなんて、俺って最高に幸せ者」
「……」
 時々、俺は琉賀がSなのかМなのか分からなくなる。
 そして俺は琉賀の能天気な顔を眺めながら、昨日の出来事を思い出して頭痛を覚えた。
 昨日、琉賀の爆弾発言を受けて殺気立ったクラスメイトたちが、さらにその噂を広めていき、嫉妬に狂った奴らのリンチに遭いそうになった時、寸前で天王寺先輩に助けてもらったり。それから、どうやって琉賀をその気にさせたのかと聞かれながら、危うく襲われそうになったりと、いろんな意味で大変だった。
 何度も全ての原因をつくった琉賀に文句を言おうとしたのだが、昨日言ったあの言葉を取り消してくれる見込みは低く、また俺を守ると言い出しそうなので、自力で解決することに決めた。
 奴に守られるというのはプライドが許さない。そして、守ったからには何か交換条件でも飲まされて、あれよあれよという間にいいようにされてしまう図がありありと思い浮かぶ。
 そういうことで、俺は奴を殴り倒す代わりに避けることにした。距離を取るうちに嫉妬も怒りも興味も鎮火してくれるだろうという計画だ。
 ところが。
 移動教室の際。
「姫、次は何の授業?」
 休み時間の際。
「ひ~め、一緒に遊ぼ」
 昼食の際。
「姫、俺とランチにしませんか?」
 翌日もその翌々日もこの繰り返し。そして一週間が経過。
「だああ!もう!移動教室の時といい、休み時間の時といい、昼食の時といい、廊下ですれ違  
う度に、休み時間になる度に、欠かさず声かけるんじゃねえよ!しかも俺は姫じゃねえって
何度言わせるんだ!」
 一息に叫びながら言ってしまったせいで、全力疾走した後のように息が乱れた。
 琉賀は俺が避けてもこんな感じにしつこく付きまとってくるので、これでは意味がない。それに、これではいずれ琉賀に気付かれてしまう。
 現に、これまで幾度となく勘づかれそうになった。
 例えば、廊下で立ち話をしていた時、俺を見つめる冷たい視線に気付いたのか、琉賀はきょろきょろと周りを見回して、小首を傾げた。
 またある時は、呼び出されてリンチに遭いそうになった時も、実はそのすぐそばを琉賀が俺を探しながら通り過ぎたのだ。
 その時は心臓がいくつあっても足りないほど緊張した。
「じゃあ何て呼べばいいの?王子?」
「…………」
 俺は綺麗に無視して、草取りをしに行くために下駄箱から靴を取り出す。すると、白い何かが靴を取り出すと同時に落ちてきた。
 それは、小さなメモ用紙のようだった。拾い上げて文面を目で追う。
「……」
「幹仁?」
 ほぼ反射的に背中に隠した。琉賀は俺の行動に対し、不審そうに眉根を寄せる。
「何か隠しただろ」
「えっ……あ、やっ、別に何も?」
 隠し事が苦手なせいか、声が妙に裏返ってしまった。案の定、それで誤魔化しが効くはずもなく、琉賀に手を出された。
「見せろ」
「え~何のこと?」
 視線を泳がせながらとぼける。俺でさえ、何か隠しているのが丸分かりな態度だと思う。
「俺を見ろ」
「え?……ん……」
 冷や汗を浮かべながら、そろりと琉賀を上目遣いに見上げた途端、噛みつくようなキスをされた。
「……っん……や、めろ」
 首を捻ってその激しい口付けから逃れようとするが、しっかりと顔を捉えられているせいか、無駄な抵抗に終わる。そのうえ、俺にとって分が悪いことに、背後は壁に阻まれていて、逃げようにも逃げられなくなっている。「……んっ……ふぁっ?」
 油断してしまった。歯を食いしばらなければならなかったと後悔しても、すでに後の祭りだ。
僅かに緩んだ隙を見逃さず、琉賀はするりと俺の口内にそれを忍び込ませてきた。柔らかいそれは俺の舌に触れ、絡み付く。明らかに自分のものとは違う柔らかく湿ったものは、口の中を蹂躙し始め、何が起こったのか分からないまま、為すすべもなく翻弄される。
そして、次第にくたりと体から力が抜けていくのを感じた。信じられないことに、俺の体は奴の舌使いにやられて、腰砕けになってしまったらしい。
「ん……んくっ……」
 元から役に立たなかった抵抗力が、今や余計に意味をなくしてしまっている。それでも力なく琉賀の背中を叩いていた手は、やがて本当に力を失い、だらりとずり落ちた。
 焦りが募るほどに、体は言うことを利かなくなっていく。そして膝からも力が抜けた時、琉賀はすかさず腰に腕を回して支えてきた。
「んぅ……っぐ……」
 酸欠状態になりかけてからようやく、俺は人間の本能というやつで力を取り戻し、琉賀の股間を蹴り上げた。と思ったが、琉賀はそれをひらりと巧みに躱す。
 そして、いつの間にか取ったらしい例の紙を見ていた。
「あ……」
 体の自由を取り戻す喜びを味わう余裕もなく、俺は呆然とそれを眺める他なかった。てっきりいつもの戯れかと思ったが、これが目的で、俺の気を逸らすためにキスをしてきたのだ。
「返せよ」
 もう読み終えているだろうと分かっているが、俺は一縷の望みに賭けた。しかし、それは琉賀の態度を見て、呆気なく打ち砕かれる。
 あの琉賀が、あの変態で頭のネジが緩んだ、ストーカー疑惑のあるキス魔の琉賀が、怒っている。いや、そんな生半可な表現では足りない。憤怒、激怒、まさしくそれだ。
「あ、あの、琉賀……先輩?」
 その鬼のような形相に、気軽に話しかけるのも躊躇われ、俺は初めて先輩を付け足した。そんな俺をよそに、怒りに任せてビリビリと粉々に破り捨てながら、琉賀は吐き捨てる。
「話したいことがあるので部室に来てくださいだと?俺の姫に手を出すなんざ、いい度胸じゃねえの!」
「俺がいつ、どこで、なぜお前のもんになったんだよ!勝手に決めつけてるんじゃねえ!」
 今度こそ俺は、琉賀の股間を蹴ることに成功したのだった。
ちなみに、手紙の全文はこうだ。
「田辺君、君にどうしても話したいことがあるので、放課後に部室に来てくれないか?待ってます」
 文字の特徴や使い方から、俺は即座にある人物を思い浮かべた。
 成沢巧。
 同じ野球部の二年生で、ピッチャーをやっている。穏やかな気性の持ち主である成沢は、頭が良く、対戦相手のデータ集めなどをするのが得意だ。だからこそ俺たち野球部にとってなくてはならない存在で、野球部の頭脳《ブレーン》とも言われている。成沢は決して嫌な奴ではないし、俺はむしろいい奴だと思っていたのだが。
「まさかお前もか?お前もあのセクハラじじいがいいのか?」
 窓から校庭を見下ろし、眉を潜めて呟く。
 今琉賀のクラスはサッカーをしているため、部長だという彼がどれほど上手いのか見せてもらっているところだ。琉賀はその役職なだけあって、味方への指示も敵への攻めも適格だ。サッカーに関しては素人の俺でも、琉賀がサッカーの技量に長けていることは分かる。
 そして普段のへらへらした様子からは想像がつかないほど、サッカーをしている琉賀は真剣で、不覚にもカッコいいとさえ思えた。
「確かにあいつはルックスもいいし、俺だってカッコいいのは認める。だが、性格に多少問題が……」
 そして何度も唇を奪われたという、決して無視できない大問題が。思わずその時のことを思い出して、必死で残像を振り払っていた時。
「ひぃめーーっ、どうだーーっ俺カッコいい~?というか見惚れてたぁ?」
 琉賀が手をメガホン代わりにして叫んだ。サッカーが休憩に入ったらしい。
「見惚れてねぇよ!」
 窓から身を乗り出して叫び返した途端、頭に何かが当たる。
「いたっ」
 振り返って見下ろすと、白いチョークが落ちていた。
「姫、十三ページの七行目を読め」
「先生まで!」
 数人のクラスメイトが小さな笑い声を上げる。しかし、その他大勢が仏頂面。
「……はあ……」
 あの変態がここまでもてるのは世も末だなと思いながらも、すっかり怒る気力もなくしていた。ただ精神的に疲れ果て、大きく溜息をつかずにはいられなかった。


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