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翌日、首にガーゼを貼って出社すると、真っ先に川凪に聞かれたが、適当に誤魔化した。川凪のことだ。妻に刺されたと口を滑らせたりしたら、騒ぎ立てるところが想像に難くない。いずれ全てが解決しても、詳細を話すことはないだろう。
「木野さん、この間契約したお客様から苦情があったんだけど……」
「どの方ですか?私が対応しましょうか」
「この方なんだけどね」
矢木と話している楓子の傍を通り過ぎる際に目配せしたが、気付いた素振りを見せながらも目を合わせようとはしなかった。
少し落胆する自分に苦笑しながら、デスクの下にスマートフォンを出し、素早くメッセージを打った。
「今日から、昼休みを利用して尾行します。ちなみに女の名前は?」
返信は楓子が矢木とのやり取りを終え、席に着いた辺りで送られてきた。
「時芝美埜里です。尾行、気を付けて下さいね」
何を調べるのかといった質問もなく、至ってシンプルだ。復讐の具体的な内容については、昨夜、首の手当てをしながら大方話し合ったが、細かいところは真也に委ねているらしい。
他人の復讐に加担することになろうとは思いもしなかった。その相手が楓子でなければしなかっただろうが、今は不思議と心が少しだけ軽い。
メッセージアプリの履歴を辿り、添付された会社の地図を改めて確認すると、存外近い距離にあることに気が付いた。
彼女はこれを計算してこの会社に来たのかもしれない。
メッセージアプリを閉じ、意識を仕事へと切り替える。時刻は午前8時40分を差していた。
午前の仕事が予定通りに終われば、正午に行動を始める。残り3時間20分か。
「高藤さん、新規に契約を検討されているお客様!今ちょっと手が離せないからお願い」
「はい!」
窓口に向かうと、いかにも新婚といった感じの年若い夫婦がいた。部屋の紹介を進めるごとに、彼らの会話を聞いていると、昔のことを思い出しかける。
「すみません、この部屋を一度見せてもらうことはできますか?」
「あ、はい。できますよ。日取りはいつにされますか」
夫婦の声で我に返り、感傷に浸りかけた自分を叱咤しながら、接客を滞りなく進めていった。
それから3組目の来客対応を終えたところで、鳩時計が正午を知らせる。
「休憩行ってきます」
「はあい、行ってらっしゃい」
「高藤、俺も……って、もういない」
川凪の残念がる声を聞いた気がしたが、そのまま振り返らずに会社を出た。
薄曇りの空を何かの鳥が群れを成して飛んでいる。顔が分からないようにサングラスを用意していたが、この天気では逆に目立つだろうか。
考えながら目的の場所を目指して歩き始めると、どこからか視線を感じた気がした。一瞬、楓子が後を付けているのかとも思ったが、それならばメッセージで言ったはずだ。別の誰かだろうか。
でも、誰が?何のために?
背後を振り返って見回すが、誰の姿もない。
首を傾げながら、しばらく後ろを気にしながら歩いたが、そのうち何の感覚もしなくなった。
そこで一度立ち止まり、電柱を見上げると、止まっていたカラスが鋭い目つきで真也を見た。
脳内で赤い花がパッと咲く。
写真を手にした朱海が浮かんだ。その表情は見えない。
鈴原冬時。今まで一度も朱海の口から聞かなかった名前だ。
結婚式名簿にも、母校の卒業生にもいなかったように思う。しかし、朱海の交友関係を全て把握しているとは限らない。
もし、朱海と鈴原が知り合いなら、一体どんな繋がりが?
「どうして、どうしてよ、隆平……っ!約束、したのに。どう、して……」
朱海の悲痛な叫びが蘇った時、電柱にいたカラスが飛び立った。高く、高く。
カラスを目で追っていたが、ポケットの中でスマートフォンが震えて、思考の波から引き戻される。取り出して確認すると、楓子からだった。
「今さらですが、巻き込んでしまってごめんなさい。今ならまだ引き返せますが、どうしますか」
朱海との息苦しいまでの生活を思い、逡巡することなく、返信はすぐに打った。
「引き返しません。俺もどこかで木野さんのような人を求めていたのかもしれない。この件が終わったら、次は俺の事情に巻き込まれて下さい」
送信を完了させると、一気に視界が開けた。気持ちを切り替え、時芝の尾行を再開する。
時刻を確かめ、足早に目的の会社周辺を目指す。ちょうど昼休みを狙ったのは、この時間であれば時芝も休憩時間だろうという単純なものだ。あとは休憩を外で取るタイプならいいのだが。
見回すと、会社の周辺にレストランや喫茶店といった軽食を取れそうなところはない。少し離れた位置にあることからして、社員は社員食堂でも利用しているのかもしれない。
落胆しかけたその時、会社から時芝らしき人物が出てきた。
思わず声を上げかけたのを堪え、5メートルほど間隔を空けて尾行をしていくと、周囲を見回す動作をした。
気付かれたか。
咄嗟に建物の陰に隠れて様子を窺うと、時芝はコンビニの中に消えた。
数分後、出てきた時芝はビニール袋を提げ、近くの公園に入って行き、ベンチに腰掛けて食べ始める。そして10分きっかり経つと、食べ終えて会社に戻って行った。
時刻を確かめると、まだ休憩終わりまで時間がある。その日はそこで切り上げて昼食を取ることにした。
コンビニで買ったおにぎりを頬張りながら、楓子に一応尾行の結果を報告し、自分の会社に戻る。これを一週間ほど繰り返し、時芝が同じ休憩の取り方をしていることを確かめると、次の段階に移ることにした。
「木野さん、この間契約したお客様から苦情があったんだけど……」
「どの方ですか?私が対応しましょうか」
「この方なんだけどね」
矢木と話している楓子の傍を通り過ぎる際に目配せしたが、気付いた素振りを見せながらも目を合わせようとはしなかった。
少し落胆する自分に苦笑しながら、デスクの下にスマートフォンを出し、素早くメッセージを打った。
「今日から、昼休みを利用して尾行します。ちなみに女の名前は?」
返信は楓子が矢木とのやり取りを終え、席に着いた辺りで送られてきた。
「時芝美埜里です。尾行、気を付けて下さいね」
何を調べるのかといった質問もなく、至ってシンプルだ。復讐の具体的な内容については、昨夜、首の手当てをしながら大方話し合ったが、細かいところは真也に委ねているらしい。
他人の復讐に加担することになろうとは思いもしなかった。その相手が楓子でなければしなかっただろうが、今は不思議と心が少しだけ軽い。
メッセージアプリの履歴を辿り、添付された会社の地図を改めて確認すると、存外近い距離にあることに気が付いた。
彼女はこれを計算してこの会社に来たのかもしれない。
メッセージアプリを閉じ、意識を仕事へと切り替える。時刻は午前8時40分を差していた。
午前の仕事が予定通りに終われば、正午に行動を始める。残り3時間20分か。
「高藤さん、新規に契約を検討されているお客様!今ちょっと手が離せないからお願い」
「はい!」
窓口に向かうと、いかにも新婚といった感じの年若い夫婦がいた。部屋の紹介を進めるごとに、彼らの会話を聞いていると、昔のことを思い出しかける。
「すみません、この部屋を一度見せてもらうことはできますか?」
「あ、はい。できますよ。日取りはいつにされますか」
夫婦の声で我に返り、感傷に浸りかけた自分を叱咤しながら、接客を滞りなく進めていった。
それから3組目の来客対応を終えたところで、鳩時計が正午を知らせる。
「休憩行ってきます」
「はあい、行ってらっしゃい」
「高藤、俺も……って、もういない」
川凪の残念がる声を聞いた気がしたが、そのまま振り返らずに会社を出た。
薄曇りの空を何かの鳥が群れを成して飛んでいる。顔が分からないようにサングラスを用意していたが、この天気では逆に目立つだろうか。
考えながら目的の場所を目指して歩き始めると、どこからか視線を感じた気がした。一瞬、楓子が後を付けているのかとも思ったが、それならばメッセージで言ったはずだ。別の誰かだろうか。
でも、誰が?何のために?
背後を振り返って見回すが、誰の姿もない。
首を傾げながら、しばらく後ろを気にしながら歩いたが、そのうち何の感覚もしなくなった。
そこで一度立ち止まり、電柱を見上げると、止まっていたカラスが鋭い目つきで真也を見た。
脳内で赤い花がパッと咲く。
写真を手にした朱海が浮かんだ。その表情は見えない。
鈴原冬時。今まで一度も朱海の口から聞かなかった名前だ。
結婚式名簿にも、母校の卒業生にもいなかったように思う。しかし、朱海の交友関係を全て把握しているとは限らない。
もし、朱海と鈴原が知り合いなら、一体どんな繋がりが?
「どうして、どうしてよ、隆平……っ!約束、したのに。どう、して……」
朱海の悲痛な叫びが蘇った時、電柱にいたカラスが飛び立った。高く、高く。
カラスを目で追っていたが、ポケットの中でスマートフォンが震えて、思考の波から引き戻される。取り出して確認すると、楓子からだった。
「今さらですが、巻き込んでしまってごめんなさい。今ならまだ引き返せますが、どうしますか」
朱海との息苦しいまでの生活を思い、逡巡することなく、返信はすぐに打った。
「引き返しません。俺もどこかで木野さんのような人を求めていたのかもしれない。この件が終わったら、次は俺の事情に巻き込まれて下さい」
送信を完了させると、一気に視界が開けた。気持ちを切り替え、時芝の尾行を再開する。
時刻を確かめ、足早に目的の会社周辺を目指す。ちょうど昼休みを狙ったのは、この時間であれば時芝も休憩時間だろうという単純なものだ。あとは休憩を外で取るタイプならいいのだが。
見回すと、会社の周辺にレストランや喫茶店といった軽食を取れそうなところはない。少し離れた位置にあることからして、社員は社員食堂でも利用しているのかもしれない。
落胆しかけたその時、会社から時芝らしき人物が出てきた。
思わず声を上げかけたのを堪え、5メートルほど間隔を空けて尾行をしていくと、周囲を見回す動作をした。
気付かれたか。
咄嗟に建物の陰に隠れて様子を窺うと、時芝はコンビニの中に消えた。
数分後、出てきた時芝はビニール袋を提げ、近くの公園に入って行き、ベンチに腰掛けて食べ始める。そして10分きっかり経つと、食べ終えて会社に戻って行った。
時刻を確かめると、まだ休憩終わりまで時間がある。その日はそこで切り上げて昼食を取ることにした。
コンビニで買ったおにぎりを頬張りながら、楓子に一応尾行の結果を報告し、自分の会社に戻る。これを一週間ほど繰り返し、時芝が同じ休憩の取り方をしていることを確かめると、次の段階に移ることにした。
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