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20 ルーシーの婚約者
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ルーシーの表情は分からないが、フィリップは朗らかな笑顔を浮かべ、声音も楽しげなものだった。クローディアの記憶によれば、フィリップは公衆の面前で「俺の命はリリアナ様のものだ」と宣言したり、剣術大会で優勝した後、ルーシーの前を素通りしてリリアナの祝福を受けに行ったりと、何かとルーシーをないがしろにしている印象が強い。しかしああして二人でいるときは、それなりに愛想良くふるまっているのだろうか。
(なんにしても、婚約者同士の会話を邪魔するのは良くないわよね……)
クローディアはそう判断し、さりげなく二人の後ろを通って教室に入ろうとした。ところが扉に手をかけるより前に、二人の会話が耳に飛び込んできた。
「それからこれが古代語のテキストの翻訳で、こちらが歴史学の授業ノートです」
「おお、助かるわ。ルーシーはいつも頼りになるな」
「いえ……」
「あれ? 地学のレポートがやってないけど」
「え、それはうかがっておりませんが」
「そっか、言い忘れてたかなー。まぁ提出は明日だから、悪ぃけど明日までに頼むわ」
「え、明日、ですか……」
「ああ、ルーシーならなんとかできるだろ。多少手抜きでも構わないからさ。あ、もちろんいくら手抜きでもお前と内容被るのは勘弁な。そこはちゃんと変えてくれないと――」
「お早うございます、ルーシー様。それからエヴァンズ様もお早うございます!」
即座に方針転換を決めたクローディアは、元気よく二人に声をかけた。
ルーシーは「お早うございます、クローディア様」とどこかぎこちない笑顔を浮かべ、フィリップは「もしかして、あのラングレー嬢か?」と目を見開いた。
「へえ、噂には聞いてたけど、見た目が変わったっていうのは本当だったんだな。結構見られるようになったじゃないか」
挨拶も返さずに人の外見をあれこれ言うとは、随分と礼儀知らずな男である。少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』において、フィリップは明るくお調子者のムードメーカーといった位置づけだったが、こうしてみるとただの不快な脳筋だ。
「ええ、ちょっとした気分転換ですの。ところで先ほど小耳に挟んだのですけど、エヴァンズ様はルーシー様にレポートをやってもらうつもりなんですの?」
「いや、まあ、俺は生徒会の仕事が忙しいからな。つーか、俺たち婚約者同士の話にお前が何か関係あるのか?」
「ええ、もちろん何の関係もありませんわ。ただ部外者として純粋にびっくりしているだけですわ。だってそれは不正じゃありませんの? 仮にも生徒会役員で、おまけに騎士を目指している方が不正だなんて、もう本当にびっくりですわ!」
「おいお前、あまり大きい声出すなよ」
「びっくりですわ! 不正だなんて! 不正だなんて!」
「お前――」
「あ、あの、フィリップ様!」
それまでおろおろしていたルーシーが、意を決したように口を開いた。
「私もその、やっぱり学院の課題は自力でやるべきだと思います。ですからその、地学のレポートはご自分でやってくださいませ」
「おいルーシー、お前までなにを言ってるんだ」
「申し訳ありません。実は私も前からずっと思っていたんです。他の宿題についても、これはからはもうお引き受けできません」
「それは困るよルーシー、俺は生徒会の仕事が大変なんだ。暇なお前がちょっとくらい手伝ってくれたっていいじゃないか。婚約者同士はお互い助け合うものだろう?」
「そ、それはリーンハルト会長に言って、生徒会のお仕事をセーブさせてもらえばいいのではないかと思います。それじゃあの、私はこれで、ごきげんよう!」
ルーシーは頭を下げるなり、フィリップを置いて自分の教室に入って行った。クローディアは慌ててその後を追った。
「……お見苦しいところをお見せしました」
教室に入ると、ルーシーはうつむいたまま小さな声で言った。
「クローディア様にはっきりおっしゃっていただいて助かりました。私も前から良くないことだって思ってたんですけど、フィリップ様に頼まれると断れなくて……」
「ルーシー様、立ち入ったことをお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「ルーシー様はエヴァンズ様を愛してらっしゃいますの?」
「分かりません。父が持ってきた縁談ですし。父は騎士団長のご子息と縁が結べたと大変喜んでいるので、私はお会いしてからずっとあの方の意に沿うように必死で……自分があの方を好きか嫌いかなんて考えたことがありませんでした」
ルーシーは自嘲するように微笑んだ。その笑顔はどこか儚げで、胸が締め付けられるようだった。
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!」において、ルーシー・アンダーソンはモブ扱いだ。やりたい放題した挙句に破滅するクローディア・ラングレーと違って、大人しいルーシーは特にリリアナの邪魔をすることもないし、婚約者ともめ事を起こすこともないため、リリアナ中心の世界観に置いてはあまり重要ではないのだろう。
だから前世の知識をもってしてもルーシーがこの先どうなるのかは分からない。
(だけどあの脳筋と結婚しても、幸せになれるとは思えないのよね……)
ルーシーはフィリップとの婚約を解消するわけにはいかないのだろうか。跡取り娘のクローディアと違ってルーシーは嫁入りする立場だし、そう簡単ではないのは自分にも分かっているのだが。
一限目の授業が始まるまで、クローディアはそんなことを考えていた。
(なんにしても、婚約者同士の会話を邪魔するのは良くないわよね……)
クローディアはそう判断し、さりげなく二人の後ろを通って教室に入ろうとした。ところが扉に手をかけるより前に、二人の会話が耳に飛び込んできた。
「それからこれが古代語のテキストの翻訳で、こちらが歴史学の授業ノートです」
「おお、助かるわ。ルーシーはいつも頼りになるな」
「いえ……」
「あれ? 地学のレポートがやってないけど」
「え、それはうかがっておりませんが」
「そっか、言い忘れてたかなー。まぁ提出は明日だから、悪ぃけど明日までに頼むわ」
「え、明日、ですか……」
「ああ、ルーシーならなんとかできるだろ。多少手抜きでも構わないからさ。あ、もちろんいくら手抜きでもお前と内容被るのは勘弁な。そこはちゃんと変えてくれないと――」
「お早うございます、ルーシー様。それからエヴァンズ様もお早うございます!」
即座に方針転換を決めたクローディアは、元気よく二人に声をかけた。
ルーシーは「お早うございます、クローディア様」とどこかぎこちない笑顔を浮かべ、フィリップは「もしかして、あのラングレー嬢か?」と目を見開いた。
「へえ、噂には聞いてたけど、見た目が変わったっていうのは本当だったんだな。結構見られるようになったじゃないか」
挨拶も返さずに人の外見をあれこれ言うとは、随分と礼儀知らずな男である。少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』において、フィリップは明るくお調子者のムードメーカーといった位置づけだったが、こうしてみるとただの不快な脳筋だ。
「ええ、ちょっとした気分転換ですの。ところで先ほど小耳に挟んだのですけど、エヴァンズ様はルーシー様にレポートをやってもらうつもりなんですの?」
「いや、まあ、俺は生徒会の仕事が忙しいからな。つーか、俺たち婚約者同士の話にお前が何か関係あるのか?」
「ええ、もちろん何の関係もありませんわ。ただ部外者として純粋にびっくりしているだけですわ。だってそれは不正じゃありませんの? 仮にも生徒会役員で、おまけに騎士を目指している方が不正だなんて、もう本当にびっくりですわ!」
「おいお前、あまり大きい声出すなよ」
「びっくりですわ! 不正だなんて! 不正だなんて!」
「お前――」
「あ、あの、フィリップ様!」
それまでおろおろしていたルーシーが、意を決したように口を開いた。
「私もその、やっぱり学院の課題は自力でやるべきだと思います。ですからその、地学のレポートはご自分でやってくださいませ」
「おいルーシー、お前までなにを言ってるんだ」
「申し訳ありません。実は私も前からずっと思っていたんです。他の宿題についても、これはからはもうお引き受けできません」
「それは困るよルーシー、俺は生徒会の仕事が大変なんだ。暇なお前がちょっとくらい手伝ってくれたっていいじゃないか。婚約者同士はお互い助け合うものだろう?」
「そ、それはリーンハルト会長に言って、生徒会のお仕事をセーブさせてもらえばいいのではないかと思います。それじゃあの、私はこれで、ごきげんよう!」
ルーシーは頭を下げるなり、フィリップを置いて自分の教室に入って行った。クローディアは慌ててその後を追った。
「……お見苦しいところをお見せしました」
教室に入ると、ルーシーはうつむいたまま小さな声で言った。
「クローディア様にはっきりおっしゃっていただいて助かりました。私も前から良くないことだって思ってたんですけど、フィリップ様に頼まれると断れなくて……」
「ルーシー様、立ち入ったことをお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「ルーシー様はエヴァンズ様を愛してらっしゃいますの?」
「分かりません。父が持ってきた縁談ですし。父は騎士団長のご子息と縁が結べたと大変喜んでいるので、私はお会いしてからずっとあの方の意に沿うように必死で……自分があの方を好きか嫌いかなんて考えたことがありませんでした」
ルーシーは自嘲するように微笑んだ。その笑顔はどこか儚げで、胸が締め付けられるようだった。
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!」において、ルーシー・アンダーソンはモブ扱いだ。やりたい放題した挙句に破滅するクローディア・ラングレーと違って、大人しいルーシーは特にリリアナの邪魔をすることもないし、婚約者ともめ事を起こすこともないため、リリアナ中心の世界観に置いてはあまり重要ではないのだろう。
だから前世の知識をもってしてもルーシーがこの先どうなるのかは分からない。
(だけどあの脳筋と結婚しても、幸せになれるとは思えないのよね……)
ルーシーはフィリップとの婚約を解消するわけにはいかないのだろうか。跡取り娘のクローディアと違ってルーシーは嫁入りする立場だし、そう簡単ではないのは自分にも分かっているのだが。
一限目の授業が始まるまで、クローディアはそんなことを考えていた。
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