まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

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本編

88:執拗な上書き

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しばらくするとノルは体を離し、膝の上から下ろす。先に立ち上がると、ぬいの手を取った。そろそろ日が落ちる。暗くなる前に戻るのだろう。言いようのない寂寥感を覚えると、ノルはなぜか意地の悪い表情を浮かべる。

「で、あいつにどこまで許した」
そう言うとノルは手を握り締めてきた。

「急にどうしたの?早く戻らないと周り見えなくならない?」

「一本道だし、灯かりは御業に頼らずとも別の手段がある。さあ、早く答えてくれ」

ノルがにじり寄る。離れがたさから一変し、ぬいは正反対のことを思う。無意識に一歩後ろに下がっていた。

「鍋島くんとは恋人でもなんでもなかったんだよ?」
「手はつないでいただろう?」
薄く微笑むノルの表情はどことなく怖い。

「……まあ手ぐらいは」
綠は鍋島が痛みに苦しんでいるとき、よく手を取って励ましの声をかけ続けていた。また逆もしかりである。

ノルはぬいの指に絡ませるように組み始める。撫でてくる指がくすぐったい。断じてこんなつなぎ方はしていないと言えるだろう。

「えっ、あのー、ノルくん?」
問いかけるがノル行動は止まらない。何度も名を呼ぶと、名残惜しそうに手を解く。安堵した瞬間、指先を捕まれ手の甲へ口付けられた。

「なっ、えっ、ちょっと。そ、それはノルくんがはじめてだから」
恥ずかしさのあまり、目をつぶって顔を背ける。

「ここへ来てからという意味では?」
「ないっ!ないから!元の世界で無理にそんなことしたら、普通に訴えられて捕まるよ」

首をブンブンと振るが、あまりにも振りすぎたせいで少し気持ち悪くなる。

「ははっ、僕は大分前から犯罪者というわけだ」
ぬいがそっと目を開けた瞬間、ノルは不敵な笑みを浮かべていた。

「本人の許可があるか、こっ、恋人だったら……別に」
後半になるにつれ、声が小さくなる。

「聞こえないな」

背中に手を当てられると、ノルの胸元に引き寄せられる。その行動は強引であったが、ぬいが顔を打たないように、手加減していたようだ。

反対の手で肩に手を置くと、首を撫でるように移動し半ばで手が止まった。物言いたげな目でぬいのことを見つめると、首元に顔を近づけようとする。

「ノルくん!さすがにだめだよ!」
真っ赤になって止めに入ると、ノルはしかれた子供のように距離を戻した。

「だったら、ここはないということか?」
「わたしがやったのは、脈拍の確認だけだって!」

ついでに言うのであれば手も含まれるが、今更そんなことを追加すればどうなってしまうか分からない。ノルは、ただでは帰らなかったのかぬいの髪を一房つまんでいた。それを引き寄せると愛おしそうに口付ける。

「ヌイのにおいを感じたかった」
「うっ、それ絶対に違うと思う。ただの整髪料のにおいだよ」
ぬいが首を振ると、髪はノルの手から零れ落ちた。

次にノルの手は頬にたどり着く。感触を楽しむかのように、柔らかく押された。

「これもか?」
ノルが問う。その質問に拒否権はない。

「ほっぺを触るくらいは……するでしょ」
ぬいは目をそらしながら言う。こんなむず痒い雰囲気では決してなかった。どちらかというと、人命救助の意味で。さらに言えば、叩いたりしたくらいである。

当然であるが思い返しみると、綠と鍋島の行動はほぼ命に関わる関連のことばかりで、甘さの欠片もない。

「なら、ここは?」
ノルはぬいの前髪をかき上げると、止める間もなく口付けた。一瞬のことだった。後から生々しい触感がよみがえり、ぬいの顔は熱を上げる。

「ここもだな」
さらにノルは両頬に口付ける。自覚させるためか、わざと音を立ててきた。その甘ったるさに、ぬいはめまいをおこしそうになる。かつてないほど顔の距離が近いと思うと、離れていく。

「な、ないよ!」
ぬいは恥ずかしさのあまり、細かいことを言う前に強く否定する。

「病室でそんなことしてたら、大問題だよ!二次感染が起こるって大騒ぎだから!」
最もあの慌ただしく荒れた病室では、そんな監視すらなかったかもしれない。ぬいは追想する自分の目を見られまいと閉じる。すると、瞼に柔らかい何かが押し付けられた。

「だっ、だから言ったでしょ!そこも同じだよ」
目を開けると、いたずらを成功させた少年のようにノルは笑っていた。その表情にぬいは胸を締め付けられる。

「ここは?」
ノルは軽く鼻を触る。すると、ぬいははじめてあったときのことを思い出し、頬を膨らませた。

「ノルくんさ、最初わたしの鼻をつぶそうとしたよね」
むくれるぬいを落ち着けるように、ノルは頬を撫でる。

「あれは……本当に悪かった」
ノルの気落ちする表情に、ぬいはそこまで言うつもりはなかったと言おうとした。しかし、その前にノルの顔が近づいたと思うと、鼻同士が軽く接触する。そのあとでおでこをつけるとノルは口を開く。

「もうあんな真似など二度としない。次からはこうする」
「うん、わかった」
ノルの謝罪を笑顔で受け入れると、額は離れて行った。わずかな名残惜しさを感じる間もなく、あごに手を添えると上を向かされた。さらに親指があごから唇へと移動すると、一回二回と往復して撫でられ軽く押された。

「ここは?」
ぬいは顔から湯気が出るのではないかと思った。いつもはノルの方が照れていたというのに、余裕そうに見える。愛おし気に見つめる姿が直視できないが、顔を逸らすことはさせてくれない。逃がすまいと言わんばかりに、ノルの手の存在を感じる。

「あ……うぁ……だっ、だから、わかるよね!?今まで誰もそんなことする人いなかったって」
「そうか、僕がはじめてか」

心底嬉しそうな声と共に、ノルの顔が近づく。ぬいは反射で目を閉じると、唇に暖かなものを押し付けられる。

その衝撃に息が止まると思った。そして理解した。だからこそ、この痛みを感じないために感情が封印されていたのではないかと。愛おしくて、苦しくて、今すぐにでも死んでしまいそうである。

口付けは一回では終わらず、何度も角度を変え優しくついばまれる。その心地よさに溶けてしまいそうだとぬいは思う。力が抜けおちそうになったとき、ノルの顔が離れると抱きしめられた。

「ヌイ、選んでくれてありがとう。神に誓って幸いをもたらし、愛し続けよう」
神々と言い方をしないのは、きっとぬいの弟に対してのものだからだろう。


「ずっと一緒だ」
「死がふたりを分かつまで、か」
ぬいが寂しそうにもらすと、ノルは両腕に力を入れてさらに抱擁を深める。

「いいや、死んでも一緒だ」
ぬいの言葉の意味を分かってからこそのの言葉だと。そう理解できる。

「ノルくん、こちらこそありがとう……諦めでないでくれて。わたしは今とても幸せだよ」
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