まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

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本編

77:過敏な感情

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それからまた数日、やはりぬいはノルと会うことがなかった。いっそ直接屋敷に行こうと行動するが、前は連れられただけであり、道がまったくわからない。大きな邸宅がある付近をうろうろするが、一軒一軒の敷地が広すぎたため、断念した。

食事量が減ったからと言って、ぬいは週末の買い食いをやめることはなかった。収入源は絶たれたが、元々莫大な食費に賃金を持っていかれたため、しばらく心配するほどではない。

常識的な量を注文すると、本当にいいのかと何度も確認され、最終的におまけもつけてくれた。ぬいは一人ベンチに座って、ゆっくりかみしめていた。

日の光にあたり、街中をあちこち移動し、おいしいごはんを食べる。綠であったとき、叶わなかった夢。そんな何気ないことに幸せを覚える。

完食後、無防備にうとうとしていると急に息ができなくなった。さすがにこれはおかしい。目を見開くと目の前に不満げな顔をしたノルがいた。

「ようやく起きたか。僕がいなくても、ずいぶんと幸せそうだったな」
そう言うと、ノルはぬいの鼻から手を離した。どうやらつままれていたらしい。

「口も塞いでおけばよかったか」
「さすがに息できなくなるから、それは困るよ」

さらりと返すと、ノルは不機嫌になる。どこか刺々しい物言いに加えて、まるで前の関係に戻ったようである。

「ノルくん記憶なくしたとかじゃないよね?」
「なくしていたのはそっちの方だろう」

反論できないことを言われ、ぬいは言葉に詰まる。このことから、ノルは自分を助けてくれた時の記憶を持っている確証を得た。だが、今だ不安であった。

「……えっと、わたしの名前わかる?」
ぬいは胸に手を当てると、伺いながら首をかしげた。

「っは、バカにするな。ヌイの名を忘れてどうする」

どうやらきちんと認識しているらしい。厳しい目つきとはいえ、久しぶりに名を呼ばれたからか、ぬいはどことなく落ち着かない気持ちになる。

「そっ、そういえば。ノルくんいつの間にわたしのこと名前で呼んでたよね。前はずっと堕神呼ばわりだったのにさ」

照れを隠すように、少しだけ早口で質問する。

「手に入れたいと思った人の名を呼ぶのは、当然のことだろう?」
「………え?」

なんてことのないように、ノルは返答する。その表情は照れもせず、至って真面目である。ぬいは照れ隠しどころか、完全に赤面し顔を膝にうずめた。

「ヌイ、顔をあげてくれ」
真っ赤になった顔を見られていたのだろう。打って変わって、ノルは甘い声で呼びかける。

「いーやーだ!」
「そうか、可哀そうに。ヌイは腹痛で動けなくなったのか」

もし表情が見えていたならば、さぞニヤニヤしていたことだろう。ノルはぬいのすぐ横に腰を下ろすと、背中を優しくさすってきた。頬どころか全身があつくなる。

「それも、やめてー」
声に力が入らず、しまりのない物言いになる。

「だったら、顔をあげてくれ。本当に具合が悪くないのか、見てみないとわからない」

このままの状況を続ければ、ぬいは他者から見ても腹痛で悶える人になるだろう。横には買い食いのあとがあるので、言い逃れはできない。それはいくらなんでも恥ずかしかった。

「わかったよ!顔を上げるから、やめてね」

ノルの手が離れ、ぬいはそっと顔を上げる。思っていた以上にノルとの距離が近い。密着されていないからと、油断していたようだ。

「かわいいな、ヌイは」

心の底からそう思っているという表情を近距離で認識してしまう。その表情は柔らかく、どことなく甘さを含んでいる。

ぬいはまた顔を伏せた。



「ところで、ノルくんはここになにしに来たの?」
未だ落ち着かない頬を戻そうと、ぬいは手を当てる。

「ヌイにただ会いに来ただけだ」
「うっ、そういうことじゃなくてね」

目を逸らすと、頬に当てた手に力を入れる。

「会いに来るだけなら、日が落ちたあと宿舎に行った方が確実だよね?そうせずに、わたしの行動範囲にあたりをつけて、わざわざ探してくれた」

「一刻も早くヌイの顔を見たかった。それではだめか?」
「もー!思考を乱さないでよ!」
ぬいは首をブンブン振る。その様子を見て、ノルは楽しそうに笑う。

「なんか随分押しが強くない?こんなにぐいぐい来なかったよね?以前の可愛げのあるノルくんは、いったいどこに行ったの?」

「一度君を失いかけたんだ。けど、こうして今は戻ってきた。照れたり物怖じしている場合ではないからな」

「うっ……いくら感情が戻ったっていっても、ここまで過敏なのは直後だからであって。元はこんなんじゃないからね。本当はもっと年相応に落ち着いてるから!」

頬から手を離すと、膝にあて目を閉じ深呼吸する。一旦落ち着こうとの行動だったが、そうさせてはくれない。

「ひゃっ、なに!?」

頬をつつかれる感覚に目を開けると、ぬいは飛び上がる。まるではじめて会った時のようだと、思い出す。ただ大きく違うのは、そこに好意があるというところである。

「以前僕を落ち着かせようと、頬を触っただろう。それを返そうとしただけだ。確かに敏感だな」

悪びれもせず、ノルは言う。ぬいはじりじりと後ろに下がり、距離を取った。警戒する猫のような姿にノルはまた笑う。

「と、とにかく!別の用があるのは確実。言ってごらん。助けがいるなら、わたしはなんだろうと付き合うよ」
ノルには返しきれない恩がある。浄化だろうとも、なんでもするつもりでいた。

「なら僕と二人で旅に出てもらおうか」
「え、無理」
即否定すると、ノルの顔色が悪くなる。まるでこの世の終わりかのようだ。

「そうか、嫌ではなく無理か……」
「そういう意味じゃなくて、あー落ち込まないでって」
ノルにに近づくと、頭を撫でる。だが、それでも元に戻らない。

「ごめんね。言い方が悪かったよ。さっきも言った通り、今はすべての刺激が強すぎて」

背中に腕を回すと、軽く叩く。よしよしと、子供をあやすようなことをしていると、不意に腕を捕まれた。

「ノルくん?」
上げた顔はとても悪そうな表情をしていた。

「捕まえた」
両腕を押さえられる。痛くはないが、その力は強い。非力なぬいが抵抗しても、びくともしないだろう。

「やっと、正面から見てくれた。照れる顔がずっと見たかったが、目を合わせてくれないのは……少し寂しかった」

正直な感情の吐露に、ぬいの胸は痛くなる。それが申し訳なさなのか、好意なのかはまだ不明である。

「わたしもあれから会えなかったのは、なんだか不安だったし、つまらなかったよ」
正直さにはそのまま返そうと、素直な気持ちを告げた。

「あんなに幸せそうに昼寝をしていたのに、か?」

「ノルくん……意外と根に持つね」
「いくらなんでも、無防備すぎだ」

どうやら過保護でもあるらしい。ぬいはこれから、外で寝ることは控えようと決心した。

「……契約の魔法を覚えているか?」
急にずいぶん前のことを問われ、思い出すのに時間がかかった。

「う、うん」
「あれをすぐ解くように神から申し付けられた」

複数ではなく、たった一人のことを指す。そのことから、ぬいの弟であることが分かる。

「なんで、急に」
あの契約に時間制限はついていない。それゆえ、旅立つのはずっと先だろうと考えていた。

アイシェから聞いた様子では、そう簡単に生きていける甘い国ではない。丹念に準備をしなければ、よくてすぐ帰国。悪ければ死ぬに違いない。

「身内の足の骨が折れる。そんな可能性がずっと残るのは嫌だからだろう」
「……確かに、それは嫌だね」

ぬいだけではなく、ノルにもその可能性はある。早いうちに何とかしておいたほうがいい。

「ここから数日ほどで国境に着く。魔法を解いて、すぐに戻ろう」
「そうだね。わたしにまだ旅は無理そうだ」

世界を見て回りたい。その気持ちはまだある。だが、綠のときのように簡単にできることではない。

「そう残念そうな顔をするな。今回も次も、僕が連れて行こう」
「えっ、ノルくん本当に着いてきてくれるの?」

契約内容はあくまで旅の援助をするだけである。

「貴族で当主なんだから、忙しいよね?そんなに家を空けて大丈夫なの?」

「そのための準備だ。ヌイに会えない間、不在時の手配、親族への通達、見合いの返事、浄化の代役。全てを終わらせてきた」
あれこれ言っていたが、ぬいは見合いの返事という言葉しか頭に入ってこなかった。

ノルがぬいに好意を持っているのは、もはや言われずともわかる。だからと言って、アイシェやミレナの言うような関係になるわけではない。鍋島の時のように想いを伝えて終わることもあるだろう。

ぬいはこの世界で生まれたわけではなく、完全な人間ですらなかった。戸籍が存在するかは不明だが、書類にぬいという名はないだろうし、どうあがいても異分子である。

そんな存在が貴族とどうにかなるなど、あり得るのだろうか。そもそも自分がそれを望んでいるかも、まだはっきりしない。

鍋島との決闘で勝利し、今のノルに寿命に関する問題はない。若く力があり、見た目も整っている。そうなると、本人の意思がどうであれ、周りが放っておかない。ぬいは愛人になるくらいだったら潔くこの国を出るだろう。

「ヌイはなにも準備をする必要はない。明日、ついて来て欲しい」

この先どうなるかは、なにもわからない。今無駄に考えていても仕方がないと、ぬいは頷いた。
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