まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

文字の大きさ
上 下
70 / 139
本編

69:せき止められたものがあふれ出す

しおりを挟む
「それでさ、本当にケガはないんだよね?」

「かすり傷一つない。気になるなら確認してみるか?」

ノルは服を脱ごうとするが、ぬいは首を振って拒否した。

「いいって!何度も言うけど、ヴァーツラフがそこに居るからね?」

「知っている。ヌイは僕が服を着ていようが脱いでいようが、なにも気にならないんだろう?」

果たして感情と記憶が戻っているのかと、どこか試すように言う。

「気になるよ!」

顔を赤くして大声で言うと、ノルはあからさまににやけ始めた。

「そうか、ヌイは僕のことが気になるのか」

「うう……あれはただの救護であって……ごめん、ちょっと何も言わないでくれる?戻った記憶と感情でもう、わけがわからなくなってきた」

頭に手を当てると立ち上がる。もちろんノルに止められた。

「どこへ行く?」

「いや、すぐそこだよ。セドニクさん放っておいたら可哀そうでしょ。ちゃんと謝っておきたいし、いいからノルくんはここで待ってて」




「これは、異邦者ヌイ。本当に元に戻ったのかい?」

扉を開けて外へ出ると、ペトルが驚いた表情でぬいのことを見た。

「はい、その節はご迷惑をおかけしました」

「いや、私は何も。むしろこの先の未来への布石が打てたしね。それよりもノルベルトのことを頼んだよ」

ペトルはそう言うと手を出そうとしたが、すぐにひっこめた。開きっぱなしの扉を一瞥すると、小さく「怖いなあ」とどこか嬉しそうに呟く声が聞こえた。

「頼むって、わたしノルくんのなんでもありませんよ?」

「でも、わかってるよね?」

「うっ、それは……そうですけど。まだ問題も多いですし」

ぬいはばつが悪くなり、目を逸らす。

「そうかもしれないけど、あれだけ一途に想っていたんだ。どうか、ちゃんと向き合って欲しい」

ペトルが真剣な声色で言うと、ぬいは逸らした目を戻し頷いた。

「スヴァトプルク家の当主はこうと決めたら、まっすぐだ。覚悟しておくんだね」

楽しそうな声色で言うと、彼はは去って行った。



「遅い」
「遅くないよ!ずっと、そこで見てたよね?」

ノルは不満そうに目を細めて座っていた。待っている間に杖を回収していたらしく、苛立ちを表すかのようにカツカツと地面にぶつける。

この不機嫌さは自分を求めてくれている証であり、不快ではない。

「……えっと。その、ノルくん。ごめんね、そしてありがとう。あきらめないでくれたから、わたしは自分と立ち向かえた。過去の記憶を取り戻そうって思ったんだ」

「ん?立ち向かえていなかったと思うが。簡単に映しの自分に飲まれていただろう?」

「うっ‥‥そうだけど」

確かにノルに言う通り、偽物の誘惑に負けている。ぬいは何も言えなくなった。

「ヌイがそう思ってくれたのは嬉しい。けど、まだ精進が必要なようだな。今後は僕の家に住み、一緒に生活を共にして訓練していけばいい」

いつの間にか立ち上がっていたのか、ぬいとの距離を詰めていく。

「ん?どういうこと?なんかノルくん近くない?」

「気のせいだ」

否定しながらも、なお歩みを進めていく。

「此度のそなたの手腕、見事であった」

ぬいが手を伸ばして、突っぱねようとしたとき。いつの間にか傍に居たヴァーツラフが急に声をかける。ノルは瞬時にその場に跪いた。

「神々に感謝を」

「異邦者ぬいの祝福は強い。愛や勇気、奇跡などでどうにかできるものではない。それを掻い潜り、記憶を戻したいという意思を引き出した。その時点でそなたの勝ちだ」

ぬいが完全に戻ったのはノルの行動からだと思っていた。だが、きちんと考えた策略の方が評価されていたようである。

「実に人間的であった、神はこの光景を見てくださっているだろう」

ヴァーツラフはそう言うと、略式の祈りを捧げる。ぬいはその様子を見て思うことがあった。

「なんか、ヴァーツラフ楽しそう」

ぬいがそう言うと、眉間にしわをよせて押し黙った。怒っているわけではなく、考えているのだろう。

「……さて、あとは鍋島くんのことだ」

跪いたノルを長椅子に座らせると、ぬいもその横に座る。

「絶対に過去映しはしないほうがいいと思う。あの方法で思い出したら、鍋島くんは絶対に耐えられない。なにより、わたしみたいに暴れたら大変なことになるし」

ぬいが完全に壊れてしまわなかったのは、その前に決意したからだ。だが、彼に同じようなことがあったとは思えないからである。それがなければ、精神が崩壊してしまうだろう。

「あいつが今の状態で堕神になれば、確かに面倒だが……待て、堕神か」

ノルはなにかを思いついたのか、考えている。

「わたしでも大変なことになっちゃったからね。本当に申し訳なさすぎる、どうしようこれ」

ボロボロになった礼拝堂を見て言う。

「否、ここはこの者の中心地。数日経てば戻すことが可能である」

「えっ、そうなの?」

ヴァーツラフが頷く。ノルも知らなかったのだろうか、驚いている。

「でも、やっぱりごめんね二人とも。迷惑かけちゃって」

「確かに常人だったら敵わないだろうが、君は堕神にしては弱すぎだ」

「それ、本当に言ってるの?無理してない?」

訝し気に尋ねると、ノルは鼻で笑った。

「今まで会った堕神の中でも最弱だ」
「むっ、二回も言わなくていいよ!」

ぬいは口をとがらせる。

「それにあれは正面から受けているのではなく、はじき返しているだけだ。それをセドニク家の者が放出されないようにやわらげている」

「えっ、恥ずかしい……弱いくせにわたし、あんな無駄に強者感だしてたの?」

ぬいはキョロキョロと辺りを見渡す。いたたまさなさから、穴の中に入りたくなったのだろう。しかし、そんな都合のいいものはない。

「君は人を傷つけることなど決して考えない。そもそも殺人ではなく、破壊と表現している時点で察される。おまけに力も欲していない。そんな優しい人が殺戮など、できると思うか?」

「確かに嫌だし、不相応なものはいらないけど」
「そんな君だから、僕は……」

ノルは自分の口を手でふさいだ。

「どうしたの?」
「今言うことではなかっただけだ」
「そう」

これ以上突っ込めば、やぶ蛇をつつくことになるだろう。そう察したぬいは話題を変えることにした。

「あのね。わたしは乾綠として、鍋島くんに言わなければいけないことがあるんだ」

「奇遇だな、僕もあいつには言ってやりたいことがある」

ノルはそう言うと腕を鳴らし、悪そうな笑みを浮かべている。どう見ても穏やかなことではあるまい。

「お話するだけだよね?」
「そうだな、君のことについて、いくつか」

笑ってはいるが、目が笑っていない。ぬいはどうしたものかと手を上げると、彼の頬に押し付けた。そのままほぐす様ように回して、マッサージする。

「張りつめすぎだよ、ちょっと落ち着こう」

歪む顔が面白くて、ぬいは少しだけ笑ってしまう。それにつられてノルの顔も穏やかになっていく。

「ヌイ」

ノルはぬいの手を掴む。愛おしそうに、まっすぐ見つめる瞳に見据えられる。その何とも言えない空気に、むず痒さを覚えた。ノルは手を離すと、額をぬいの肩に押し当ててくる。

「すまない……少しだけこうさせてほしい。力をもらいたいんだ」

すがるような声に、ぬいは何も言えなかった。あたたかい気持ちがあふれ、無防備な背中に手を回したくなる。

その自然な好意を持った感情を自覚すると、嬉しさと共に顔が赤くなる。肩越しから動悸が聞こえてるのではないかと思うと、さらに鼓動が高鳴った。

どれだけの時間そうしていたのだろうか。ノルは黙って、それ以上求めることはない。やがて高揚感が落ち着きに変わる。


「綠さん!!」

礼拝堂の入口に、前触れもなく彼が現れた。振り落とされたのかミレナがよろけ、横でしりもちをついている。

転移しようとしたところに、慌ててついてきたのだろう。そんな彼女を気遣う様子もなく、鍋島はぬいのことを見る。

その光景は最悪であった。ぬいは吐き気がしてきた。少し前の自分もこうやって、心配する人たちをないがしろにしていたに違いないと。

「綠……さん?ねえ、知らない人と何してるの?」

鍋島の顔から表情が消えていく。ノルは顔を上げると、不敵に笑った。

「皇女、こいつの力はどれだけ戻った?」
よろよろとミレナは起き上がると、顔を上げる。

「以前の八割程度かと思います」
「そうか、よくやってくれた。これなら充分だ」

ノルはぬいの手を取ると、再び口付けを落とし立ち上がった。

「行ってくる」
「ねえ、綠さんに何をしているの?」

鍋島は静かに怒っていた。刺すような視線でノルのことを見ている。理由はともかく、一度も周りの者を見なかった彼が、ノルを個として認識し始めているのだ。

「はっ、いい表情だな。前に言っていた通り、僕は君に決闘を申し込む」

ノルは鍋島に杖の切っ先を突きつけた。

「なにバカなこと言ってるの?俺にかなう人なんて、そうそういないと思うけど」

「申し込めと言ったのはそっちのほうだろう……まあ、今の君は覚えていないか。強敵を倒して、僕はこの先ヌイと生きる。そう決めた」

「意味が分からないけど、そこまで言うなら相手してあげるよ」

鍋島はこぶしに手を叩きつける。

「ヌイさま!!」

ミレナは聖句を唱えると、飛び上がるように鍋島の横を通り抜け、ぬいの横へやってきた。そのまま軽々と担ぎ上げると、ヴァーツラフの横へ降り立つ。

「ミレナちゃん……その、わたし」

ぬいが謝ろうとすると、その言葉を塞ぐようにミレナは抱きしめた。

「戻られたのですね!ずっと、待っておりました」

ミレナは体を離すと笑みを向ける。その表情を見て、ぬいは嬉しく思った。罵倒するどころか、自分の帰還を喜んでくれる。そんな友人など今まで一人もいなかったのだから。


「教皇さま、あのお方の力はご存じでしょう。どうかこの場所とヌイさまを守る助力をお願いいたします」

「然り。この局面で惜しむ力などない」

ヴァーツラフは錫杖を揺らすと聖句を唱えはじめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

順番を待たなくなった側室と、順番を待つようになった皇帝のお話 〜陛下!どうか私のことは思い出さないで〜

白猫
恋愛
主人公のレーナマリアは、西の小国エルトネイル王国の第1王女。エルトネイル王国の国王であるレーナマリアの父は、アヴァンジェル帝国との争いを避けるため、皇帝ルクスフィードの元へ娘を側室として差し出すことにした。「側室なら食べるに困るわけでもないし、痛ぶられるわけでもないわ!」と特別な悲観もせず帝国へ渡ったレーナマリアだが、到着してすぐに己の甘さに気付かされることになる。皇帝ルクスフィードには、既に49人もの側室がいたのだ。自分が50番目の側室であると知ったレーナマリアは呆然としたが、「自分で変えられる状況でもないのだから、悩んでも仕方ないわ!」と今度は割り切る。明るい性格で毎日を楽しくぐうたらに過ごしていくが、ある日…側室たちが期待する皇帝との「閨の儀」の話を聞いてしまう。レーナマリアは、すっかり忘れていた皇帝の存在と、その皇帝と男女として交わることへの想像以上の拒絶感に苛まれ…そんな「望んでもいない順番待ちの列」に加わる気はない!と宣言すると、すぐに自分の人生のために生きる道を模索し始める。そして月日が流れ…いつの日か、逆に皇帝が彼女の列に並ぶことになってしまったのだ。立場逆転の恋愛劇、はたして二人の心は結ばれるのか? ➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

処理中です...