まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

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本編

67:破壊教唆

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『この先は触れることを許されない神の姿。何人たりとも、これを見せてはいけない。けど彼の弟である、乾綠には見せてあげる。この事実を知らずに生きるのは、あんまりだよね?』



――ずっと、晴れることのない霧につつまれているようだった。苦痛にまみれ、ただ暗い。その隙間から光が差そうとも、自由になる気はなかった。



「ようやく反応してくれた。よかった」

安堵の声が聞こえ、綠は視線を横に動かす。本当は弟の声が聞こえたとき、手を差し伸べたかった。だが、最早左半身さえも動くことはない。

「ずっと、姉さんが言ってた彼のことだけど。ご家族は了承してくれたよ。既に準備は完了していて、あとは脳の記録をデータとして焼き付けるだけ。確実にこの世の生を終える、実験台みたいなものだし、悪いとは思う。でも、姉さんの方が大事だから」

そう言うと弟は綠の頭を撫でた。

「病院の数を何とかするべきだったとは思う。でも、研究に夢中になりすぎてないがしろにした。生きていて、一番の失敗だったよ」

弟はうなだれるように顔を伏せた。何か声をかけたいと思い、重い口を開く。

「あ……とぅー……」

出てきた言葉は弟のことではなく、彼のことであった。苗字では長いと、下の名前で呼ぶがそれすらもままならない。

「聞きたいことがあるんだ。肯定ならまばたきを、否定ならそのままで答えてほしい。姉さんは、この先生きていたい?彼のような状態になっても、生かせる財力と力はある」


綠はまばたきをしなかった。依存していたとはいえ、大事な相手がああなってしまえば、もう未練はない。

肉体的にも精神的にも弱っているせいか、過去の辛い記憶がさらに頭をむしばんでいく。何よりこれ以上、弟に頼ることはしたくなかった。

「わかった。あと、どれだけ時間があるかわからないけど。姉さんのデータを抽出して、準備をはじめる。もし間に合わなかったら、あまり守ってあげられないかもしれないけど」

弟のしている研究は、綠のような常人には分からないものである。だが、この身が弟の役に立てるのであれば、それは幸いだと思い綠はまばたきをした。

「ありがとう、姉さん。どうか、別の世界でも幸せに。願いはそれだけだ」

弟はそう言うと、ほほ笑む。だが無理に作ったその顔からは涙が零れ落ちた。

「……っあ……ごめん。笑って送りたかったんだけど、無理そうだ」

ゴシゴシと乱暴に目元をこする。

「本当はもっと姉さんと生きていたかった。研究とか家のこと全てを投げて、なんてことない日々を送りたかった」

弟は綠の手を握り締めると、しばらく泣き続けた。




「こうして乾綠は死にました。終わり!ねえ、どうだった?もう一度死んだ気分は?」

目の前には偽物が立っていた。楽しそうというよりは、好奇心に満ち溢れている顔だ。以前はどこか不気味で煽っているように彼女は感じていた。

だが、これはまぎれもなく自分であると自覚した。ただ興味があるから質問しているだけである。


「わたしの死はなんとも思わない」

「じゃあさ、鍋島くんの死についてはどう思う?」

目に暗い光をともしながら、偽物が問う。その瞬間彼女は強烈な吐き気と痛みを感じ、その場にしゃがみ込んだ。

「ヌイ!!」

彼女にとってどこか懐かしみを感じる声が聞こえる。耳に入ってくるだけで、顔は上げない。

「わたしは……わたしの名前は」

「綠、辛かったよね。あんな尊厳の欠片もない苦しみ方、もう思い出したくないよね」

偽物が肩に手を当てる。そうすると、急激にあの時の記憶が彼女の脳裏をよぎっていく。それに付随するように、過去に死んでいった者たちの表情がよみがえる。

「う……あ、ああああぁあああ!!!嫌!もうわたしは苦しんで死んでいくのを見たくない」

「だったら、どうすればいいんだろうね」

偽物がささやく。

「わからないよ!知らないよ、そんなの!」

彼女は頭を掻きむしりながら、半狂乱に叫び続ける。

「もう誰も苦しまないように。死んでしまう前に壊してあげればいいんだよ」

「っく、だめか。ヌイ!堕神になるな!」

偽物が教唆した瞬間、どこかでなにかが砕け散る音が聞こえた。
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