まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

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本編

62:上演はまもなく開始する

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「ノルベルト、これが頼まれていたものだよ」

ペトルはノルに厳重に包まれたものを渡した。

「助かる。用意はしていたが、今この場は離れ辛くて」

それを受け取ると、大切そうにしまい込む。

「本当に一人で大丈夫なのかい?」

ペトルは心配そうに尋ねた。

「完全に一人ではない。いざとなれば教皇さまも見守ってくださる」

「それは確かに心強いけど」

「結界を頼む。もしヌイが堕神に変化すれば、どうなるか予測できない」

ヴァーツラフにも頼んではいるが、彼自身言っている通り人らしい気遣いが足りない時がある。念には念を入れておいて間違いないだろう。

「では、これを教皇さまに渡してくる」


過去映しの特性上、人以外の者が引っ張られることはない。そうなってしまえば、動物や虫さえも巻き添えになるからだろう。

まずはヴァーツラフが彼女に水晶を見せ、引きずり込む。そうしてすぐに、ノルが以前のトゥーのように滑り込む。彼女が豹変し苦しむことがあれば、即水晶を割る。その手筈である。

ノルがなんらかの理由で動けなくなったとしても、ヴァーツラフが実際の水晶を破壊する約束もしてくれた。

礼拝堂の中が光る。開始の合図だ。ノルは礼拝堂の扉を少しだけ開けると、素早く入室する。この場所を使うのはまずいのではないかと思ったが、ヴァーツラフがそう決めた。神々に見せるためらしい。

中央に横たわっている彼女へ歩みを進めていく。目を閉じて寝ているように見えるが、その姿はどこか辛そうである。早く彼女を助けたい。そう思いながら、一歩一歩踏みしめていく。

触れられる距離まで近づくことは叶わず、ノルの意識は途切れた。





――ずっと、甘い砂糖菓子にまみれているようだった。何の不安もなく、温かい。だが、隙間なく詰め込まれたそこはあまりにも不自由だった。



「また会ったね、わたし」
髪を下の方で二つに結んだ女性が話しかけてくる。

「今のあなたは……ぬいではないね。さすがわたし!言われるまでもなく、自分で名前を思い出した。さあ、言ってごらん」

「いぬい……りょく」

正解だと、嬉しそうに拍手する。その姿は紛れもなく自分自身である。前は偽物だと思っていた。だがよく見てみると、まるで鏡のようだ。

「わたし、あなたに会ったことが」

綠は頭を抑える。大量の記憶の奔流を感じたその中で、確かに会ったのだと確信した。その先に見える何かを掴もうとしたとき、偽物は綠の頭に手を置いた。

「まだダメだよ。物事には手順てものがあるからね」

その言葉をかけられると、大量の記憶は引いて行った。残ったのは、かつてここで嫌な記憶を見せられたという事実のみである。

「さあ!クイズだよ!乾綠。どうしてこんな妙な名前を付けられたのか、思い出せる?」

偽物は両手を大きく広げるとくるりと回った。

――待望の第一子は男児ではなかった。

元から用意されていた名はリョク。全てを手にするように。覇者であれと、そんな勝手な欲望を元に決められたものだった。

だが、女児にはふさわしいものではない。そう周りに反対された結果、綠と名付けられた。みどりの黒髪だと幼少時に言われたが、後付けも甚だしい。

ただでさえ苗字が読みづらいというのに、名すらも旧字体。初対面ですんなりと呼べるものはほとんどいなかった。自国の者ではないと勘違いされることもあった。

「そうか……わたしはずっと、自分の名が嫌いだった。苗字も下の名前もすべて」

「よくできました、わたし。この調子でどんどん思い出していこうか。観客も来たようだしね」

偽物は目線を横へうつす。そこには一人の青年が居た。どこか必死そうな様子で、綠のことを見ている。その真っすぐな視線に引き寄せられそうになった。

「おっと、演者はこっちに行っていけないよ。それより、覚悟はいい?乾綠のくらーい過去の上演は、間もなく始まる」

偽物がそう言った瞬間、形容しがたい恐れに支配される。腰が抜け、膝を地につく。すると彼が何かを叫んでいる。なんと言っているかは分からないが、不思議と恐怖が和らいできた。

「あれ?前とは違うみたいだね」

偽物が不思議そうにしている。綠は誰の助けもなしに立ち上がる。その揺れで、いつの間にか腕輪をつけているのに気が付いた。傾けてみると、反射で色が変わる。

どこでこの色を見たのだろうと、考える。向こうにいる青年のような気がするが、容姿やかたちなどの情報がなにも入ってこない。目で見た瞬間、どこかに零れ落ちてしまう。

「わたしはきっと覚悟を決めていた」

以前は嫌だと叫ぶことしかできなかった。頭を抱えてうずくまっていただけだった。その結果、知らない誰かが助けてくれた。でも、それではダメだったのだろうと、綠は思った。

「怖いけど、もう逃げない。今なら立ち向かえる。そんな気がするんだ」

綠は腕輪を腕ごとぎゅっと握り締めた。記憶はないが、勇気をもらえるような、そんな気がしたからだ。

「いいね、いいね。らしくなってきたよ」

明るい声とは裏腹に口元だけ笑っていた。その表情は嫌というほど見覚えがある。そんな確信があった。


「最初に言っておこう、乾綠の物語は死ではじまり、死で終わると」

そう言うと、偽物は綠の手を掴んだ。あたたかななにかを握りつぶすかのように。
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