まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

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本編

61:揺らめく瞳

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ミレナと鍋島が立ち去り、ノルは一息ついた。

「ヌイ」

いつものように呼び掛けてしまうが、もちろん反応はしない。

「リョク」

今の彼女の名で呼びかけても微動だにしない。イヌイと話しかけても同じである。ただ鍋島が去った方向を眺めている。

しばらくそれを続けると、急に動き出す。どこへ行くかと思いきや、綠は自分の部屋へと戻っていった。締め出されてしまいそうになり、ノルは慌てて体を滑り込ませた。

彼女はコップに水をくむと机におき、そのまま椅子に座った。そのあとはただボーっとしている。なにかを考えているようには見えない。

ノルは不躾とは思いながら、部屋を見渡した。特に物は散乱していない、殺風景な部屋である。以前渡した服はきちんとしまってあるのだろう。

ベッドの横にある小さな棚には水差しと、ノルが渡した腕輪が置かれていた。そういえば、ぬいが綠に戻ってから一度もつけているのを見たことがない。これだけではなく、服もそうである。

ノルは腕輪を取ると、彼女の前で跪く。右手を取ると装着した。何も言わず、されるがままである。

「ヌイ……」

腕輪にはめ込まれた緑色の石を見る。自分の目の色になると言ってくれたものである。見上げてみるが、彼女の闇色の目は何も映していない。

ふとノルは思った。前に過去映しをされたときに見た彼女は、もっと明るい瞳ではなかったかと。ヴァーツラフの言っていた、少しずつバランスがおかしくなっていたものとは、瞳の色も含むのかもしれない。

「どうしたら君はヌイだった時のことを思い出してくれる?」

ノルはまっすぐ呼びかけた。もはやこれくらいでは挫けない。根気強く思い出を語って聞かせる。

「こんな風になってしまうなら、もっと最初から親切にするんだった。そう言ったら、君はそんなことないと言ってくれるだろうが」

ぬいは明朗そうには見えないが、内面はとても明るくあろうとしている。よく考えるとトゥーと逆のタイプに思える。だからこそ二人は昔ひかれあったのではと、自分で考え心を痛める。

ノルはそんなぬいの姿がとても好ましかった。不思議な雰囲気があり、なんにでも興味を示すところ。根が優しく、人の本質を見抜けるところ。

少しずつ、自覚なく彼女の美点を見出していく。自分がいくら跳ねのけようとも、接触を持ってくれる。そんな小さな積み重ねが蓄積していった。

彼女は一見無表情に見える。よく見れば表情豊かであるが、しっかりと見なければわからない。だからこそ自分の無事を確信し、自然に出た笑顔を正面から見てしまった時、ノルはとらわれてしまった。

「もう一度、笑いかけてほしい。どんな感情でもいいから、せめてその視線を向けてくれたら」

どれだけ二人の過去をなぞろうと、心の底からの想いを告げようとも届かない。

その現実を突きつけるかのように、時々綠は「鍋島くん、大丈夫かな」と心配したり「まだ帰ってこないの」と不満を漏らす。そして定期的に水を摂取する。彼女の行動はたったそれだけ。

まるで誰かがそう動くように設定したような、自然に見えるが不自然な動きである。

やがてコップの水がなくなり、綠は汲むために立ち上がる。ノルが代わりを申し出ても、もちろん反応はない。汲み終わり、振り返った綠は机に戻ろうとする。

その途中で床板の隙間に足を引っかけたのか、体がぐらりと傾く。コップは頑なに離さず、防衛反応を取ろうとしない。

ノルはすかさず駆け寄り、正面から抱き留める。その衝撃で、手からコップが滑り落ちた。ゴトリと固い音から割れていないことが予測できる。

「ヌイ!ケガはないか?」

抱きしめた状態から、肩を掴んで離す。反応を期待するのは無駄だとわかっていても、安否を確認せざるを得なかった。なぜなら、まるで彼女は損傷を厭わないような行動を取ったからだ。

元から自身のケガに頓着しないたちであったが、これはおかしすぎる。やはりノルの予想は当たっていた。結界があるため、この行動に意味はないが、それでも勝手に体が動いていた。

「あ……」

一言ですらないなにかを彼女は発した。明らかに役割に沿った存在ではなく、ノルという個に反応したものであった。

「ヌイ、どうした?」

彼女の目は虚空を見ていなかった。まっすぐノル自身のことを見つめている。だが数度まばたきすると、まるでカーテンをおろすかのように、元の目に戻ってしまった。

希望はできた。だが、愕然とした。これほどまでに、神の祝福というものは強固であるのかと。

「神々よ……」

嘆きの祈りを捧げる。敬虔な教徒であるノルは神々を恨んだりはしなかった。思惑はどうであれ、見守ってくれているという事実。大事な彼女を何かから保護していることは、間違いないのだから。

綠はノルから体を離すと、コップを拾い上げ机に置いた。掃除をしようとしたので、一緒に手伝う。それに関しても、何かを言うことはない。終わるとまた水を汲んでの繰り返しである。

このままではただ時間だけが過ぎてしまう。ただ奇跡を信じるだけではだめなのだろう。それが起こり得る愛情や友好を、彼女は抱けていないのだから。

ノルは一度部屋の外に出ると、扉を叩いた。

「異邦者さま。神官です。もうお一方の異邦者さまについて、少しお時間よろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」

やはり役割に沿えば反応があった。想定通りなのが少し悲しく思い、ノルはまた部屋に入った。

「ナベシマさまですが、やはり皇女が見込んだ通りのようでした。順調に習得されていってます」

実際そんな報告など聞いていないが、予想からそう言った。

「よかった」

綠は安堵から短く言葉を漏らす。これではただの報告で終わってしまう、なんとしても会話を繋げなければならない。

「このままいけば、教皇さまなど一部の方しか使用できない、転移が使えるようになるでしょう」

今日中に習得できるかはわからないが、これも嘘ではない。

「そう……ですか。嬉しいけど、なんだか遠い感じもして、少しだけ寂しいですね」

案の定胸に突き刺さるような一言をもらう。だがこれごときで傷ついていては、この先もたないだろう。ノルは軽く息を吸った。

「そんなことはありません。共にここへやってきた恋人を信じてはいかがですか?」

ノルは自分で言っていて、血を吐きそうな思いだった。

「へっ、いやいやいや!わたしと鍋島くんはそんなんじゃない……けど、まあそういう風に見えてしまうか。その、ずっと一緒だったので」

鍋島に対し照れるのは胸が痛むが、嬉しいことに明確な恋人同士ではないらしい。お互いに好意はあっても、そこまでに至っていないのだろう。

ずっと・・・一緒・・。異邦者さまたちはどうやって、この国へと参られたのでしょうか?」

「鍋島くんと二人で、長く暗い道を歩いたら、いつの間にかここに着いてたんだよね」

ぬいは水晶の台座の上で起きた。綠となったあとは宿舎のベッドで起き上がった、である。不自然が無いように記憶が改ざんされているらしい。

「ここへ来る前もお二人は一緒で?」

「来る……まえ?」

綠は急にいい淀む。頭を抱えると、苦しそうに顔を歪める。この質問はまずかったのだろうかと焦り始めた時、綠は何事もなかったかのように、明るい表情をする。

それはあまりにも不自然で、作り物めいていた。特に目が何の感情も映し出していないからだ。

「思い出した!鍋島くんの大会へ、応援しに行ってたんです。すごいんですよ、あんなに早く走れるなんて」

まるで防衛反応が働いたようである。ノルはそう思った。この類の質問はもうやめておいたほうがいい。

「そうですか。異邦者さまは本当に彼のことがお好きなんですね」

ノルは顔が引きつっているのを自覚した。だが、特になにも言われることはなかった。

「うっ……人からそんな風に指摘されるのは、すごく恥ずかしいですね」

綠は照れながら言う。この言葉は今まで一番ダメージが大きかった。態度には出てたとはいえ、明言されてしまったのだから。

「どんなところがお好きになったのでしょうか?」

「えっと、その。まずはとても明るくて、いつも元気で。皆に優しく……あれ?そうだけど、そうだった?本当にそこが好きになったんだっけ?そもそもわたしは好きだったの?」

綠は急に言いよどみ始めた。ここが最大の転機だろう。ノルは感情を殺し、できる限り演者に努める。

「大変すばらしいですね!二人とも明るくお優しい。だからこそ、惹かれ合ったのでしょう」

最もその演技はあまり上手くない。完璧なのはセリフだけであって、顔は引きつりどこか強張っている。

「……違う。わたしも鍋島くんもそんなんじゃなかった。もっと暗くて……好意は確かにあったけど、恋情ではないはず。あれは……ただの惰性で依存だった」

彼女は恋ではないと言い切った。その言葉にノルは希望と期待を見出した。綠は力が抜けたのか、その場に座り込む。その目は過去を追走していた。

「もっと、退廃的ななにかがそこにあって……なんで?なにも思い出せないて、気持ち悪い。どうしてこんなにぼんやりとしているの?」

強制的に切り替わる様子はなかった、綠はひたすら自問自答を続けていく。

「明るい思い出じゃなかった。今は確かに幸せだけど、なにかが掛け間違えている。嫌だ……わたしはすべてを思い出したい・・・・・・・・・!」

ノルはずっと望んでいた言葉を引き出せ、歓喜した。声を上げてしまいそうになるが、苦しんでいる綠を見て冷静になる。取り決め通り、ノルは手を組んで目をつぶる。

「教皇さま!」
ノルが叫ぶと、綠の背後にヴァーツラフが現れた。

「おかしいな。前までのわたしだったら、そんな勇気絶対に出なかったと思う。ここへ来てそんなにたっていないはずなのに、どうしてそう思ったんだろう。怖いけど、わたしはそう望む」

ヴァーツラフは彼女に近づくと、目を細める。その姿はどこか人間らしく、温かみを感じる。

厳かに聖句を唱えると、綠は気を失った。すかさず抱き留めた彼女の目からは涙が零れ落ちていた。ノルはそれをそっとぬぐうと、顔を上げた。

「機は熟した。その者自身の望みであれば、神の意思にも沿おう」

「すぐに過去映しの準備を。ヌイを元に戻します」
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