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本編
54:視野狭窄の現実
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二人の後をつけていくのは簡単であった。日が暮れた頃に綠と鍋島はそれぞれの部屋へと戻ってくる。その時間が大幅にずれることはない。そしてまた朝出かけるのだ。
そこに一人後を追う者が居ても、二人は何も気にすることはなかった。
だが、ミレナは目立つ容姿である。一人であることが分かると何人もの人たちが話しかけてきたが、その都度あしらってきた。
しかし、鍋島と綠を見つめているのが露見したのか、しきりに自分の方がいいとアピールしてくる。トゥーの時は彼の姿を見た瞬間あきらめてくれたが、鍋島の場合はうまくいかないようだ。
同一人物だというのに、面のあるなしでこれほどまで違うのである。
ミレナはようやく面の意味を理解した。もし素顔を知られていたら、争いが起きてとんでもない状況になっていただろう。
「綠さん、もうお腹いっぱい?」
「うん、やっぱり久しぶりの食事だからかな。あとは鍋島くんがもらってくれる?」
「いいよ、俺はもう少し余裕あるし」
そう言うと、綠が既に口をつけたものを何食わぬ顔をして受け取った。ミレナは衝撃を受けていた。二人の親密具合を見続けることは覚悟していた。
だが、鍋島は人が口付けたものは頑なに避けていた。いつも一瞬何かを思い出したような表情をし、軽くかわしていたのだ。そんな何気ないことが小さく積み重なっていく。
遠くから彼を見ることは何度もしてきた。大量に居たライバルは減り、今は彼女一人のみである。だが綠は強敵であった。
自分の存在を認知してもらうべく話しかけた。一度目はかつて呼んでいた名で。次は鍋島と綠、今の名で。しかし、そう簡単に反応することはない。
途中からやってきた給仕に可哀そうな目で見られ、ミレナは泣く泣く距離を置くことにした。
「お済でしたら、お皿を下げましょうか?」
「ありがとう!頼んだ!」
給仕の人にはきちんと反応するし、注文もきちんと取れていた。このことから、一定の役割を持つ者であれば、反応するだろうことは理解した。
ミレナはこの確証を得るために、再度二人に近づいた。この時点で反応はない。普通すぐ近くに人が近寄れば、目配せなりなんらかの反応をするはずである。
だが、触れてしまいそうなほど距離を詰めても、反応はない。最初こそ恥ずかしさから赤くなっていたが、現実を認識すればするほど冷めていった。そのおかげで冷静な行動をとることができた。
「すみません、お伺いしたいのですが横の席は空いていますか?」
「どうぞ~」
「うん、空いてるよ」
鍋島と綠の目が向けられる。大したことではないが、反応を得られたことに喜ぶのもつかの間。なぜなら、二人の目は何の感情も映し出されていなかったからだ。
知らない者であればそれには気づかなかっただろうが、ミレナにはそれがよくわかる。過去を思い出しているときよりもひどく、遠い。
衝撃を受け、隣の席によろけながら座り込んだ。二人は案の定、彼女の異変に気づきもせず、会話を交わしていた。
「鍋島くん、顔にクリームついてるよ」
「えっ、どこどこ?綠さん取ってくれない?」
「いいけど、さっきお皿と一緒に手拭持っていかれたから、無理だよ」
ミレナは死んだような目で二人の会話を聞き続ける。なにかを周りが持って行ったという行動は気づくのかと、新たな発見をしていた。
やってきた給仕はさらに憐みの視線を向けると、頼んでいないのに胃に優しそうなお茶を持ってきてくれた。どうやらサービスらしい。
「だったら、手で取ってくれてもいいのに」
鍋島がどことなく甘えるように言う。それはもちろんミレナに向けられた言葉ではない。
「手でって、そのあとどうしろと」
「綠さん。それを言わせないでよ~」
鍋島は照れを隠すように明るく言った。
「あのね、それは衛生的によくない。昔、散々学んだでしょう?」
綠が年上らしく言い聞かせると、鍋島は拗ねた顔をする。
「それは分かってるけど……さっき間接キスさせたくせに、今更なに言ってるんだろうね」
後半は小さくつぶやくように言ったが、ミレナはもちろん綠にも聞こえていたらしい。
「……え?」
綠は特に何も考えていなかったのだろう。自覚した途端、顔を赤くして逸らした。その先はもちろんミレナの方向である。両手で隠そうとも照れているのは丸わかりだ。
その恥じらう姿は今までみた彼女の中で、一番魅力的な生きた表情であった。
ミレナはあまりの光景にめまいと耳鳴りがしてきた。いっそ、彼らが好き合ってそういうことになったと、結論を突きつけてくれたのであればいい。
悔しく辛いことではあるが、いつかは二人の幸せを祈ることができただろう。
だが、彼らはミレナを個人として認識し、会話をすることは決してないのである。両想いであることは察せられるが、それが恋情であるかは定かでないし、恋人同士であるという確証も得られない。
この宙ぶらりんの状態が、なによりも一番辛かった。
もしこの場にノルも居たら、半死体はもう一つ出来上がっていただろう。今日ここに居ない理由は、かつてのトゥーの家へと行っているからである。訳があって、しばらく戻れないことを説明しにいっているらしい。
ミレナは衝撃を受けすぎて、急速に恋心が落ち着いていくのがわかった。鍋島が自分の知っているトゥーに戻ったとしても、果たして好きだと言えるのだろうか。そんな問いを己に投げかける。
優しく朗らかであるが、老成していて暗いなにかを抱えている。良心があり、時に大胆で細やかな気遣いができる。そこにたまに意地悪になる、が加わったとする。必死に新たに加わったそれをマイナスだと言い聞かせた。
「……だめ……ですね」
どうあがいてもミレナの心は変わらなかった。燃えるような恋心は急速に落ち着きを取り戻し、今はただ暖かな気持ちとして残っている。
どうか振り向いて欲しいという思いと共に、どうか幸せになって欲しいという思いが同居している。つまり恋情だけでなく愛も芽生えたということだ。
だからこそ、答えを出さなければならない。自分だけではなく、なにより彼らの為にも。ミレナは気を取り直すと、姿勢を正した。
「ミレナさま?」
この先二人がどんな会話をしようが、最後まで聞き届けよう。それが己に課せられた使命だと、ミレナは食い入るように二人を見つめる。
「ねえ!聞いてますか?」
軽い接触は多いように見えるが、どことなく一線があるようにも見える。ミレナは椅子を少し近くにずらして、さらに近寄る。もちろん二人が気にすることはない。
「ちょっと!無視しないでよ」
この二人が無視するのは今更だと思った考えていた時、ミレナは後ろから肩を掴まれた。もしかしたら、少し前に絡んできた人たちだろうかと、身を固くして後ろを振り返る。
「……アイシェさま?」
「やっと気づいてくれた。あのねえ、ミレナさま。いったい何してるの?」
呆れた表情でアイシェは言った。
そこに一人後を追う者が居ても、二人は何も気にすることはなかった。
だが、ミレナは目立つ容姿である。一人であることが分かると何人もの人たちが話しかけてきたが、その都度あしらってきた。
しかし、鍋島と綠を見つめているのが露見したのか、しきりに自分の方がいいとアピールしてくる。トゥーの時は彼の姿を見た瞬間あきらめてくれたが、鍋島の場合はうまくいかないようだ。
同一人物だというのに、面のあるなしでこれほどまで違うのである。
ミレナはようやく面の意味を理解した。もし素顔を知られていたら、争いが起きてとんでもない状況になっていただろう。
「綠さん、もうお腹いっぱい?」
「うん、やっぱり久しぶりの食事だからかな。あとは鍋島くんがもらってくれる?」
「いいよ、俺はもう少し余裕あるし」
そう言うと、綠が既に口をつけたものを何食わぬ顔をして受け取った。ミレナは衝撃を受けていた。二人の親密具合を見続けることは覚悟していた。
だが、鍋島は人が口付けたものは頑なに避けていた。いつも一瞬何かを思い出したような表情をし、軽くかわしていたのだ。そんな何気ないことが小さく積み重なっていく。
遠くから彼を見ることは何度もしてきた。大量に居たライバルは減り、今は彼女一人のみである。だが綠は強敵であった。
自分の存在を認知してもらうべく話しかけた。一度目はかつて呼んでいた名で。次は鍋島と綠、今の名で。しかし、そう簡単に反応することはない。
途中からやってきた給仕に可哀そうな目で見られ、ミレナは泣く泣く距離を置くことにした。
「お済でしたら、お皿を下げましょうか?」
「ありがとう!頼んだ!」
給仕の人にはきちんと反応するし、注文もきちんと取れていた。このことから、一定の役割を持つ者であれば、反応するだろうことは理解した。
ミレナはこの確証を得るために、再度二人に近づいた。この時点で反応はない。普通すぐ近くに人が近寄れば、目配せなりなんらかの反応をするはずである。
だが、触れてしまいそうなほど距離を詰めても、反応はない。最初こそ恥ずかしさから赤くなっていたが、現実を認識すればするほど冷めていった。そのおかげで冷静な行動をとることができた。
「すみません、お伺いしたいのですが横の席は空いていますか?」
「どうぞ~」
「うん、空いてるよ」
鍋島と綠の目が向けられる。大したことではないが、反応を得られたことに喜ぶのもつかの間。なぜなら、二人の目は何の感情も映し出されていなかったからだ。
知らない者であればそれには気づかなかっただろうが、ミレナにはそれがよくわかる。過去を思い出しているときよりもひどく、遠い。
衝撃を受け、隣の席によろけながら座り込んだ。二人は案の定、彼女の異変に気づきもせず、会話を交わしていた。
「鍋島くん、顔にクリームついてるよ」
「えっ、どこどこ?綠さん取ってくれない?」
「いいけど、さっきお皿と一緒に手拭持っていかれたから、無理だよ」
ミレナは死んだような目で二人の会話を聞き続ける。なにかを周りが持って行ったという行動は気づくのかと、新たな発見をしていた。
やってきた給仕はさらに憐みの視線を向けると、頼んでいないのに胃に優しそうなお茶を持ってきてくれた。どうやらサービスらしい。
「だったら、手で取ってくれてもいいのに」
鍋島がどことなく甘えるように言う。それはもちろんミレナに向けられた言葉ではない。
「手でって、そのあとどうしろと」
「綠さん。それを言わせないでよ~」
鍋島は照れを隠すように明るく言った。
「あのね、それは衛生的によくない。昔、散々学んだでしょう?」
綠が年上らしく言い聞かせると、鍋島は拗ねた顔をする。
「それは分かってるけど……さっき間接キスさせたくせに、今更なに言ってるんだろうね」
後半は小さくつぶやくように言ったが、ミレナはもちろん綠にも聞こえていたらしい。
「……え?」
綠は特に何も考えていなかったのだろう。自覚した途端、顔を赤くして逸らした。その先はもちろんミレナの方向である。両手で隠そうとも照れているのは丸わかりだ。
その恥じらう姿は今までみた彼女の中で、一番魅力的な生きた表情であった。
ミレナはあまりの光景にめまいと耳鳴りがしてきた。いっそ、彼らが好き合ってそういうことになったと、結論を突きつけてくれたのであればいい。
悔しく辛いことではあるが、いつかは二人の幸せを祈ることができただろう。
だが、彼らはミレナを個人として認識し、会話をすることは決してないのである。両想いであることは察せられるが、それが恋情であるかは定かでないし、恋人同士であるという確証も得られない。
この宙ぶらりんの状態が、なによりも一番辛かった。
もしこの場にノルも居たら、半死体はもう一つ出来上がっていただろう。今日ここに居ない理由は、かつてのトゥーの家へと行っているからである。訳があって、しばらく戻れないことを説明しにいっているらしい。
ミレナは衝撃を受けすぎて、急速に恋心が落ち着いていくのがわかった。鍋島が自分の知っているトゥーに戻ったとしても、果たして好きだと言えるのだろうか。そんな問いを己に投げかける。
優しく朗らかであるが、老成していて暗いなにかを抱えている。良心があり、時に大胆で細やかな気遣いができる。そこにたまに意地悪になる、が加わったとする。必死に新たに加わったそれをマイナスだと言い聞かせた。
「……だめ……ですね」
どうあがいてもミレナの心は変わらなかった。燃えるような恋心は急速に落ち着きを取り戻し、今はただ暖かな気持ちとして残っている。
どうか振り向いて欲しいという思いと共に、どうか幸せになって欲しいという思いが同居している。つまり恋情だけでなく愛も芽生えたということだ。
だからこそ、答えを出さなければならない。自分だけではなく、なにより彼らの為にも。ミレナは気を取り直すと、姿勢を正した。
「ミレナさま?」
この先二人がどんな会話をしようが、最後まで聞き届けよう。それが己に課せられた使命だと、ミレナは食い入るように二人を見つめる。
「ねえ!聞いてますか?」
軽い接触は多いように見えるが、どことなく一線があるようにも見える。ミレナは椅子を少し近くにずらして、さらに近寄る。もちろん二人が気にすることはない。
「ちょっと!無視しないでよ」
この二人が無視するのは今更だと思った考えていた時、ミレナは後ろから肩を掴まれた。もしかしたら、少し前に絡んできた人たちだろうかと、身を固くして後ろを振り返る。
「……アイシェさま?」
「やっと気づいてくれた。あのねえ、ミレナさま。いったい何してるの?」
呆れた表情でアイシェは言った。
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