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本編
53:与えられた選択肢
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ノルはしばらく放心状態であった。ヴァーツラフは何事もなかったかのように祈り始める。その場面だけを見れば、神々しいものに見えるが、時折ミレナのすすり泣く声が聞こえてくる。
そんな悪夢のような状態がしばらく続いたあと、ヴァーツラフが急に誰かと話しているような声が聞こえた。
しかし、その場には誰もいない。会話が終わったのかついた膝を元に戻し、二人の方へと向き直った。
「そなたらには選択肢がある」
ヴァーツラフは無表情に言うが、その表情はどことなく申し訳なさそうである。急に投げかけられた問いに、ミレナはびくりと肩を震わせる。ノルも虚脱状態から意識を戻した。
「この状態は最悪ではないが、神にとっては不本意でもある。ゆえに今の彼らは、元の言語で話すことはしないように設定されている」
神という言葉が発されると、二人は瞬時に神官として切り替わる。おぼつかない足取りでヴァーツラフの前へ歩み出た。
「教皇さま。どういうことでしょうか?あの二人がどうなったのか、どうなるのか……ご説明いただきたい」
ノルは青ざめた顔で言った。
「今あの者たちはなんの不安もなく、ただ安寧に包まれている。外部の刺激を受けず、また周りも異邦者特有の異様さを感じ辛い。この先は延々と幸いであろうとされている、偽りの人生を謳歌していくだろう。お互いの存在以外はただの背景にしかすぎぬ」
ようやく理解することができた。今の状態はあまりにも不自然過ぎたのだ。つまり、あの二人は都合のいい世界を見て、都合のいい存在しか受け付けないようになっているのだろう。
「放っておけば、己が命の終わりを迎えるまであのままを保つ。この者には人の感情の機微に疎い。ゆえにそなたらに問おう。視野狭窄とは幸いたるか?」
「いいえ!違います!」
いつの間にか涙を止めたミレナは、はっきりと言い切った。その表情は、先ほどまで弱弱しく泣いていた少女のものではない。希望を与えられ、強くあろうとあがいている者の姿であった。
「わたくし自身よくわかっております。追い求め、自分だけの甘やかな世界に浸るのは確かに幸せです。でも、きっと後に後悔します」
ミレナは過去のことを思い出しているのか、目を一瞬閉じると頷いた。
「わたくしは二人のことが大好きです。過去にどういう関係にあったかはわかりませんが、それでも今が幸せとは思えないのです」
きっぱりと断言すると、次はノルが口を開いた。
「僕は正直ヌイだけが元に戻ってくれればいい」
そう言うと、ノルはミレナにギロリと睨まれた。
「だが、あいつには借りがある。ヌイに対して手助けをしてくれた。だから、必要とあれば助けようと思う」
二人の意思の確認が終わると、ヴァーツラフは頷いた。
「成功すれば乾綠と鍋島敦は、そなたらの知っている状態に戻り、定着の道を歩むだろう。不死性は消え去り、五感や付随する感情すべてが人間のものとなる」
「照れた表情が見れるということですか?」
その言葉を聞いたミレナはハッとした顔で何かを考える。おそらく彼女は疑念こそ抱いていたが、確信には至らなかったのだろう。それほどまでにトゥーは、特に女性に対しひた隠しにしていたのだ。
「一部だけではない。愛情や好意はもちろん。憤怒や憎しみ嫉妬、はたまた視力や味覚食欲など、少しずつバランスがおかしくなっていたもの、すべてである」
あの二人の妙な落ち着きは元々の性格もあっただろうが、そこも欠けていたことに二人は全く気付いていなかった。最も露骨に出ていたのは食欲であろうが、それすら異常であったのだ。
だが、そんなおとぎ話のような、あまりに都合の良すぎる可能性だけを信じることはできない。そう考えるだけの年と痛苦の過去を経験し、性格も少しひねくれているからだ。
「もし……失敗したらどうなりますか?」
ノルはおそるおそる聞いた。最悪な結末を想像し、顔が青ざめている。ミレナ同じことを考えたのか、緊張から体がこわばっている。
「そのままである。あの者たちの狂死は神が許さぬ」
それは予想外の答えであった。
「永遠に互いしか認識できず、他者とまともな対話をすることもできない。そうして一生を終える。そういうことですか?」
ノルが確認のために問いかけるとヴァーツラフは肯定した。
「認識の差異から、激高した相手に危害を加えられた場合はどうなりますか?」
「不死性は変わらぬ。致命傷だけがなかったことにされ、それを認識することは決してない」
「そんなのって、死ぬよりも余程残酷じゃありませんか!」
ミレナが感情のままに叫ぶ。
「それを拒絶するのであれば、今後あの二人を見張るべきだろう。状態はどうあれ幸いに一生を終える。それが神の考えであり、望みでもある」
そう言うと、ヴァーツラフは錫杖の先を地面に打ち付けた。
「だが、それはあくまで不本意である。あの二人を本当の幸いにせよ。それが神の啓示。心得よ」
彼がそう言い切ると、二人はハッとして、胸に手を当て祈りを捧げた。
「神の御心のままに」
ヴァーツラフはやはり感情が希薄である。しかし、神のことに関して言うときは、どこか生き生きしているようであった。
「今あの者たちは強固な守護を受けている。まずはそれを揺り動かし、そなたらの存在を認知させるのだ」
そんな悪夢のような状態がしばらく続いたあと、ヴァーツラフが急に誰かと話しているような声が聞こえた。
しかし、その場には誰もいない。会話が終わったのかついた膝を元に戻し、二人の方へと向き直った。
「そなたらには選択肢がある」
ヴァーツラフは無表情に言うが、その表情はどことなく申し訳なさそうである。急に投げかけられた問いに、ミレナはびくりと肩を震わせる。ノルも虚脱状態から意識を戻した。
「この状態は最悪ではないが、神にとっては不本意でもある。ゆえに今の彼らは、元の言語で話すことはしないように設定されている」
神という言葉が発されると、二人は瞬時に神官として切り替わる。おぼつかない足取りでヴァーツラフの前へ歩み出た。
「教皇さま。どういうことでしょうか?あの二人がどうなったのか、どうなるのか……ご説明いただきたい」
ノルは青ざめた顔で言った。
「今あの者たちはなんの不安もなく、ただ安寧に包まれている。外部の刺激を受けず、また周りも異邦者特有の異様さを感じ辛い。この先は延々と幸いであろうとされている、偽りの人生を謳歌していくだろう。お互いの存在以外はただの背景にしかすぎぬ」
ようやく理解することができた。今の状態はあまりにも不自然過ぎたのだ。つまり、あの二人は都合のいい世界を見て、都合のいい存在しか受け付けないようになっているのだろう。
「放っておけば、己が命の終わりを迎えるまであのままを保つ。この者には人の感情の機微に疎い。ゆえにそなたらに問おう。視野狭窄とは幸いたるか?」
「いいえ!違います!」
いつの間にか涙を止めたミレナは、はっきりと言い切った。その表情は、先ほどまで弱弱しく泣いていた少女のものではない。希望を与えられ、強くあろうとあがいている者の姿であった。
「わたくし自身よくわかっております。追い求め、自分だけの甘やかな世界に浸るのは確かに幸せです。でも、きっと後に後悔します」
ミレナは過去のことを思い出しているのか、目を一瞬閉じると頷いた。
「わたくしは二人のことが大好きです。過去にどういう関係にあったかはわかりませんが、それでも今が幸せとは思えないのです」
きっぱりと断言すると、次はノルが口を開いた。
「僕は正直ヌイだけが元に戻ってくれればいい」
そう言うと、ノルはミレナにギロリと睨まれた。
「だが、あいつには借りがある。ヌイに対して手助けをしてくれた。だから、必要とあれば助けようと思う」
二人の意思の確認が終わると、ヴァーツラフは頷いた。
「成功すれば乾綠と鍋島敦は、そなたらの知っている状態に戻り、定着の道を歩むだろう。不死性は消え去り、五感や付随する感情すべてが人間のものとなる」
「照れた表情が見れるということですか?」
その言葉を聞いたミレナはハッとした顔で何かを考える。おそらく彼女は疑念こそ抱いていたが、確信には至らなかったのだろう。それほどまでにトゥーは、特に女性に対しひた隠しにしていたのだ。
「一部だけではない。愛情や好意はもちろん。憤怒や憎しみ嫉妬、はたまた視力や味覚食欲など、少しずつバランスがおかしくなっていたもの、すべてである」
あの二人の妙な落ち着きは元々の性格もあっただろうが、そこも欠けていたことに二人は全く気付いていなかった。最も露骨に出ていたのは食欲であろうが、それすら異常であったのだ。
だが、そんなおとぎ話のような、あまりに都合の良すぎる可能性だけを信じることはできない。そう考えるだけの年と痛苦の過去を経験し、性格も少しひねくれているからだ。
「もし……失敗したらどうなりますか?」
ノルはおそるおそる聞いた。最悪な結末を想像し、顔が青ざめている。ミレナ同じことを考えたのか、緊張から体がこわばっている。
「そのままである。あの者たちの狂死は神が許さぬ」
それは予想外の答えであった。
「永遠に互いしか認識できず、他者とまともな対話をすることもできない。そうして一生を終える。そういうことですか?」
ノルが確認のために問いかけるとヴァーツラフは肯定した。
「認識の差異から、激高した相手に危害を加えられた場合はどうなりますか?」
「不死性は変わらぬ。致命傷だけがなかったことにされ、それを認識することは決してない」
「そんなのって、死ぬよりも余程残酷じゃありませんか!」
ミレナが感情のままに叫ぶ。
「それを拒絶するのであれば、今後あの二人を見張るべきだろう。状態はどうあれ幸いに一生を終える。それが神の考えであり、望みでもある」
そう言うと、ヴァーツラフは錫杖の先を地面に打ち付けた。
「だが、それはあくまで不本意である。あの二人を本当の幸いにせよ。それが神の啓示。心得よ」
彼がそう言い切ると、二人はハッとして、胸に手を当て祈りを捧げた。
「神の御心のままに」
ヴァーツラフはやはり感情が希薄である。しかし、神のことに関して言うときは、どこか生き生きしているようであった。
「今あの者たちは強固な守護を受けている。まずはそれを揺り動かし、そなたらの存在を認知させるのだ」
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