まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

文字の大きさ
上 下
54 / 139
本編

53:与えられた選択肢

しおりを挟む
ノルはしばらく放心状態であった。ヴァーツラフは何事もなかったかのように祈り始める。その場面だけを見れば、神々しいものに見えるが、時折ミレナのすすり泣く声が聞こえてくる。

そんな悪夢のような状態がしばらく続いたあと、ヴァーツラフが急に誰かと話しているような声が聞こえた。

しかし、その場には誰もいない。会話が終わったのかついた膝を元に戻し、二人の方へと向き直った。

「そなたらには選択肢がある」

ヴァーツラフは無表情に言うが、その表情はどことなく申し訳なさそうである。急に投げかけられた問いに、ミレナはびくりと肩を震わせる。ノルも虚脱状態から意識を戻した。

「この状態は最悪ではないが、神にとっては不本意でもある。ゆえに今の彼らは、元の言語で話すことはしないように設定されている」

神という言葉が発されると、二人は瞬時に神官として切り替わる。おぼつかない足取りでヴァーツラフの前へ歩み出た。

「教皇さま。どういうことでしょうか?あの二人がどうなったのか、どうなるのか……ご説明いただきたい」

ノルは青ざめた顔で言った。

「今あの者たちはなんの不安もなく、ただ安寧に包まれている。外部の刺激を受けず、また周りも異邦者特有の異様さを感じ辛い。この先は延々と幸いであろうとされている、偽りの人生を謳歌していくだろう。お互いの存在以外はただの背景にしかすぎぬ」

ようやく理解することができた。今の状態はあまりにも不自然過ぎたのだ。つまり、あの二人は都合のいい世界を見て、都合のいい存在しか受け付けないようになっているのだろう。

「放っておけば、己が命の終わりを迎えるまであのままを保つ。この者には人の感情の機微に疎い。ゆえにそなたらに問おう。視野狭窄とは幸いたるか?」

「いいえ!違います!」

いつの間にか涙を止めたミレナは、はっきりと言い切った。その表情は、先ほどまで弱弱しく泣いていた少女のものではない。希望を与えられ、強くあろうとあがいている者の姿であった。

「わたくし自身よくわかっております。追い求め、自分だけの甘やかな世界に浸るのは確かに幸せです。でも、きっと後に後悔します」

ミレナは過去のことを思い出しているのか、目を一瞬閉じると頷いた。

「わたくしは二人のことが大好きです。過去にどういう関係にあったかはわかりませんが、それでも今が幸せとは思えないのです」

きっぱりと断言すると、次はノルが口を開いた。

「僕は正直ヌイだけが元に戻ってくれればいい」

そう言うと、ノルはミレナにギロリと睨まれた。

「だが、あいつには借りがある。ヌイに対して手助けをしてくれた。だから、必要とあれば助けようと思う」

二人の意思の確認が終わると、ヴァーツラフは頷いた。

「成功すれば乾綠と鍋島敦は、そなたらの知っている状態に戻り、定着の道を歩むだろう。不死性は消え去り、五感や付随する感情すべてが人間のものとなる」

「照れた表情が見れるということですか?」

その言葉を聞いたミレナはハッとした顔で何かを考える。おそらく彼女は疑念こそ抱いていたが、確信には至らなかったのだろう。それほどまでにトゥーは、特に女性に対しひた隠しにしていたのだ。

「一部だけではない。愛情や好意はもちろん。憤怒や憎しみ嫉妬、はたまた視力や味覚食欲など、少しずつバランスがおかしくなっていたもの、すべてである」

あの二人の妙な落ち着きは元々の性格もあっただろうが、そこも欠けていたことに二人は全く気付いていなかった。最も露骨に出ていたのは食欲であろうが、それすら異常であったのだ。

だが、そんなおとぎ話のような、あまりに都合の良すぎる可能性だけを信じることはできない。そう考えるだけの年と痛苦の過去を経験し、性格も少しひねくれているからだ。

「もし……失敗したらどうなりますか?」

ノルはおそるおそる聞いた。最悪な結末を想像し、顔が青ざめている。ミレナ同じことを考えたのか、緊張から体がこわばっている。

「そのままである。あの者たちの狂死は神が許さぬ」

それは予想外の答えであった。

「永遠に互いしか認識できず、他者とまともな対話をすることもできない。そうして一生を終える。そういうことですか?」

ノルが確認のために問いかけるとヴァーツラフは肯定した。

「認識の差異から、激高した相手に危害を加えられた場合はどうなりますか?」

「不死性は変わらぬ。致命傷だけがなかったことにされ、それを認識することは決してない」

「そんなのって、死ぬよりも余程残酷じゃありませんか!」

ミレナが感情のままに叫ぶ。

「それを拒絶するのであれば、今後あの二人を見張るべきだろう。状態はどうあれ幸いに一生を終える。それが神の考えであり、望みでもある」

そう言うと、ヴァーツラフは錫杖の先を地面に打ち付けた。

「だが、それはあくまで不本意である。あの二人を本当の幸いにせよ。それが神の啓示。心得よ」

彼がそう言い切ると、二人はハッとして、胸に手を当て祈りを捧げた。

「神の御心のままに」

ヴァーツラフはやはり感情が希薄である。しかし、神のことに関して言うときは、どこか生き生きしているようであった。

「今あの者たちは強固な守護を受けている。まずはそれを揺り動かし、そなたらの存在を認知させるのだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結済】ラーレの初恋

こゆき
恋愛
元気なアラサーだった私は、大好きな中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界に転生していた! 死因のせいで顔に大きな火傷跡のような痣があるけど、推しが愛してくれるから問題なし! けれど、待ちに待った誕生日のその日、なんだかみんなの様子がおかしくて──? 転生した少女、ラーレの初恋をめぐるストーリー。 他サイトにも掲載しております。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

【完結】私のことが大好きな婚約者さま

咲雪
恋愛
 私は、リアーナ・ムスカ侯爵令嬢。第二王子アレンディオ・ルーデンス殿下の婚約者です。アレンディオ殿下の5歳上の第一王子が病に倒れて3年経ちました。アレンディオ殿下を王太子にと推す声が大きくなってきました。王子妃として嫁ぐつもりで婚約したのに、王太子妃なんて聞いてません。悩ましく、鬱鬱した日々。私は一体どうなるの? ・sideリアーナは、王太子妃なんて聞いてない!と悩むところから始まります。 ・sideアレンディオは、とにかくアレンディオが頑張る話です。 ※番外編含め全28話完結、予約投稿済みです。 ※ご都合展開ありです。

「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。 学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。 その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。

【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている

五色ひわ
恋愛
 ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。  初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

処理中です...