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本編

06:教皇

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ミレナに導かれた場所は、大きな礼拝堂だった。華美な装飾はないが、左右には青いステンドグラスがはめ込まれている。家具は素朴な長椅子と教典を置くための長机がちらほら見える。

中央に敷いてある絨毯は暗い青色をしており、その上をぬいは歩いていく。ミレナは後ろから楚々と追従するだけである。

向かう先に教皇は居た。説法をする場であろう台の前に立っている。

前に見た時と同じ衣服と錫杖。無表情でぬいのことを見据える。後ろにはひと際大きな水晶が鎮座していた。

それを見たぬいは不安になり、ミレナの方を振り返った。

「あれ……大丈夫?あの巨大な水晶って、危なくない?」

「どなたかにお聞きしたのでしょうか。聖別されたものは尊き結晶であり、何の害意ももたらしません」

それを聞くとぬいは安心し、教皇の元へとたどり着いた。ミレナに促され、その場に両膝をつくと手を組んで額に当てる。

「約束された地に降りたもうた小さき我が身に、どうか祝福の光をお授けください」

その言葉を受けた教皇は、ぬいの元へ近寄ると、額に手をかざす。

「憂いとためらいを取り払い、すべてを退けそなたはここへ来た。未来永劫信徒であり、試練に挑み続けると良い」

ここで教皇は一息置く。

「迷える心を断絶せよ」

強く言い切ると、錫杖をの先を地面に当てる。小さく光ったそれに呼応するように教皇の手から、淡い光が現れる。

ぬいは眩しさに目を閉じた。ミレナは手を組んで祈りを捧げる。

それに対し、教皇のまぶたは一切動いていない。本人の表情筋の問題というよりは、術者には影響がないのだろう。

やがて光は収束し、教皇は手を下ろした。そっと目を開けると、ミレナが感極まったようにしていた。今すぐにでも話したくて仕方がない様子である。

無表情の教皇は元の位置へと戻ると、台に置いてある本を開いた。

「でははじめよう。そも神た……」

「教皇さま。発言をお許しください」

いきなり何の前触れや許可ももなく、長そうな説法が開始しそうになったが、ミレナが制した。

ぬいは心の中で感謝を告げた。興味はあるが、今の状況で最初から最後まで聞きたいわけではないからだ。

「良い。そなたの行動は制限されていない」

教皇が答えると、ミレナは手を組む。

「感謝いたします」

短く告げると、すぐぬいの元へとやってきた。

「よかった。ヌイさまはわたくしたちと同じだったのですね」

どこか安堵したような、うれしそうな笑顔で言う。

ぬいは事態に追いつけず混乱していた。先ほどの教皇の発言からして、なぜ勝手に仲間に加わったことになっているのだろうと。

「心配する意味が分からない。ここに来た時点で、既に選別されている」

教皇が口を挟む。珍しいことだったのか、ミレナが驚いて目を見開く。

「まあ……そうは言われましても、ずっと、不安だったんです。もし、異教徒であったらどうしようと。ですが、聖別の光を受けて安心いたしました」

ミレナがぬいの手を取る。

「あの、ちょっと何が何だか……混乱して」

「一神のみを信仰されていては御業は行使できず、この国で生活を送ることが困難になってしまいますので」

ようやく納得ができた。あの光を受けたということは、ミレナやノルのように、御業が使えるということである。ぬいは淡い期待を再度浮上させる。

「色々と聞きたいことがあるんだけど」

「これで安心して、勇者さまの元へ馳せ参じることができます!」

少し前の彼女はきちんとぬいの話を聞いていた、しかし今は何も余地がないようだ。

ミレナの顔は少ししまりがなく、夢見心地といった具合である。勇者という存在に対し、尊敬よりも恋慕を抱いているのだろう。

大人びていた印象から、年相応の少女らしい様子に変化していく。ぬいは強く言うことができなかった。

「あの異邦者の所か」

「はい、勇者さまのところにです。それでは、失礼いたします」

ミレナは手を軽く胸の上へ当てて挨拶をすると、浮足立っているのか早歩きで去っていった。


後にはぬいと教皇だけが残された。どうすべきか考えあぐねいていると、また教典らしきものを開こうとしている。

「待ってください!」

長丁場が予想されるであろう事柄を回避しようとぬいは大声を出した。もしこの場に他者が居れば眉をひそめたであろう、声量である。

「良い、静止しよう」

教皇の表情は変わることはない。嫌そうなそぶりなど見せず、ぬいの言う通りにした。ただし教典は開いたままで、いつでも準備はできているようではある。

「あなたはわたしを知っているんですか?」

これ以上時間をかけては、またいつ説法がはじまるかわからない。ぬいはたくさんある質問を順に投げかけることにした。

「然り、そして否」

「すみません、意味が分かりません。はいかいいえ、どっちなんです」

「言葉の通りである」

「……」

話にならなかった。教皇にふざけている様子はない。いたってまじめである。ぬいが言葉に詰まると、教皇はまた教典に手をかける。

「あー……話はまだあります。そこの長椅子でいいんで座って、何もせずわたしの質問に答えてください」

ぬいはある可能性を思いついた。前々から気付いていたことだが、実際に聞こえてくる声と口の形は全く違っている。

何らかの力で強制的な翻訳が成されているが、それゆえに生じる意思の齟齬かもしれない。教皇の口元を中止しながら話をすることにした。

「この体に休息は必要ない」

仕事中毒者のような発言に対し、ぬいは顔を引きつらせる。ぼんやりとした過去のうちの一つが、頭に浮かんだからだ。

「そういう問題ではありません」

教皇は建国当時から生きている。ミレナの発言からして、彼は人間ではない。見た目に差異は見られないが、実際にそうなのであろう。

「気持ち的な問題です」

ぬいは先に長椅子へ腰を下ろした。痛くなってくる頭と同時に、疲労を感じたからだ。

「理解した。精神は重要であり、この者には理解できない事項である。異邦者よ、そなたの疲労防止に助成しよう」

ようやく教皇はまともに動いてくれた。長衣を踏まないようにはためかせると、ぬいの隣に斜めを向いて腰を下ろす。

「異邦者ってなんですか」

「言葉通りの意味だ」

ぬいのことを信者と発言したことから異教の者ではなく、ただ外からやってきた者という意味だろう。

「わたしは何かのために呼ばれたんですか?」

「然り。国内の異邦者は皆何らか役割がある」

ぬいは空いた口がふさがらなかった。ヒーローにあこがれる年でもないし、ここに来て万能の力を得た覚えもない。

「わたし何もできませんよ。教皇さまのような光も……あの人のような壁も出せませんし」

ぬいは何も出来なかった悔しさに歯を食いしばる。

「この存在は教皇ではない」

「えっ、どう見ても……だったら、何だというんですか」

「ヴァーツラフだ」

「はい?」

「ただのヴァーツラフ。第一発言者。そのように作られている」

一個人として呼んで欲しいという意味では決してない。そのような親しみや要請は一切はないのだから。

「そして何もできない、は間違っている。信徒は等しく御業を具現できる」

そう言うと教皇改めヴァーツラフは錫杖の飾りを外すとぬいに差し出した。

「ちょっ、えっ……そんなの取っていいの?……あの、高価なものは受け取れません」

「価値は知らぬ。必要であるから、下げ渡すだけである」

そう言うと勝手に手の上へと置いた。

「聖句を述べてみよ」

今までに聞いたのものは二つである。ヴァーツラフのものはいきなりできるとは思えない。そうとなればノルが言っていた行使したほうであるが、どちらも一字一句正確となると難しい。根本的に別の言語であるからか、どうも覚えが悪い。

「炎を……ここへ」

明らかに欠落しているだろうセリフを遠慮気味に言う。すると、手の中の水晶が一瞬光るがすぐに収束する。予想外の反応にぬいは目を見開いた。

「そなたの神たちは簡略を重視すると。理解した。しかし祈りと想像力が足りていない」

指摘を受けてぬいは考える。

「そもそも、信徒になる条件ってなんですか。わたしは何も宣言した覚えはありません」

「そなたは異なる神に対して敬意を示した。恭順した。あまたの数居るこの国の神は、尊重するものを拒まない」

「なるほど……」

もし一神のみを信じていたら、信仰外のものに対して礼を払ったり、祈りを捧げることに多少のためらいを持つだろう。

「壁のようなものを出すにはなんと言ったらいいですか?」

「我らが神たちよ、この小さき者は減衰を拒む」

ヴァーツラフは聖句を口にするが、目の前には何も現れなかった。そうしようとしなかった結果だろう。ぬいはできるだけあの時の悔しさを思い出しながら、口にする。

「げんすいをこばむ」

ぬいが言い切ると、目の前に透明な壁が現れたのが光の反射で分かった。それを確かめようと手を伸ばし、空を切る。

その反動で顔を壁にぶつけた。

「あたっ……これ、顔の大きさだけでてきてる?」

ぬいはそっと手を伸ばすと、手より少し大きな壁ができていた。かなり薄いのか、少し触ると氷のように解けて消えてしまった。

「元の信仰心はあろうとも、まだ日は浅い。さらなる精進が必要である」

そう言うとヴァーツラフは立ち上がり、教典を開く。拒める理由はもう存在しなかった。
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