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堕罪-前編ー
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藤の花が揺れる。
長い間しがらみの中でしか生きて来なかった私をあの人は受け入れてくれるかしら。
知っているのよ、あの人には大切にしている人がいて、言葉に騙されてはいけない。
でも、考える度に胸が詰まる様に苦しくって、息が出来なくなるの。
もう恥と言われたって、地獄に落ちたっていい。
恋は人を狂人へと変貌させる。
誰がまともで、まともでないかなんて分からない。
常識や普通なんて鎖に繋ぐ為の言葉だろう。
キイ、と貴方のいるバーの扉を開く。
「おう、来たか。」と煙草を片手に近付くお人は、私の愛する博さん。
公務員の方で年齢は、私より六つ程年下。とても格好良いのよ。
「サキさん、今日も美人だなァ。皆もそう思わないか。」
周りでガヤガヤと騒ぐ声。
私は三十路を過ぎているけれど、顔が童顔だとよく言われる。
他の人に何と言われても、ちっとも嬉しくはないけど博さんに言われると日々の薄汚れた感情が洗われていくような気がする。
「ねぇ、博さん。お仕事のお話聞かせてちょうだいよ。」
がっつきすぎず、平凡な会話を徹底する。
「あ、いや…」
「何かお辛い事でもあったの?私で良ければ聞かせて下さい。」
机の下で博さんの手を握ると、迷いながらも口を開いてくれた。
仕事の辛さや偶に見せる子どもの様な欲求。
堂々と隣にいられなくてもこの瞬間が楽しくて堪らない、そう思わせてくれる貴方。
ずっと続けばいいのに。
「あ、もうこんな時間だ!おい、帰るぞー。起きろって。」周りの声で日常へ戻される。
「博さん、今日も楽しかったわ。ありがとう。」
「いや、待ってくれ。もう少し一緒にいたい。同僚達を見送ってくるから、待ってて。」
駄目だと分かりながら、その場に居続けてしまうの。
若さは永遠ではない。
いつまでもこんな事続けてはいけない。
小さなバッグに入った小瓶をそっと見て、すぐにしまう。
あの人と一緒に…と願ってはいけないかしら。
「お待たせ。行こうか。」
お酒臭い貴方も好きよ、なんて思いながら返事をして繁華街の中へ入り込んでいく。
道端に植えられていたアセビが嗤った気がした。
「博さん、遅いわね。」
ぽそりと呟いた言葉は、空気に溶け込んで消えてゆく。
博の妻・ハルは寂しそうに机へ突っ伏する。
二十歳で結婚し、博に尽くしてきた女性であった。
子どもが欲しいと相談し、そのうちと博に言われ、複雑ではあったがその言葉を信じて生きてきた。
今日も仕事が長引いているのかしら。
会合だと言っていたけれど、何時帰ってくるかしら。
そんな事を悶々と考えているうちに時計は午後十一時を差し、ハルは眠りについた。
「博さん、博さん、…好きよ。」
一糸まとわぬ姿でベッドに座る二人。
博に抱き着いて愛を囁く女性は、サキ。
「ああ、俺も」とライターを取り、煙草に火を点ける男性は博である。
「私の事、好き?」
私は貴方が好きだけれど、と痛む心に手を当てて問う。
「ああ、好きだよ。この煙草みたいに、サキがいないと俺は禁断症状が出るだろうな。」
煙草と私を交互に眺める様に見て、悪戯に口角を上げる。
「ねぇ、私…貴方を見る度に苦しくて。息をする事も忘れてしまうの。
馬鹿な事だと分かっているし、奥さんにも申し訳ないと思っているわ。
でも貴方と一緒に、…人生を終えたいの。」
「もう少し早く出会えていたら、君と結婚していただろうね。
でも…このまま生きて、君と一緒にいるのは駄目かな?」
煙草を吸う事も忘れて、私を困った子どもをあやす様に見る貴方。
従いそうになるけれど、もう生きていたくないの。
貴方が一緒に来なくても私はこの人生に終止符を打つでしょう。
若さとは永遠ではなく、終わりが来るもの。
きっとこの人にもいずれ赤ちゃんが出来て、家庭へと戻っていってしまう。
そんな、指を咥えて貴方の幸福を見る人生なんて、耐えられないもの。
「駄目よ。今日じゃないと嫌なの。
私の我侭、聞いてほしい…。貴方が嫌なら、大丈夫ですから。」
着替えを始めると、後ろから博さんが抱き着いてきた。
「僕も、一緒にいくよ。君だけだときっと…迷ってしまうと思うから。」
「でも…ううん。ありがとう、すごく嬉しい…。好きよ、博さん。」
幾度か接吻をして、迷わない様にと博さんの黒色のネクタイで二人の手首を結ぶ。
そういえば、このネクタイは出会った年の貴方の誕生日に贈ったものね。
懐かしい。
サキは、博がサキと会うからとこのネクタイを選んだのかもと考えると胸が一杯になる想いであった。
「愛している。」
愛は人を犠牲にする。
相手を盲目に信じ、まるで他者の言葉など耳に入らないのだ。
二人が何処へいったかなんて誰も知る由も無い。
もしかしたら地獄かもしれないし、愛を信じるその純粋な心で天国へといったかもしれない。
私たちに二人の行方を調べる術など無いのだ。
これがどういう結果であれ、二人の選んだ人生の終止符なのだから。
長い間しがらみの中でしか生きて来なかった私をあの人は受け入れてくれるかしら。
知っているのよ、あの人には大切にしている人がいて、言葉に騙されてはいけない。
でも、考える度に胸が詰まる様に苦しくって、息が出来なくなるの。
もう恥と言われたって、地獄に落ちたっていい。
恋は人を狂人へと変貌させる。
誰がまともで、まともでないかなんて分からない。
常識や普通なんて鎖に繋ぐ為の言葉だろう。
キイ、と貴方のいるバーの扉を開く。
「おう、来たか。」と煙草を片手に近付くお人は、私の愛する博さん。
公務員の方で年齢は、私より六つ程年下。とても格好良いのよ。
「サキさん、今日も美人だなァ。皆もそう思わないか。」
周りでガヤガヤと騒ぐ声。
私は三十路を過ぎているけれど、顔が童顔だとよく言われる。
他の人に何と言われても、ちっとも嬉しくはないけど博さんに言われると日々の薄汚れた感情が洗われていくような気がする。
「ねぇ、博さん。お仕事のお話聞かせてちょうだいよ。」
がっつきすぎず、平凡な会話を徹底する。
「あ、いや…」
「何かお辛い事でもあったの?私で良ければ聞かせて下さい。」
机の下で博さんの手を握ると、迷いながらも口を開いてくれた。
仕事の辛さや偶に見せる子どもの様な欲求。
堂々と隣にいられなくてもこの瞬間が楽しくて堪らない、そう思わせてくれる貴方。
ずっと続けばいいのに。
「あ、もうこんな時間だ!おい、帰るぞー。起きろって。」周りの声で日常へ戻される。
「博さん、今日も楽しかったわ。ありがとう。」
「いや、待ってくれ。もう少し一緒にいたい。同僚達を見送ってくるから、待ってて。」
駄目だと分かりながら、その場に居続けてしまうの。
若さは永遠ではない。
いつまでもこんな事続けてはいけない。
小さなバッグに入った小瓶をそっと見て、すぐにしまう。
あの人と一緒に…と願ってはいけないかしら。
「お待たせ。行こうか。」
お酒臭い貴方も好きよ、なんて思いながら返事をして繁華街の中へ入り込んでいく。
道端に植えられていたアセビが嗤った気がした。
「博さん、遅いわね。」
ぽそりと呟いた言葉は、空気に溶け込んで消えてゆく。
博の妻・ハルは寂しそうに机へ突っ伏する。
二十歳で結婚し、博に尽くしてきた女性であった。
子どもが欲しいと相談し、そのうちと博に言われ、複雑ではあったがその言葉を信じて生きてきた。
今日も仕事が長引いているのかしら。
会合だと言っていたけれど、何時帰ってくるかしら。
そんな事を悶々と考えているうちに時計は午後十一時を差し、ハルは眠りについた。
「博さん、博さん、…好きよ。」
一糸まとわぬ姿でベッドに座る二人。
博に抱き着いて愛を囁く女性は、サキ。
「ああ、俺も」とライターを取り、煙草に火を点ける男性は博である。
「私の事、好き?」
私は貴方が好きだけれど、と痛む心に手を当てて問う。
「ああ、好きだよ。この煙草みたいに、サキがいないと俺は禁断症状が出るだろうな。」
煙草と私を交互に眺める様に見て、悪戯に口角を上げる。
「ねぇ、私…貴方を見る度に苦しくて。息をする事も忘れてしまうの。
馬鹿な事だと分かっているし、奥さんにも申し訳ないと思っているわ。
でも貴方と一緒に、…人生を終えたいの。」
「もう少し早く出会えていたら、君と結婚していただろうね。
でも…このまま生きて、君と一緒にいるのは駄目かな?」
煙草を吸う事も忘れて、私を困った子どもをあやす様に見る貴方。
従いそうになるけれど、もう生きていたくないの。
貴方が一緒に来なくても私はこの人生に終止符を打つでしょう。
若さとは永遠ではなく、終わりが来るもの。
きっとこの人にもいずれ赤ちゃんが出来て、家庭へと戻っていってしまう。
そんな、指を咥えて貴方の幸福を見る人生なんて、耐えられないもの。
「駄目よ。今日じゃないと嫌なの。
私の我侭、聞いてほしい…。貴方が嫌なら、大丈夫ですから。」
着替えを始めると、後ろから博さんが抱き着いてきた。
「僕も、一緒にいくよ。君だけだときっと…迷ってしまうと思うから。」
「でも…ううん。ありがとう、すごく嬉しい…。好きよ、博さん。」
幾度か接吻をして、迷わない様にと博さんの黒色のネクタイで二人の手首を結ぶ。
そういえば、このネクタイは出会った年の貴方の誕生日に贈ったものね。
懐かしい。
サキは、博がサキと会うからとこのネクタイを選んだのかもと考えると胸が一杯になる想いであった。
「愛している。」
愛は人を犠牲にする。
相手を盲目に信じ、まるで他者の言葉など耳に入らないのだ。
二人が何処へいったかなんて誰も知る由も無い。
もしかしたら地獄かもしれないし、愛を信じるその純粋な心で天国へといったかもしれない。
私たちに二人の行方を調べる術など無いのだ。
これがどういう結果であれ、二人の選んだ人生の終止符なのだから。
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