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六章 ビビアン・ウォードの欲深き愛と幸福
41、前日譚
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時は数日前に遡る。
結婚披露宴への準備も大詰めとなり、デューイとビビアンがあちこちのパーティーに出席していた頃である。忙しない空気のアークライト邸に緊張が走った。
公爵家子息フレデリクの訪問であった。当然のようにお忍び用の馬車で乗り付けて来た公爵家令息に、もしかして暇なのかしらとビビアンはうっすら思う。フレデリクは苛立ちを隠そうともせず、しかし薄い微笑みを張り付けていた。目が笑っていない、というやつである。
デューイは緊張した面持ちで彼を迎えた。
応接室で向かい合うように座る。
フレデリクの前には、まるで用意していたかのような、王室でも好まれる最高級の茶請けが出された。もちろん一介の男爵家に常備されるものではない。
「君たちは喧嘩を売っているのかな」
開口一番フレデリクは言い放つ。
「あちこちでイチャイチャと見せつけて、僕から接触させようなんてさ。あまりの豪胆さに僕も思わず訪問させられてしまったよ。どんな育ち方をしたらこんな精神が育まれるのか教えてもらいたいものだよ。爵位のある者の教育ではないのだろうねぇ」
相当腹に据えかねたのだろう。かなり直球の嫌味にデューイの頬が引き攣る。
ビビアンは口元に手を当てて困惑の表情を作った。
「まあ公爵家の御子息を誘き出そうだなんて、これっぽっちも考え及んでおりませんでしたわ。でも偶然にも! 今日は最高級のおもてなしができる準備がありましたので、突然のお訪ねにも対応できましてよ。これも育ててくれた父の教育の賜物ですわ」
フレデリクが器用に片眉を上げた。
「ビビアン、言葉が過ぎるぞ」
デューイが硬い声でビビアンを諌める。
そして深々と頭を下げた。
「このような非礼をお詫び申し上げます」
「不思議だねぇ。この前まで、僕をみるたびに真っ青になってた女の子とは思えないんだけど」
フレデリクは嫌味半分、本心から不思議に思う気持ち半分で言った。デューイが生唾を飲む。
「……それは、あなたの目的が分かったので、ビビアンにも余裕ができたのでしょう」
ほう、とフレデリクが笑みを消した。デューイの表情を観察する。
「セラ嬢についてです」
「……」
デューイはフレデリクの表情をちらりと見て続けた。
「あなたは、セラ嬢を調査されていますよね。あの日の伯爵家の夜会へは、そもそも彼女を目的に行ったのでしょう? そしてセラ嬢を調査していくうちに、あなたは彼女が犯罪を行なっていることを知ったはずです」
「ふぅん? それで?」
「決定的な証拠はまだ掴んでいないはず。私たちがそれを提供できるとしたら、結婚を認めて頂けますか?」
「どうして僕がセラ嬢を調べないといけないのかな」
フレデリクは試すようにデューイを見た。
デューイは一瞬、話して良いものか躊躇った。これから話そうとしていることは、デューイの身分で知って良いような内容ではない。
首が飛ぶかもしれない、という怖気を無理やり押し込めて口を開く。もとより引くことはできないのだ。
「それは……例えば、弟さんに相応しいお相手を探していた、のではないでしょうか」
フレデリク・フォスターに弟はいない。表向きは。
ビビアンの頼れる密偵ポールが調べあげたとある事実。それは最近、フォスター家に婚外子の存在が発覚したということだった。
それも公爵と平民の女性との間に生まれた男の子である。
公表するわけにも放置するわけにもいかず、フォスター家は彼を家門のひとつである家に養子にすることとなった。そしてその相手として相応しい令嬢を見繕うこと、それがフレデリクの任務であった。
セラに目をつけたフレデリクはあの夜会に訪れ、そこでデューイたちを知ったのだ。
「あなたが平民を嫌っているのも、元々はこの不祥事が原因なのでは?」
「確かに父の逸脱は許し難いことだ。だが、僕は元々立場ある者は立場ある者と結ばれることこそ、正しいことだと思っているんだよ。領分の違う者はお互いに適切な距離で自分の役割を全うすることが、強固な国を作ることに繋がるはずだからね」
デューイは目を瞬かせた。自分の中のフレデリクという人物像を少し改めねばならない。
今まで偏見だとばかり思っていた彼の言動が、彼なりの国を思う信念に基づいてのものかもしれないからだ。
「さて、どうやってセラ嬢を捕まえるというのかな」
フレデリクは話を戻した。ビビアンは作戦を端的に説明した。
「わたしたちの披露宴にセラ嬢を招待します。そこで思い切りイチャついて見せびらかせ、セラ嬢が最高に苛立ったところで敢えて隙を見せます。披露宴は彼女にとってわたしたちに攻撃できる最後のチャンスと言えますわ。きっと攻撃して来ることでしょう」
フレデリクは今度こそ思い切り顔を歪めた。
すごい、美人の不機嫌な顔って怖いのね、とビビアンは内心思う。
「そんな不確実なこと任せられると思う?」
「でもフレデリク様だって、実際こうしていらっしゃったじゃないですか。今のわたしたち、周囲からは相当鬱陶しく思われているはずでしてよ」
ビビアンは得意げに胸を逸らした。全く得意になることではないので、デューイは別の根拠を挙げる。
「そもそも彼女は、事件を揉み消すことのできる自分の領地ではなく、わざわざアークライトの領地に来て罪を犯しています。彼女がアークライトに対して悪意を抱いているのは確かです」
「ふぅん。不確かな賭けではあるが……君たちにチャンスをあげよう」
フレデリクの言葉にデューイが目を見開く。フレデリクは美しい笑みを浮かべた。
「秘密を知ってしまったものは取り込むか、消してしまうか。どちらかしかないよ。精一杯君たちの有用さを証明してくれたまえ」
デューイが重々しく頭を下げる。
何はともあれ、これでセラと戦うことができる。
話は終わりと言わんばかりにフレデリクは格好を崩した。それから思い返して語る。
「まあ、確かに彼女、人格者と聞いていた割に君たちのこと少しも助けようとしなかったものね。案外こんな作戦でも乗って来るかもしれないな」
ビビアンとデューイは首を傾げた。フレデリクはニヤリと口の端をあげる。
「気付いてなかったのかい? 自分の邸で開いた夜会で招待客が揉めていたら、普通主催者側は場を取りなすものだよ。彼女は傍観するばかりか会場を煽っていたからね」
「えっ?」
──やっぱり、あの婚約者にデューイ様も困っているんだわ
夜会で貴族令嬢たちと揉めたビビアンに、会場から声だった。あの一言で状況はビビアンに不利になったのだが……。
「あの時『デューイが婚約者に困っている』と煽ったのはセラ嬢だったよ」
結婚披露宴への準備も大詰めとなり、デューイとビビアンがあちこちのパーティーに出席していた頃である。忙しない空気のアークライト邸に緊張が走った。
公爵家子息フレデリクの訪問であった。当然のようにお忍び用の馬車で乗り付けて来た公爵家令息に、もしかして暇なのかしらとビビアンはうっすら思う。フレデリクは苛立ちを隠そうともせず、しかし薄い微笑みを張り付けていた。目が笑っていない、というやつである。
デューイは緊張した面持ちで彼を迎えた。
応接室で向かい合うように座る。
フレデリクの前には、まるで用意していたかのような、王室でも好まれる最高級の茶請けが出された。もちろん一介の男爵家に常備されるものではない。
「君たちは喧嘩を売っているのかな」
開口一番フレデリクは言い放つ。
「あちこちでイチャイチャと見せつけて、僕から接触させようなんてさ。あまりの豪胆さに僕も思わず訪問させられてしまったよ。どんな育ち方をしたらこんな精神が育まれるのか教えてもらいたいものだよ。爵位のある者の教育ではないのだろうねぇ」
相当腹に据えかねたのだろう。かなり直球の嫌味にデューイの頬が引き攣る。
ビビアンは口元に手を当てて困惑の表情を作った。
「まあ公爵家の御子息を誘き出そうだなんて、これっぽっちも考え及んでおりませんでしたわ。でも偶然にも! 今日は最高級のおもてなしができる準備がありましたので、突然のお訪ねにも対応できましてよ。これも育ててくれた父の教育の賜物ですわ」
フレデリクが器用に片眉を上げた。
「ビビアン、言葉が過ぎるぞ」
デューイが硬い声でビビアンを諌める。
そして深々と頭を下げた。
「このような非礼をお詫び申し上げます」
「不思議だねぇ。この前まで、僕をみるたびに真っ青になってた女の子とは思えないんだけど」
フレデリクは嫌味半分、本心から不思議に思う気持ち半分で言った。デューイが生唾を飲む。
「……それは、あなたの目的が分かったので、ビビアンにも余裕ができたのでしょう」
ほう、とフレデリクが笑みを消した。デューイの表情を観察する。
「セラ嬢についてです」
「……」
デューイはフレデリクの表情をちらりと見て続けた。
「あなたは、セラ嬢を調査されていますよね。あの日の伯爵家の夜会へは、そもそも彼女を目的に行ったのでしょう? そしてセラ嬢を調査していくうちに、あなたは彼女が犯罪を行なっていることを知ったはずです」
「ふぅん? それで?」
「決定的な証拠はまだ掴んでいないはず。私たちがそれを提供できるとしたら、結婚を認めて頂けますか?」
「どうして僕がセラ嬢を調べないといけないのかな」
フレデリクは試すようにデューイを見た。
デューイは一瞬、話して良いものか躊躇った。これから話そうとしていることは、デューイの身分で知って良いような内容ではない。
首が飛ぶかもしれない、という怖気を無理やり押し込めて口を開く。もとより引くことはできないのだ。
「それは……例えば、弟さんに相応しいお相手を探していた、のではないでしょうか」
フレデリク・フォスターに弟はいない。表向きは。
ビビアンの頼れる密偵ポールが調べあげたとある事実。それは最近、フォスター家に婚外子の存在が発覚したということだった。
それも公爵と平民の女性との間に生まれた男の子である。
公表するわけにも放置するわけにもいかず、フォスター家は彼を家門のひとつである家に養子にすることとなった。そしてその相手として相応しい令嬢を見繕うこと、それがフレデリクの任務であった。
セラに目をつけたフレデリクはあの夜会に訪れ、そこでデューイたちを知ったのだ。
「あなたが平民を嫌っているのも、元々はこの不祥事が原因なのでは?」
「確かに父の逸脱は許し難いことだ。だが、僕は元々立場ある者は立場ある者と結ばれることこそ、正しいことだと思っているんだよ。領分の違う者はお互いに適切な距離で自分の役割を全うすることが、強固な国を作ることに繋がるはずだからね」
デューイは目を瞬かせた。自分の中のフレデリクという人物像を少し改めねばならない。
今まで偏見だとばかり思っていた彼の言動が、彼なりの国を思う信念に基づいてのものかもしれないからだ。
「さて、どうやってセラ嬢を捕まえるというのかな」
フレデリクは話を戻した。ビビアンは作戦を端的に説明した。
「わたしたちの披露宴にセラ嬢を招待します。そこで思い切りイチャついて見せびらかせ、セラ嬢が最高に苛立ったところで敢えて隙を見せます。披露宴は彼女にとってわたしたちに攻撃できる最後のチャンスと言えますわ。きっと攻撃して来ることでしょう」
フレデリクは今度こそ思い切り顔を歪めた。
すごい、美人の不機嫌な顔って怖いのね、とビビアンは内心思う。
「そんな不確実なこと任せられると思う?」
「でもフレデリク様だって、実際こうしていらっしゃったじゃないですか。今のわたしたち、周囲からは相当鬱陶しく思われているはずでしてよ」
ビビアンは得意げに胸を逸らした。全く得意になることではないので、デューイは別の根拠を挙げる。
「そもそも彼女は、事件を揉み消すことのできる自分の領地ではなく、わざわざアークライトの領地に来て罪を犯しています。彼女がアークライトに対して悪意を抱いているのは確かです」
「ふぅん。不確かな賭けではあるが……君たちにチャンスをあげよう」
フレデリクの言葉にデューイが目を見開く。フレデリクは美しい笑みを浮かべた。
「秘密を知ってしまったものは取り込むか、消してしまうか。どちらかしかないよ。精一杯君たちの有用さを証明してくれたまえ」
デューイが重々しく頭を下げる。
何はともあれ、これでセラと戦うことができる。
話は終わりと言わんばかりにフレデリクは格好を崩した。それから思い返して語る。
「まあ、確かに彼女、人格者と聞いていた割に君たちのこと少しも助けようとしなかったものね。案外こんな作戦でも乗って来るかもしれないな」
ビビアンとデューイは首を傾げた。フレデリクはニヤリと口の端をあげる。
「気付いてなかったのかい? 自分の邸で開いた夜会で招待客が揉めていたら、普通主催者側は場を取りなすものだよ。彼女は傍観するばかりか会場を煽っていたからね」
「えっ?」
──やっぱり、あの婚約者にデューイ様も困っているんだわ
夜会で貴族令嬢たちと揉めたビビアンに、会場から声だった。あの一言で状況はビビアンに不利になったのだが……。
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