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三章 領地視察
16、領地視察②
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ともすれば無礼ともとれる言葉に、デューイは道路から視線を上げてバートに向けた。
「申請からこんなに早く来てくれるなんて、少ないですよ」
「……そういう怠慢をする者も、確かに居るな」
デューイはぼそりと答えた。
ビビアンはその表情から、子爵邸での夜会の帰りを思い出した。
──男爵家の仕事は取るに足らないと、同じ男爵の地位の者でさえ言う人もいる。それがなんか……やるせなくなっただけだ
自身の務めに誇りを持っているからこそ、同じ立場の者が務めをないがしろにする現状に、どうしようもなくなる。デューイに打ち明けられた気持ちを思い返し、ビビアンは唇をかみしめた。
切り替えるようにわざと怒ったような声を出す。
「まあデューイ様ったら! すっかり汗をかいてしまっているわ!」
ビビアンがマリーからハンカチを受け取り、デューイの頬に押し当てた。一瞬驚いたデューイだったが、せっせと手を動かす彼女に目を細める。それから「ん、」とビビアンに首筋を差し出した。
こっちも拭いてくれ、という仕草だ。ビビアンは暑さで赤らんだ顔をさらに染めた。
「ま、まあ、随分甘えたさんになってしまって」
デューイはわずかに動きを止めた。「甘えた」というビビアンの言葉に照れているようだ。
「ビビアンが甘やかすからだろ」
甘やかした記憶はない。適当な事おっしゃって、とビビアンは口を尖らせて彼の首筋を拭った。デューイは何となく誤魔化すように視線を逸らした。
「俺も拭いてやろうか」
「結構よ! 乙女が汗をかくと思って?」
「うん? 本当に汗かいてないな……女ってすごいな」
「もう!」
その様子を見ていたバートは、思わずと言った感じで零した。
「仲が良いというのは本当なんですね。おれはてっきり、ボイド家の令嬢と仲が良いのかと」
「なんですって?」
ビビアンは手を止めた。
さっきまでの浮ついた気持ちが一瞬で凍り付く。
「何故セラ嬢の名前が出てくるというの?」
「名前までは知らないですけど。噂で聞いただけですが……」
ビビアンの勢いにバートは躊躇った。ぽろっと口から出てしまった、という表情に、どうやら悪意を持っての発言ではなさそうだ。
「ボイド家の令嬢が孤児院の慰問をよくしていると。孤児院では最近変な病気が流行っていて危ないのに、本当に清らかな人だなぁ。坊ちゃんはああいう人が似合いそうだ。……と貴族の方が話してるのを聞いたので」
「どこでそんな話を聞くというの?」
「うちの取引先には貴族の屋敷に荷物を卸しているところもあるんです」
社交界の関係者ではない業者や商人に対しての方が、口が軽くなることもある。他家の貴族たちも軽い気持ちで言ったのだろう。
ビビアンは目の前が真っ赤になった。思わず拳を握り締める。
「どうして……わたしとデューイ様のことをあれこれ言われないといけないの?」
『前回』と違い、そこまで大きな失敗はしていないはずだ。ビビアンはそう自認している。それなのに社交界のみならず領民にまで噂されている。
「わたし、そこまで悪いことしたかしら?」
「ビビアン、」
デューイはビビアンの拳を掴んだ。言葉を掛けようと口を開いて、違和感を覚え彼女の顔を見つめる。ビビアンを覗き込み、頬に手を当てた。
「熱いな」
「なにを……」
興奮のまま言い返そうとして、ビビアンは閉口した。喚こうと思ったのに言葉が出ない。
ぐらり、と彼女の頭が揺れ、デューイの胸に沈んだ。そのまま縋りつくような形で力が抜けていく。血の気が引いていくのに、身体が異様に熱い。
「あれ……?」
「お嬢様!」
マリーがビビアンに駆け寄る。ビビアンの状態を確認して青褪めた。
「ああ、お嬢様!! お嬢様ッ……!」
「マリー! 落ち着いて」
恐慌状態のマリーを見て却って冷静になったのか、デューイがマリーに呼びかける。マリーはおろ、とデューイに顔を向けた。
「お前がしっかりしないと」
傍で見ていたバートがビビアンの顔を覗きこみ、呼吸を確認して言う。
「恐らく暑気あたりでしょう。うちの事務所を使ってください」
「分かった。マリーは医者を呼んできてくれ」
「はっ、はい!」
弾かれたようにマリーが走り出した。
「ビビアン」
デューイはビビアンの膝裏に腕を差し込んで抱き上げた。呼びかけるが彼女からの反応はない。バートの事務所へと急いだ。
◆
「冷やすものを取って来ます」
大量の書物に囲まれた事務所の一角、備え付けのベッドにビビアンを寝かせる。バートは奥へ引っ込みながらデューイに指示を出した。
「呼吸がしやすいようにドレスを寛げておいてください」
「えっ」
デューイがその言葉に弾かれてバートを振り返っている間に、既に彼は走って行ってしまった。
デューイは逡巡する。
ドレスを寛げる。
医療行為なのは分かっている。分かってはいるがちょっと、かなり、躊躇う。
しかし、デューイは自分に言い聞かせた。
こんな状況でやましい気持ちを抱く人間ではないはずだと。あとそんなことを言っている場合ではないと。
「ビビアン、ちょっとごめんな」
デューイは声を掛けて手を伸ばした。
「申請からこんなに早く来てくれるなんて、少ないですよ」
「……そういう怠慢をする者も、確かに居るな」
デューイはぼそりと答えた。
ビビアンはその表情から、子爵邸での夜会の帰りを思い出した。
──男爵家の仕事は取るに足らないと、同じ男爵の地位の者でさえ言う人もいる。それがなんか……やるせなくなっただけだ
自身の務めに誇りを持っているからこそ、同じ立場の者が務めをないがしろにする現状に、どうしようもなくなる。デューイに打ち明けられた気持ちを思い返し、ビビアンは唇をかみしめた。
切り替えるようにわざと怒ったような声を出す。
「まあデューイ様ったら! すっかり汗をかいてしまっているわ!」
ビビアンがマリーからハンカチを受け取り、デューイの頬に押し当てた。一瞬驚いたデューイだったが、せっせと手を動かす彼女に目を細める。それから「ん、」とビビアンに首筋を差し出した。
こっちも拭いてくれ、という仕草だ。ビビアンは暑さで赤らんだ顔をさらに染めた。
「ま、まあ、随分甘えたさんになってしまって」
デューイはわずかに動きを止めた。「甘えた」というビビアンの言葉に照れているようだ。
「ビビアンが甘やかすからだろ」
甘やかした記憶はない。適当な事おっしゃって、とビビアンは口を尖らせて彼の首筋を拭った。デューイは何となく誤魔化すように視線を逸らした。
「俺も拭いてやろうか」
「結構よ! 乙女が汗をかくと思って?」
「うん? 本当に汗かいてないな……女ってすごいな」
「もう!」
その様子を見ていたバートは、思わずと言った感じで零した。
「仲が良いというのは本当なんですね。おれはてっきり、ボイド家の令嬢と仲が良いのかと」
「なんですって?」
ビビアンは手を止めた。
さっきまでの浮ついた気持ちが一瞬で凍り付く。
「何故セラ嬢の名前が出てくるというの?」
「名前までは知らないですけど。噂で聞いただけですが……」
ビビアンの勢いにバートは躊躇った。ぽろっと口から出てしまった、という表情に、どうやら悪意を持っての発言ではなさそうだ。
「ボイド家の令嬢が孤児院の慰問をよくしていると。孤児院では最近変な病気が流行っていて危ないのに、本当に清らかな人だなぁ。坊ちゃんはああいう人が似合いそうだ。……と貴族の方が話してるのを聞いたので」
「どこでそんな話を聞くというの?」
「うちの取引先には貴族の屋敷に荷物を卸しているところもあるんです」
社交界の関係者ではない業者や商人に対しての方が、口が軽くなることもある。他家の貴族たちも軽い気持ちで言ったのだろう。
ビビアンは目の前が真っ赤になった。思わず拳を握り締める。
「どうして……わたしとデューイ様のことをあれこれ言われないといけないの?」
『前回』と違い、そこまで大きな失敗はしていないはずだ。ビビアンはそう自認している。それなのに社交界のみならず領民にまで噂されている。
「わたし、そこまで悪いことしたかしら?」
「ビビアン、」
デューイはビビアンの拳を掴んだ。言葉を掛けようと口を開いて、違和感を覚え彼女の顔を見つめる。ビビアンを覗き込み、頬に手を当てた。
「熱いな」
「なにを……」
興奮のまま言い返そうとして、ビビアンは閉口した。喚こうと思ったのに言葉が出ない。
ぐらり、と彼女の頭が揺れ、デューイの胸に沈んだ。そのまま縋りつくような形で力が抜けていく。血の気が引いていくのに、身体が異様に熱い。
「あれ……?」
「お嬢様!」
マリーがビビアンに駆け寄る。ビビアンの状態を確認して青褪めた。
「ああ、お嬢様!! お嬢様ッ……!」
「マリー! 落ち着いて」
恐慌状態のマリーを見て却って冷静になったのか、デューイがマリーに呼びかける。マリーはおろ、とデューイに顔を向けた。
「お前がしっかりしないと」
傍で見ていたバートがビビアンの顔を覗きこみ、呼吸を確認して言う。
「恐らく暑気あたりでしょう。うちの事務所を使ってください」
「分かった。マリーは医者を呼んできてくれ」
「はっ、はい!」
弾かれたようにマリーが走り出した。
「ビビアン」
デューイはビビアンの膝裏に腕を差し込んで抱き上げた。呼びかけるが彼女からの反応はない。バートの事務所へと急いだ。
◆
「冷やすものを取って来ます」
大量の書物に囲まれた事務所の一角、備え付けのベッドにビビアンを寝かせる。バートは奥へ引っ込みながらデューイに指示を出した。
「呼吸がしやすいようにドレスを寛げておいてください」
「えっ」
デューイがその言葉に弾かれてバートを振り返っている間に、既に彼は走って行ってしまった。
デューイは逡巡する。
ドレスを寛げる。
医療行為なのは分かっている。分かってはいるがちょっと、かなり、躊躇う。
しかし、デューイは自分に言い聞かせた。
こんな状況でやましい気持ちを抱く人間ではないはずだと。あとそんなことを言っている場合ではないと。
「ビビアン、ちょっとごめんな」
デューイは声を掛けて手を伸ばした。
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