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一章 アークライト夫人の事件
8、マリー
しおりを挟むビビアンが未来から過去へ戻ってきた、と認識していること。
『前回』では、先日の事件でアークライト夫人が襲われてしまっていたこと。それ以降ビビアンがデューイに付きまとい行為をするようになり、婚約解消したこと。そしてデューイが不自然な死を遂げ、それを調査していたビビアンも何者かによって刺されたこと。
全てを告げられ、聞き終えたマリーは息を吐いた。
「なるほど……」
「信じるの?」
「そうですね。作り話にしては、お嬢様の趣味ではないな、と思いますね」
マリーは険しい顔で言う。
ビビアンは口がムズムズするのを止められなかった。嬉しい。いつだってマリーは自分の理解者なのだと、頬が熱くなる。
一方マリーは眉根を寄せていた。メイドが主人の前でする表情ではないが、二人きりの空間で許されると分かっているからだ。
「最初から相談して頂きたかったです」
「そ、それはごめんなさいね。こんな話信じて貰えないと思ったのよ」
「それが悔しいと言っているのです! その結果、お嬢様は一人で無茶をなさって、危ない目に遭ったのですよ?!」
マリーは自然と声が大きくなっていった。先日、アークライト邸で自分が眠っていた間に起きた出来事にどれだけ衝撃を受けたか、無鉄砲な主人は分かっていないのだろう。
マリーはビビアンが子供の頃から世話をしてきた。主人から誰よりも(ともすれば家族や婚約者より)信頼を勝ち取ってきたと自負している。どんな突拍子の無い話だろうと主人から事情を共有されると思っていたのに。
マリーは発言しながら、自分が傷ついていたのだと気付いた。
「確かに、私は愚かにもお嬢様の言葉を信じないかもしれません。でも、私に信じさせるのを諦めないでくださいませ」
マリーは膝をついてビビアンの両手を包んだ。
「どうか、私にお嬢様を理解させてくださいませ」
マリーから懇願され、ビビアンは不覚にも泣きそうだった。視線を逸らして涙が零れないように努める。
「確かに、意固地になって一人で解決しようとするのはわたしの悪い癖だわ。長年、『前回』ですら、最後までわたしに仕え続けてくれた貴女に対して誠意が足りなかったわ」
ごめんなさい、とビビアンは聞こえるかどうかの声で告げる。マリーは瞳を潤ませてこっくりと頷いた。
ふう、と息を吐いてビビアンは気持ちを切り替える。
「マリー、わたしはこれが夢だとしても、絶対に同じような未来になりたくないの。これから色々と行動を起こすと思うけど、知ったからには協力して頂戴」
「もちろんですわ! むしろお嬢様一人でできることなんてたかが知れてますわ! 使えるものは全部使っていきましょう!」
マリーがビビアンの肩に両手を載せる。ところで、とマリーは親しげな顔を引っ込めて気まずそうに続ける。
「その、婚約を解消されたと言っていましたけど、今デューイ様のことは好きなんですよね?」
それはビビアンだけの問題ではなかった。現状婚約を結んでいるアークライト家、ウォード家の問題でもある。ビビアンにとっての『前回』、マリーにしてみれば『未来予知』によって、デューイへの愛情が冷めてしまっては大問題だった。
マリーは政治的な意味で質問したのだが、ビビアンは恋の話として受け取り、乙女のように頬を染めた。
「普通そんな惨状になるって分かったら、関わりたくないとか、嫌いだとか、一発張り倒したいとか土下座させたいとか、資産を根こそぎ奪ってやりたいとか思うわよね」
個人差がある感想だった。
「なのに、デューイ様のお顔を見たら、もう全然頭が回らなかったの。お話していたら嬉しくてドキドキしてしまって……。それに強盗からわたしを助けようと必死な姿を思い出したら、大事にされてる感じがしてすっごく気分が良いのよね」
ビビアンはものすごく現金なことを言った。しかし、
「わたし、デューイ様のことが大好きなの」
視線を落として恥じらう姿は恋する乙女そのものだった。マリーは感動した。
「わたしってお手軽な女かしら」
「そんなことありません! なんて愛情深くていらっしゃるのかしら!」
拳を固め、必ずや主人の恋を成就させると密かに決意する。
「ではやはりウォード家の総力を持って臨むべきですね」
「ありがとう、マリー」
それから、とビビアンは続けた。
「デューイ様の不審死とか、わたしを襲った人とかは確実に存在するわ。まず第一にそれらの対策を優先するわよ。その為にポールの力を借りたいの」
「ポール、……荷物持ちの彼ですか? 元々屋敷の護衛なんですよね? わたし、実は彼とはあまり会ったことが無いのですが……」
「そのはずよ。表向き、彼は護衛として雇い入れられて庭先をプラプラしたりしてるけど、ウォード家の密偵だから」
これは将来的に得た知識である。デューイに付きまとい行為をした際や、デューイの死の真相を調査した際、彼を頼ったのだ。
驚き口元に手を添えるマリーを尻目に、ビビアンは指を鳴らした。
ポールが滑るように部屋に入ってくる。
マリーは彼を改めて見つめた。
中肉中背、身なりも派手ではないがみすぼらしくもなく、何処にでもいそう、という印象だ。実際、同じ屋敷で働いているはずのマリーは彼のことをほとんど記憶していない。
「ポール、聞いていたでしょうけど、あなたにも協力してもらいたいの。わたしたちだけでは分からないことも多いでしょうからね。よろしくて?」
「はい」
ポールの返事に、ビビアンは鷹揚に頷いた。
マリーに全て知られてしまった、という事実は却ってビビアンを勇気づけた。
「なんだか全然計画通りにいかないけど、やってやろうじゃない!」
姿も知らぬ敵に対して、闘志を燃やしたのであった。
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