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序章
1、破局
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「婚約を解消してほしい」
美丈夫は苦しげに告げた。
片田舎の小さな街を治める男爵家の邸宅である。
ローテーブルを挟んで睨み合うのは、この男爵家の嫡男とその婚約者。デューイ・アークライトとビビアン・ウォードだ。
家同士で交流があり、年齢が近いことから二人の婚約は幼いころから決まっていた。下級貴族の嫡男と資産家の娘の婚姻という、珍しくは無いがあまり歓迎もされない縁組だった。
それが今、破局を迎えていた。
「なんですって?!」
ビビアンはヒステリックに叫んだ。波打つ豊かな黒髪を逆立て、眼は吊り上がっている。影で『夜の女王』と揶揄されることもある彼女の怒気は、ただの令嬢にしては不釣合いな凄味があった。
相対するデューイは、青白い細面をしかめただけだった。黒髪が落とす影が、彼の顔を一層白く見せる。ともすると儚げな印象すら与えるが、憂いを帯びた表情はどこか色気を放っていた。
この場を見た他者が居たならば、事情を知らずともデューイへ同情してしまうだろう。実際デューイは被害者だった。
「落ち着いてくれ。あまり事を荒立てたくない」
「荒立てたくない? 事なら既に荒立ってるじゃないの! わたしに何か問題があって?」
ビビアンは掴みかかりそうな勢いで腰を浮かす。デューイは重苦しく口を開いた。
「全てだ。君のしたこと全てが耐えられない」
苦しそうな割にバッサリと彼は言い放った。ビビアンはちょっとひるんだ。浮かせた腰を落ち着かせる。
そして心当たりは全くないが思考を巡らせた。自分の行動を振り返り列挙する。
「……もしかして、密偵にデューイ様の周辺を調べさせたことですか?」
「それもある」
「ええと、パーティーで他所の令嬢をぶってしまったこと?」
「それもある」
「それともデューイ様のお友達を買収したことですか?」
デューイは意識的に深呼吸した。激昂しないためにである。片方が感情的になれば、ビビアンとの話し合いは罵倒の応酬になることを、彼は幼いころからの経験で知っていた。
「ビビアン。君の付きまといじみた行為や、俺の感情を無視した行為が、婚約者の範疇を越えているんだ。端的に言うと、すごく不快だった」
デューイはゆっくり、噛み砕いて伝えた。ビビアンの怒気が収まり、動揺に変わる。デューイは少し語勢を弱めた。
「俺の『母上の件』で、君も傷ついたと分かってる。本当はもっと上手くできたかもしれない。でも、ごめん。別れてくれ」
ビビアンは呆然とデューイを見つめた。彼の瞳も揺れていることに気付く。
デューイの瞳が夜明けのように輝くのが、ビビアンは子供の頃から好きだった。そしてこの瞳をきちんと見つめるのが随分久しぶりなことに気が付いた。
だからビビアンは背筋を伸ばして、最後まで彼の瞳を見つめながら答えた。
「謹んでお受けいたします」
こうして二人の関係は終わりを迎えた。
それからビビアンの生活がどうなったかと言うと、特別変わらなかった。涙や弱ったところを見せず、公の場にも参加した。
口さが無い者達からは可愛げがないと囁かれたが、その気の強さは変わらない。
しばらくしてデューイが遠縁の伯爵家の女性と結婚したと聞いた時もそうだった。
彼の訃報を受けるまでは。
美丈夫は苦しげに告げた。
片田舎の小さな街を治める男爵家の邸宅である。
ローテーブルを挟んで睨み合うのは、この男爵家の嫡男とその婚約者。デューイ・アークライトとビビアン・ウォードだ。
家同士で交流があり、年齢が近いことから二人の婚約は幼いころから決まっていた。下級貴族の嫡男と資産家の娘の婚姻という、珍しくは無いがあまり歓迎もされない縁組だった。
それが今、破局を迎えていた。
「なんですって?!」
ビビアンはヒステリックに叫んだ。波打つ豊かな黒髪を逆立て、眼は吊り上がっている。影で『夜の女王』と揶揄されることもある彼女の怒気は、ただの令嬢にしては不釣合いな凄味があった。
相対するデューイは、青白い細面をしかめただけだった。黒髪が落とす影が、彼の顔を一層白く見せる。ともすると儚げな印象すら与えるが、憂いを帯びた表情はどこか色気を放っていた。
この場を見た他者が居たならば、事情を知らずともデューイへ同情してしまうだろう。実際デューイは被害者だった。
「落ち着いてくれ。あまり事を荒立てたくない」
「荒立てたくない? 事なら既に荒立ってるじゃないの! わたしに何か問題があって?」
ビビアンは掴みかかりそうな勢いで腰を浮かす。デューイは重苦しく口を開いた。
「全てだ。君のしたこと全てが耐えられない」
苦しそうな割にバッサリと彼は言い放った。ビビアンはちょっとひるんだ。浮かせた腰を落ち着かせる。
そして心当たりは全くないが思考を巡らせた。自分の行動を振り返り列挙する。
「……もしかして、密偵にデューイ様の周辺を調べさせたことですか?」
「それもある」
「ええと、パーティーで他所の令嬢をぶってしまったこと?」
「それもある」
「それともデューイ様のお友達を買収したことですか?」
デューイは意識的に深呼吸した。激昂しないためにである。片方が感情的になれば、ビビアンとの話し合いは罵倒の応酬になることを、彼は幼いころからの経験で知っていた。
「ビビアン。君の付きまといじみた行為や、俺の感情を無視した行為が、婚約者の範疇を越えているんだ。端的に言うと、すごく不快だった」
デューイはゆっくり、噛み砕いて伝えた。ビビアンの怒気が収まり、動揺に変わる。デューイは少し語勢を弱めた。
「俺の『母上の件』で、君も傷ついたと分かってる。本当はもっと上手くできたかもしれない。でも、ごめん。別れてくれ」
ビビアンは呆然とデューイを見つめた。彼の瞳も揺れていることに気付く。
デューイの瞳が夜明けのように輝くのが、ビビアンは子供の頃から好きだった。そしてこの瞳をきちんと見つめるのが随分久しぶりなことに気が付いた。
だからビビアンは背筋を伸ばして、最後まで彼の瞳を見つめながら答えた。
「謹んでお受けいたします」
こうして二人の関係は終わりを迎えた。
それからビビアンの生活がどうなったかと言うと、特別変わらなかった。涙や弱ったところを見せず、公の場にも参加した。
口さが無い者達からは可愛げがないと囁かれたが、その気の強さは変わらない。
しばらくしてデューイが遠縁の伯爵家の女性と結婚したと聞いた時もそうだった。
彼の訃報を受けるまでは。
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