北の砦に花は咲かない

渡守うた

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序章

2、回帰

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 雪の中、青年はもう、自分が泣いているのかどうかさえ分からなかった。




 仲間たちの血で汚れた雪原を、巨大な魔物が蠢く。
 魔物は蛇のような胴体を引きずり、彼に狙いを定めた。身体をよじり、勢いよく蛇の尾を振り上げる。
 硬直して動けない。見つめることしかできなく──

「──セス」
「スカーレット!?」

 眼前に赤髪が揺れる。それが愛する女性のものだと理解して彼は目を見開いた。
 彼女は魔物と彼の間に割り込み、彼の身体を後ろへ押し出した。

(どうして──)

 目の前に重量のある蛇の尾が振り下ろされ、衝撃でセスの身体は吹き飛ばされた。





「──はっ!」

 柔らかな陽射しを受け、彼──セス・ワイアットはベッドから飛び起きた。

「僕は死んだはずじゃ……」

 思わず出た声があまりにも幼く、セスはぎょっと口元に手を当てた。その掌も、見下ろす身体も、明らかに子供のものだった。

「坊ちゃん! 気が付いたのですね!」

 入口の方から声が上がる。年若いメイドがセスの元へ駆け寄った。目に涙を浮かべてセスの身体を抱きしめる。セスは驚いて彼女の顔を見つめた。

「奥さまがお亡くなりになって、坊ちゃんまで目覚めなかったらどうしようかと、私っ……」

 彼女の言葉を聞いてセスは理解した。自分が過去に戻ってきていることを。



 セスは混乱する頭を押さえて状況を整理する。
 自分は20歳、魔法使いだ。
 魔法大国アステルラント王国で魔法使いの大家に生まれ、後継者として厳格な教育を受けてきた。魔法で世の中に貢献する為、北部の騎士団に所属した。そこへ突然巨大な魔物……【厄災】が現れ、騎士団の仲間を皆殺しにしたのだ。
 強大な力を持つ魔物を、古来から【厄災】と呼んでいる。

(僕も死んだと思ったけれど、……この状況はどう見ても5歳くらいの時だ)

 鏡で自分の姿を確認する。
 銀髪の少年が不安気にこちらを見ている。
 信じがたいが過去に戻ってきた、というほかない。

(「奥さまがお亡くなりになって」とキャシーが言ったということは、春ごろかな)

 キャシーとは先程のメイドである。心配そうにこちらを見つめている。セスの母親は彼が5歳の時に他界している。彼女の反応から見て、母が亡くなった直後なのだろう。

(昔に戻っているってことは、まだ砦は襲われてないってことだから──まだ皆死んでない!)


 セスは顔を跳ね上げた。

「キャシー! 魔物が北部を襲うから、皆を避難させて!」
「え?」

 キャシーが困惑してセスを見つめる。

「えっと、僕は騎士団に入ってて、……死んだはずなんだけど戻ってきて……」

話していくうちに、セスは声が尻すぼみになっていった。聞いていたキャシーの顔色がどんどん悪くなったからである。

「お可哀想な坊ちゃん。あんなお優しい奥さまを亡くされて、どれだけショックだったか。怖い夢を見たのですね」
「ええと……」

 セスは頭を切り替えた。自分で口にしていても意味不明だし、実際頭も混乱している。だがじっとすることもできず、廊下へ走り出した。キャシーの戸惑った声が背中に掛けられる。「坊ちゃん!」
 セスが走った先は父の書斎だった。
 ずっと父が苦手だった。父を畏怖しており、目の前にすると言葉も上手く出ない。だが魔法使いとして高名な父なら、この現象を理解するかもしれない。
 重い扉を押し開け、椅子に深く腰掛けている父に叫ぶ。

「父さん、魔物が来るんです! 【厄災】が……巨大な魔物が北部に来て人々を襲うの、だから避難を呼びかけてください!」

 父は顔に刻まれた皺をさらに深くした。

「何を言っているんだ? こんな時に」
「【厄災】が来るんです。それまでに皆を守らなくちゃいけないんです!」

 セスは声の限り叫んだ。
 息子のこれまでにない様子に彼は眉を顰める。そしてセスを睨みつけた。

「ワイアット家の後継者としてお前が力を示さねばならないという時に、やはり精神が未熟な……」

 彼は言葉を途切れさせた。そして青白い顔をした息子を改めて見つめる。
 父はゆっくりと口を開いた。

「セス、お前、魔力はどうしたんだ?」

 父の言葉にセスは目を見開いた。
 ──魔力?
 自分の身体を見下ろす。言われてみれば、確かに、いつも身体に渦巻いているような魔力……魔法を起こすための力が、今は感じられない。
 まさか、と思い魔法を起こそうと力を籠める。いつもなら空気が揺れるほどの力を感じるのだ。それが──

「そんな」

 何の変化も起きなかった。

「セス、お前、魔力を失くしたのか……?」

 父が息を呑む。
 セスは指先まで冷え切った手を握り締めた。
 彼は魔力を失っていた。
視界が揺らぐ。彼は再び意識を失った。

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