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第2章 北の辺境――ノーザンバリー
42.答え合わせとリリアーナの帰還(前編)
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それから三日が経ったその日の午後、俺はバルコニーで双眼鏡を覗きこみ、ロイドと共に街の様子を監視していた。
なぜって、今日はリリアーナが帰ってくる日だからである。
「ああ……早くリリアーナに会いたい……」
俺はリリアーナレスに陥っていた。
この一週間は色々と忙しくしていたとはいえ、こんなに長くリリアーナと離れるのは学生時代以来初めてのことだからだ。
ときどき父親の領地経営の手伝いで数日屋敷を離れることはあっても、一週間もリリアーナと顔を合わせないなんてことはなかったし、おはようのキスも、おやすみのキスも欠かしたことはない。
そんなわけで、俺は早くリリアーナを抱きしめたくてソワソワしていた。
「ああ……早くリリアーナに会いたい」
俺は同じフレーズを繰り返す。
すると、いつの間にか背後に立っていたユリシーズが大きく溜息をついた。
「アレク。気持ちはわかるけど、君、もう一時間もこうしてるよ。せっかく風邪が治ったのに、ぶり返したらどうするの?」
「ユリシーズ……いつの間に」
「昨日だって止めたのに、急に伯父上と川釣りに出掛けたりして……僕は君が全然わからないよ」
「いや、だってそれは、お前の伯父さん釣りが趣味って言うから……。俺も釣りは結構好きだし、親睦を深めるのもアリかなぁと」
「…………」
俺の言葉に呆れたのか、ユリシーズは再び深く溜め息をつく。
そして今度はロイドに話しかけた。
バルコニーの手すりに腰かけ足をぶらぶらさせながら、キッチンからくすねたであろう菓子を次々に口に放り込んでいくロイド。
その横顔は、まるで幼い子供にしか見えない。
「ロイド、君も君だ。ここは二階だよ。そういう危ない座り方はやめてくれないかな? 下を通りがかった使用人が皆びっくりしているよ」
「え~? でも僕、落ちないし。落ちても平気だし。それより君もこれ食べる? クルミ入りのクッキー、おいしいよ」
「……いいよ、お腹空いてないから」
ロイドの返答に、ユリシーズは今度こそ毒気を抜かれたようだ。
ユリシーズは「はぁ」と脱力すると、バルコニーの手すりに背を預ける。
そのまま晴れ渡った大空を仰ぎ、「平和だな」と呟いた。
――平和。
それは、ここしばらくの俺たちとは無縁だった言葉。
王都を出てからまだたった三週間弱なのに、俺たちから遠く離れてしまっていた言葉。
ありふれた日常。少し前まで、信じて疑わなかったもの。
それが今は、とても特別でありがたいものだと感じられる。
「ほんと……平和だよな。俺たちちょっと前まで、毎日こんな感じで過ごしてたんだよな」
サミュエルの加護によって守られた王都はどこまでも平和で、たとえ戦争になろうと戦うのは職業軍人のこの世界。
人相手だろうと、魔物相手だろうと、王侯貴族の俺たちが戦わされることはない。
俺たちはそんな、享受された平和の中で生きてきた。その日常を信じて疑わなかった。
けれど今は、その平和を必死に守ってくれている人たちがいることを知った。
平和であることが、当たり前ではないことを知った。
ここがゲームの世界であろうとなかろうと、それは変わらない。
だから俺は、今このときだけかもしれない平和を噛みしめるのだ。
「なぁ、ユリシーズ」
「うん?」
「俺……本気で頑張ってみるわ」
「……え? 何を?」
魔力の循環が良くなったせいなのか、ここ数日の間に急激に思い出した前世の記憶。
妹に付き合って部分的にプレイしたゲームの内容。妹が俺に話して聞かせたシナリオの一部。
それから、アレクがラスボスとして殺される間際に放った最後の台詞。(妹談。脚色あり)
それらの情報と、アレクの置かれていた状況を勘案して導き出した答え――それは、アレクは何者かに嵌められてラスボスと化したのだということ。
真のラスボスは別にいるということだった。
つまり、そいつを見つけ出さない限り本当のハッピーエンドは有り得ない。
ゲームではアレクが殺されてハッピーエンドを迎えたが、それはあくまで恋愛ゲームとしてのハッピーエンドなだけであって、この世界のハッピーエンドというわけではないのだ。
(だから俺は、必ずそいつを見つけ出す。見つけ出して、全てを吐かせる)
俺は強く決意する。必ずこの世界にハッピーエンドを迎えてみせる、と――そのときだ。
俺は不意に思い出した。
そう言えば、ユリシーズに聞いておきたいことがあったのだ。
「なぁユリシーズ?」
「今度は何?」
「お前、先週露店を回った帰り、俺に何か怒ってただろ? あれ、理由はなんだったんだ? 考えたけど、どうしてもわからなかった」
尋ねると、ユリシーズは驚いたように目を見開いて「ああ、あれ」と気まずそうに呟く。
「大したことじゃないから気にしなくていいよ」
「そう言われると余計気になるだろ。教えてくれよ。俺が何か気に障ること言ったんだろ?」
「あー……気に障ることっていうか……なんて言えばいいのかな……。あのとき僕は、君が君じゃないような気がしたんだ。君があまりにも僕の知ってるアレクとは違ってて……別人のように感じちゃって……ごめんね」
「――!?」
申し訳なさそうに笑うユリシーズ。
けれど俺は、なんだか気が気ではなくなって……。
(いや……ここは俺が驚くところじゃないだろ。実際俺は、アレクとは全然別の人格なんだから)
「ちなみに……どの辺がお前の知ってるアレクと違ってたんだ……?」
俺は恐る恐る尋ねる。
聞いておかないと後々困るような気がしたからだ。
すると俺の問いに、ユリシーズはどこか寂しそうに眉を下げる。
そして次の瞬間ユリシーズの口から放たれた言葉は、あまりにも予想外のものだった。
「君が、鶏肉を食べたから」――と。
なぜって、今日はリリアーナが帰ってくる日だからである。
「ああ……早くリリアーナに会いたい……」
俺はリリアーナレスに陥っていた。
この一週間は色々と忙しくしていたとはいえ、こんなに長くリリアーナと離れるのは学生時代以来初めてのことだからだ。
ときどき父親の領地経営の手伝いで数日屋敷を離れることはあっても、一週間もリリアーナと顔を合わせないなんてことはなかったし、おはようのキスも、おやすみのキスも欠かしたことはない。
そんなわけで、俺は早くリリアーナを抱きしめたくてソワソワしていた。
「ああ……早くリリアーナに会いたい」
俺は同じフレーズを繰り返す。
すると、いつの間にか背後に立っていたユリシーズが大きく溜息をついた。
「アレク。気持ちはわかるけど、君、もう一時間もこうしてるよ。せっかく風邪が治ったのに、ぶり返したらどうするの?」
「ユリシーズ……いつの間に」
「昨日だって止めたのに、急に伯父上と川釣りに出掛けたりして……僕は君が全然わからないよ」
「いや、だってそれは、お前の伯父さん釣りが趣味って言うから……。俺も釣りは結構好きだし、親睦を深めるのもアリかなぁと」
「…………」
俺の言葉に呆れたのか、ユリシーズは再び深く溜め息をつく。
そして今度はロイドに話しかけた。
バルコニーの手すりに腰かけ足をぶらぶらさせながら、キッチンからくすねたであろう菓子を次々に口に放り込んでいくロイド。
その横顔は、まるで幼い子供にしか見えない。
「ロイド、君も君だ。ここは二階だよ。そういう危ない座り方はやめてくれないかな? 下を通りがかった使用人が皆びっくりしているよ」
「え~? でも僕、落ちないし。落ちても平気だし。それより君もこれ食べる? クルミ入りのクッキー、おいしいよ」
「……いいよ、お腹空いてないから」
ロイドの返答に、ユリシーズは今度こそ毒気を抜かれたようだ。
ユリシーズは「はぁ」と脱力すると、バルコニーの手すりに背を預ける。
そのまま晴れ渡った大空を仰ぎ、「平和だな」と呟いた。
――平和。
それは、ここしばらくの俺たちとは無縁だった言葉。
王都を出てからまだたった三週間弱なのに、俺たちから遠く離れてしまっていた言葉。
ありふれた日常。少し前まで、信じて疑わなかったもの。
それが今は、とても特別でありがたいものだと感じられる。
「ほんと……平和だよな。俺たちちょっと前まで、毎日こんな感じで過ごしてたんだよな」
サミュエルの加護によって守られた王都はどこまでも平和で、たとえ戦争になろうと戦うのは職業軍人のこの世界。
人相手だろうと、魔物相手だろうと、王侯貴族の俺たちが戦わされることはない。
俺たちはそんな、享受された平和の中で生きてきた。その日常を信じて疑わなかった。
けれど今は、その平和を必死に守ってくれている人たちがいることを知った。
平和であることが、当たり前ではないことを知った。
ここがゲームの世界であろうとなかろうと、それは変わらない。
だから俺は、今このときだけかもしれない平和を噛みしめるのだ。
「なぁ、ユリシーズ」
「うん?」
「俺……本気で頑張ってみるわ」
「……え? 何を?」
魔力の循環が良くなったせいなのか、ここ数日の間に急激に思い出した前世の記憶。
妹に付き合って部分的にプレイしたゲームの内容。妹が俺に話して聞かせたシナリオの一部。
それから、アレクがラスボスとして殺される間際に放った最後の台詞。(妹談。脚色あり)
それらの情報と、アレクの置かれていた状況を勘案して導き出した答え――それは、アレクは何者かに嵌められてラスボスと化したのだということ。
真のラスボスは別にいるということだった。
つまり、そいつを見つけ出さない限り本当のハッピーエンドは有り得ない。
ゲームではアレクが殺されてハッピーエンドを迎えたが、それはあくまで恋愛ゲームとしてのハッピーエンドなだけであって、この世界のハッピーエンドというわけではないのだ。
(だから俺は、必ずそいつを見つけ出す。見つけ出して、全てを吐かせる)
俺は強く決意する。必ずこの世界にハッピーエンドを迎えてみせる、と――そのときだ。
俺は不意に思い出した。
そう言えば、ユリシーズに聞いておきたいことがあったのだ。
「なぁユリシーズ?」
「今度は何?」
「お前、先週露店を回った帰り、俺に何か怒ってただろ? あれ、理由はなんだったんだ? 考えたけど、どうしてもわからなかった」
尋ねると、ユリシーズは驚いたように目を見開いて「ああ、あれ」と気まずそうに呟く。
「大したことじゃないから気にしなくていいよ」
「そう言われると余計気になるだろ。教えてくれよ。俺が何か気に障ること言ったんだろ?」
「あー……気に障ることっていうか……なんて言えばいいのかな……。あのとき僕は、君が君じゃないような気がしたんだ。君があまりにも僕の知ってるアレクとは違ってて……別人のように感じちゃって……ごめんね」
「――!?」
申し訳なさそうに笑うユリシーズ。
けれど俺は、なんだか気が気ではなくなって……。
(いや……ここは俺が驚くところじゃないだろ。実際俺は、アレクとは全然別の人格なんだから)
「ちなみに……どの辺がお前の知ってるアレクと違ってたんだ……?」
俺は恐る恐る尋ねる。
聞いておかないと後々困るような気がしたからだ。
すると俺の問いに、ユリシーズはどこか寂しそうに眉を下げる。
そして次の瞬間ユリシーズの口から放たれた言葉は、あまりにも予想外のものだった。
「君が、鶏肉を食べたから」――と。
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