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第2章 北の辺境――ノーザンバリー
25.守りたいもの(前編)
しおりを挟むエレベーターが止まり、俺はロイドの手を借りて地下五階の地を踏んだ。
灯りはほぼないに等しい。エレベーター上部の穴から差す自然光がなければ、何も見えないと言っていいほどの暗さだ。
俺はその暗さの理由を、揺れで灯りが消えたせいかと思った。が、どうもそうではないようである。
おそらくだが、灯りは元から点いていないのだ。
きっと人の出入りが少ないのだろう。
地面は均されていないし、滑車用の線路も敷かれていない。天井を支える梁や柱も見当たらず、掘削しっぱなしのようだった。
(――にしても、本当に暗いな。夜の森の方がまだマシだ)
正直、俺には隣に立つロイドの表情がやっと読める程度だ。
けれど、ロイドにはちゃんと周りが見えているようで……。
暗闇の中で、ロイドの両目だけが爛々と光を帯びている。
いったいどれほど先まで見えているのだろうか。
ロイドは暗闇の先を見つめ、微かに笑みを浮かべた。
「凄い瘴気だ。ゾクゾクする」
「――っ」
“早く殺したい”――ロイドの目が、そう言っているように見えた。
ゴクリと唾を飲み込む俺の前で、ロイドが腰を落とす。
「さあ、乗って」と。
「……ああ」
俺はロイドに言われるがままその首に手を回そうとして――けれど、躊躇った。
どういうわけか、地上にいるときよりもロイドの背中が小さく見えたからだ。
「……?」
(いや、違う。小さくなった気がするんじゃない。実際、こいつは小さいんだ)
そもそも、冷静に考えてみれば俺はロイドの倍近い体重があるはず。
それなのに、俺はこんな小さな背中に背負われて……恥ずかしくないのか?
不意に、俺の中にそんな気持ちが芽生える。
するとロイドは、なかなか背中に乗らない俺に痺れをきらしたのか、首を回しこちらを見上げた。
「どうしたの? 乗らないの?」
「いや、何ていうか……その、俺、重くないかな、って?」
「はぁ?」
女のようなことを口走る俺に、眉をひそめるロイド。
「今さら何言ってるの? その身長で重くないわけないでしょ。嫌味?」
「いや、そんな……嫌味なんかじゃ」
しまった。ロイドは自分の身長が小さいことを気にしているんだった。――しどろもどろになる俺を、冷たく見据えるロイドの瞳。
「あっ、わかった。君、僕に背負われるのが今さら恥ずかしくなったんでしょ」
「……っ」
「僕、そういうの何て言うか知ってるよ。マリアが前に教えてくれた。確か……安いプライド、だったっけ」
「――ッ!」
全てを見透かすようなロイドの瞳に、俺はたじろいだ。
確かに、ロイドの言葉は正しかったからだ。
地上では俺とロイド意外、他に誰もいなかった。だからロイドに背負われることに抵抗を感じなかった。
けれど今は違う。この先に進めば、リリアーナが、セシルが、グレンがいる。
俺はその三人に自分の情けない姿を見られることを嫌だと思ったのだ。――リリアーナのことを一番に考えなければならないこの状況で、俺は一瞬でも、自分のプライドを守りたくなったのだ。
「図星? まぁ別に僕はどっちでもいいけど――でもそのプライド、今の君にとっては不要なんじゃないの?」
「…………」
(ああ、そうだよな)
本当にロイドの言う通りだ。反論の余地もない。
俺は拳を握りしめ、ちっぽけなプライドを振り払う。
そして今度こそ、ロイドの背中に体重を預けた。
「頼む、ロイド。一刻も早くリリアーナのところへ」
「言われなくても」
こうしてロイドは俺を背負い、闇に満ちた地下道を駆けだした。
◇
ロイドの足取りに迷いはなかった。
一寸先は闇――そんな言葉がぴったりの坑道内を、少しの躊躇いもなく全速力で駆けていく。
その迷いのなさに俺は改めて驚かされたが、それよりももっと驚いたのは、ロイドの足の速さだった。
人一人背負っているとは思えない駆け足で、ロイドは先へと突き進むのだ。その速度は、万全状態の俺とほぼ変わらないほど。
「おまっ……スピード……速ッ……!」
「口は閉じてた方がいいよ。舌、噛むから」
「……ッ」
まるで忍者か暗殺者でもあるかのような、訓練された者の走り方。
鍛えているってだけじゃない、ロイドにはもっと特別な何かがあるような気がする。
そんな印象を、俺はロイドに抱いた。
(こいつ……本当に何者なんだ?)
性格は色々とマズいが、能力的にはチートと呼ぶに相応しい。サミュエルやセシル、グレンに並ぶ強者だ。
それにこのルックス。年齢的に幼いために攻略対象者には入らなかったのかもしれないが……ただのモブキャラにしては出来すぎている。
――ロイドの背中の上でそんなことを考えていると、不意にロイドが声を上げた。
「あっ、見つかった」――と。
瞬間、俺の思考は一気に現実に引き戻される。
見つかった――その言葉が、いい意味でないことを理解して。
「おい、それはいったいどういう意味だ!?」
怒鳴るように問うと、平然と答えるロイド。
「そのままの意味だよ。大蛇が聖女さまたちを見つけたってこと」
「そんな! じゃあもう出くわしたってことか!?」
「さあ? そこまではわからない」
「――っ、とにかく急いでくれ……!」
「無茶言うなぁ」
俺の命令にも近い口調にロイドはぼそりと呟いて、けれどわずかながら速度を上げた。
だがそれも束の間、坑道の奥から突如として響き渡る甲高い悲鳴。
閉鎖されたこの空間で反響し、こだましたしたその声は――聞き間違えるはずのない、リリアーナの声だった。
「……ッ!」
――ああ……間に合わなかった。
頭が真っ白になる。喉を絞め付けられているかのように苦しくなる。
アレクの記憶の中の――蛇を目の当たりにして倒れたリリアーナの姿が蘇って――俺は、全身から血の気が引くのを感じた。
だがそれでも、俺は前に進み続ける。ロイドに背負われて――その場所へと、辿り着く。
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