35 / 74
第2章 北の辺境――ノーザンバリー
18.人喰い大蛇(後編)
しおりを挟む(しっかりしろ、俺。今はユリシーズのことだけ考えろ)
ゆっくりと肺から息を吐きだして――今度は、大きく吸い込む。
空気は悪いが、それでも、脳に目一杯の酸素を送り込む。
そして気合いを入れ直し、脳内で出口までの距離をはじき出した。
――入口から崩落場所までにかかった時間はおよそ二十分。
だが、うち半分以上は魔物との戦闘に費やした。
ということは、実際に歩いた時間は長くて十分。歩行速度は分速八十メートル……だが、実際はもっと遅かっただろうし、立ち止まったりもした。それを考慮すると、分速六十メートルくらいだろうか。
――となると……。
(せいぜい六百メートルってところか。だが既に半分は過ぎているはず。つまり残りは三百メートル。……ハッ、楽勝だ)
こうやって数値に表すと、漠然とした不安が消える気がする。
データは希望にも絶望にもなり得るが、出口があるとわかっている今は希望の方だ。
このまま魔物と遭遇しなければ、五分後にはマリアのところに辿り着けるのだから。
――だがそう思ったのも束の間、俺は直感的に足を止めた。
前方から、何かが忍び寄る気配がする。
「とうとう来たか……」
俺は背中からユリシーズを下ろし、地面に横たえた。
グレンは逃げてもいいと言ったが、この狭い坑道で、迫りくる魔物から逃げきるなど不可能に近い。
たとえ逃げたとしても、今の右足の状態ではすぐに追いつかれるに決まっている。
つまり、倒す以外の選択肢は――ない。
「俺だって、やるときはやるんだよ」
俺は自身を鼓舞するように呟いて、聖剣を引き抜いた。
正面で構え、近づいてくる敵の様子を伺う。
そして数秒の後、暗闇から姿を現したのは、瘴気をたっぷり吸いこんだであろう巨大な蛇だった。
「……っ」
(――でかい)
長さは十メートル近く。大きな顎に鋭い牙、魔物特有の赤い瞳。
食事の後なのか、胴がいびつな形に盛り上がっている。
そのシルエットに、俺はどうしようもなく勘づいてしまった。
「……こいつ、まさか……」
(人間を……喰ってやがる……!)
ここに入ったときから違和感は感じていた。
マリアは遺体が放置されていると言ったのに、実際は誰一人見当たらないことに。
俺はその理由が、ここが入口付近だからだと思っていた。
けれど違ったのだ。この蛇が、人間の身体を丸呑みにしていたからなのだ。
「――っ」
ああ……駄目だ。怖い。怖くて……足がすくんでしまう。
魔物は人を襲う。それはグレイウルフと戦って、よく理解していたはずなのに。
ユリシーズが隣にいないことが、自分一人で戦わなければならないことが、こんなにも恐ろしいことだったなんて……。
――でも……。
「……来いよ」
ユリシーズは俺を守ってくれた。だから今度は、俺がユリシーズを守る番だ。
それに、俺が手にしているのは聖剣。天下の大神官、サミュエルの聖剣だ。蛇ごときに負けるはずがない。
俺は大蛇を見据え、剣先を向ける。
「お前は俺が倒す。これは決定事項だ」
魔物に人間の言葉がわかるわけがない。まして蛇だ。犬や猫ではなく、蛇。
そんな奴に、何を言ったって無駄。そんなことは百も承知だ。
けれどそれでも、俺は言わずにはいられなかった。
殺さなければ、殺される。
そんな状況で、俺はそうでも言わなければ、今にも逃げ出したくなる気持ちを抑えてはいられなかった。
「殺ってやる」
こいつは俺がここで殺す。
それ以外に、俺たちが生き延びる方法はないのだから。
俺は蛇と睨み合う。
そして数秒の後――蛇が動きだすと同時に――俺は一気に間合いへと踏み込んだ。
33
お気に入りに追加
178
あなたにおすすめの小説
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました
taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件
『穢らわしい娼婦の子供』
『ロクに魔法も使えない出来損ない』
『皇帝になれない無能皇子』
皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。

乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う
ひなクラゲ
ファンタジー
ここは乙女ゲームの世界
悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…
主人公と王子の幸せそうな笑顔で…
でも転生者であるモブは思う
きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…
公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
恋愛
公爵家の末娘として生まれた幼いティアナ。
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。
ただ、愛されたいと願った。
そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる