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第2章 北の辺境――ノーザンバリー
5.不吉の前兆(後編)
しおりを挟む「…………」
無言になった俺を残し、ユリシーズは馬車から降りてきた辺境伯へ駆け寄っていく。
ユリシーズとは少しも似ていない、まるで軍人のような体つきをした貫禄ある伯父さんと、ユリシーズは抱擁する。
「ユリシーズ! すっかり見違えたな、別人かと思ったぞ! 会うのは二年……いや三年ぶりか!?」
「五年です、伯父上」
「なんと、五年か! 月日が経つのは早いものだな!」
「本当に。ところで、伯父上はなぜこちらに?」
「おお、そうだった。実はソフィーから連絡を貰ってな。お前の世話をしてやってくれと」
「母上が……」
「ああ。そろそろ着くころかと思っていたら、先ほど我が家に出入りしている商隊からお前たちのことを聞きつけてな、こうして急ぎ駆け付けたというわけだ! いやあ、会えて良かった! 広い街だからな。領主と言えど全てを把握してはおられんと言うに――そう言えばあれは昔からお前に対しては特に過保護だったが――」
ノーザンバリー辺境伯は快活な人だった。
歳は四十半ばから五十といったところか。声が大きく、よく笑い、よく話し、ジェスチャーがやたら大袈裟な人。
これは貴族にはありがちだが、実は舞台俳優なのではと思えるほど、ときおり芝居がかった話し方をする。
「ところで――御父上は息災か?」
「ええ。相変わらずですよ」
「そうか。――ふむ。それは喜ぶべきなのか、はたまた悲しむべきなのか」
「伯父上、冗談でもそれは」
「はっはっは! 冗談に決まっておろう!」
辺境伯は声を上げて笑い――そして俺の方を向くと、改めて自己紹介をしてくれた。
「挨拶が遅れてすまないな。私はルシウス・マーティンだ。四代前からこの地、ノーザンバリーを治めている。見ての通りユリシーズの伯父だ。……君は」
「あ――、私はアレクと申します。ローズベリー家長子、アレク・ローズベリーです。以後お見知りおきを」
ややテンパりながら答えると、辺境伯は目を大きく見開いた。
と同時に彼の太い腕が伸びてきて、その手が俺の左肩に降りてくる。「おお、そうかそうか、君がアレクか!」――と満面の笑みを浮かべながら。
どうやら彼は俺のことを知っているようだ。
先ほどのユリシーズとの話を加味するに、ユリシーズの母親から俺のことを聞いていたとか、そういうことなのだろう。
いったいどんな風に伝わっているんだろうか――そう思ったのも束の間、突然声色を変える辺境伯。
明るく朗らかだったトーンが、急に威圧的なものに変わる――。
「――ところでユリシーズ、セシル殿下はどちらにいらっしゃる?」――と。
そう尋ねた声は、明らかに先ほどまでとは別人だった。まるで獲物を狙う鷲のような目をしていた。
だがユリシーズはほんの少し眉を動かすのみで、冷静に問い返す。
「なぜそんなことを聞くのです?」
すると、ユリシーズに何かを耳打ちする辺境伯。――同時に、今度こそユリシーズの顔が険しくなる。
「それは本当なのですか!?」
「私は領主だぞ。嘘だと思うか?」
「……いえ。そもそも、そんな嘘をついたって伯父上には何の利もありませんから」
「その通りだ。そういうわけだから、お前たちには一刻も早く我が屋敷に来てもらわねばならん。――が、こちらも準備がいるのでな。明朝馬車を寄こすからそれまでに準備をしておけ」
「…………」
「本来ならば私自らお伝えせねばならないことだが、何せ時間がない。殿下にはお前から申し伝えよ。――よいな?」
「……はい、伯父上」
――こうして俺は、何一つ現状を把握できないまま辺境伯の馬車を見送った。
が、その馬車が見えなくなると、途端にユリシーズに腕を掴まれる。
引きずられるようにして宿屋の階段を駆け上がり、そのまま部屋になだれ込んだ。
「……ユ、ユリシーズ……? いったいどうしたんだよ。伯父さん……何だって?」
俺の左腕を掴むユリシーズの腕が、酷く震えている。
よほど恐ろしいことを言われたのだろうか。
そう思った矢先、ユリシーズから出た言葉――それは……。
「死んだって……」
「……え?」
「鉱山道に瘴気が充満して………人が亡くなったって……伯父上が……」
――全く考えもしなかった、死亡者発生の報告だった。
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