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第2章 北の辺境――ノーザンバリー
7.俺とセシルの長い夜(中編)
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俺は隣の部屋の扉を叩いた。
「セシル、いいか? 話があるんだ」――そう声をかけ、返事を待つ。
数秒して開いた扉の先には、グレンが立っていた。
「どうした。体調はもういいのか?」
「ああ。実は……セシルに話があって。二人にしてもらえないか?」
「…………」
すると、グレンは訝し気な顔をする。
――が、背後を振り向き、奥のテーブルに座るセシルに意思を伺ってくれた。
「どうする、セシル」
「……そうだな。――うん、いいよ、聞こう。どうやら大事な話のようだし。グレンは外に」
「わかった。だが窓には近づくなよ。こんな状況だ。何かあってからでは遅い」
「わかってるよ。本当に君は心配性だな」
「心配しすぎるくらいが丁度いいんだ。お前の場合は特にな」
そう言い残し、グレンは部屋から出ていった。
◇
俺とセシルは二人きりになる。
セシルはテーブルの上に広がっていた地図を畳み、俺に着席するよう勧めた。
「グレンは僕の前だと絶対に座らないからな。でも、君なら座ってくれるだろう?」
セシルの声は怖いほど穏やかだった。
まるで人が死んだことなんて聞かされていないかのような、落ち着き払った態度だった。
俺が椅子に座ると、セシルはやや首を傾げ、さっそく話を切り出す。
「それで? 話とは?」
「……ああ、それが――俺、セシルに教えてもらいたいことがあって」
「教え? 僕にか? ユリシーズじゃなく?」
セシルは意外そうな顔をした。
俺はわからないことがあるとユリシーズに尋ねるから、不思議に思うのは当然だ。
だが、これはセシルにしか答えられないことなのだ。
「ああ、セシルに尋ねたい。これはセシルにしか答えられない内容なんだ」
俺がそう言うと、セシルは驚いたように目を見開いた。
そして数秒間何かを考える素振りを見せ、口を開く。
「わかった。とりあえず聞こうか。内容は?」
いつになく真面目な顔をして、俺を見つめるセシルの瞳。
その目をまっすぐに見据え、俺はセシルに問いかける。
「俺は、セシルが今考えていることを知りたい。今回鉱山に発生した瘴気について、どう考えているのか。辺境伯の屋敷に招かれることについてどう思っているのか。――それだけじゃない。ここ一年で瘴気の発生が十倍にも増えていることについて……セシルは、どう考えてる?」
俺が知りたいこと。
それは、セシルが今何を見て、何を考えているのかということ。
今の状況について、政治的なあれこれをひっくるめて、何に注意してどう行動するべきなのかということ。
だが、セシルはすぐには答えなかった。
セシルは俺の問いにピクリと眉を震わせて以降、しばらく黙り込んでいた。
そうして長い沈黙の後、ようやく唇を開く。
「なぜ、そんなことを知りたがる?」――と。
その言葉に、俺は一つの確信を得た。
俺の質問は、セシルにとって意味のある内容なのだということ。
少なくとも、簡単に答えられる内容ではないのだということ。
だが、だからこそ意味があるんだ。
今の俺に、この世界の情報を一つ一つ確認している時間的余裕はない。
ならば、セシルがいったい何を考えているのか、それを知ることが、この世界を理解するための近道になるはず。俺はそう考えた。
――だから。
「それは俺がこの世界について何も知らないからだ。二ヵ月前の馬車の事故で、俺は記憶の殆どを失った。自分のことだってよくわからない。瘴気や魔物、政治や経済についてなんて尚更だ」
「確かに……君の記憶のことならリリアーナから聞いている。だが、それと今の質問にどう関係がある?」
「関係ならあるだろ。俺は何も知らないんだ。瘴気で人が死ぬことも知らなかった。目の前で何かが起きて、初めて知ることばかりなんだ。だから俺は知らなきゃならない。今俺たちがどういう状況に置かれているのか。それがどれくらい良くないことなのか。俺はちゃんと理解したいんだ」
俺は訴える。
セシルの見ている景色を俺にも見せてほしい、と。おこがましいことだとは理解しながら。
でも、やっぱりセシルは答えなくて。
「なるほど。君の言いたいことは理解したよ。だが、その問いの相手が僕である必要はないだろう? いつものようにユリシーズに尋ねればいいじゃないか。まして彼は君の友人で、僕よりずっと博識だ。それは君が一番よくわかっているんじゃないのか?」
そう言って、静かな瞳で俺を見据えるのだ。
――ああ。やはりこの問いは、王太子に向けるにはあまりに無礼なものだったということか。
だが、俺だって簡単に引き下がるわけにはいかない。
「確かにそうだ。実際あいつは頭が良くて、俺の知りたいことは全部知ってる。でも、あいつは俺に気を遣うから。俺の負担にならないように線引きして、それ以上は話してくれない。だからセシルに頼んでる」
「…………」
「それに俺は、もうこれ以上ユリシーズを失望させたくない。あいつをがっかりさせたくないんだよ」
そうだ。俺はユリシーズにがっかりされたくないんだ。こんなことも知らないのかと、そう思われたくない。
ユリシーズとは対等な関係でいたいんだ。――だから。
「でも、セシル――お前なら、俺に遠慮なんてしないだろう? 王太子のお前なら、俺に何の気遣いもなく、ただ事実を事実として語ってくれる……そう思うから」
「…………」
「だからお願いだ、セシル」
するとセシルは俺のしつこい説得に呆れたのか、再び沈黙してしまった。
けれどしばらくして、諦めたように息を吐く。――そして、頷いた。
「わかったよ。そこまで言うなら」
「――!」
「ただ、最初に断っておくが僕はあまり説明するのが得意じゃない。それにかなり主観的な意見になると思う。それでも構わないか?」
「ああ、もちろんだ。恩に着る、セシル」
「うん。じゃあさっそくだが、まずは……そうだな。瘴気がどう人体に影響を及ぼすのかについて――」
――こうして俺は、セシルから話を聞く機会を得た。
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