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拾◆池田屋事変
二十
しおりを挟むそんな帝の態度に、千早はやはりこれは何かがおかしい……と、そう思わざるを得なかった。
「約束って……?」
だから彼女は尋ね返す。「一体それはどういう意味か」と。けれど帝は何も答えない。
「ねえ、やっぱりおかしいよ帝」
「……」
「何とか言ってよ。こんなんじゃ私……」
――こんな帝、知らない。私、見たことない。
千早の心にじんわりと不安が広がっていく。心臓の鼓動がうるさいのに、指先は冷たくて。
「帝……」
何度名前を呼んでも黙ったままの帝に、頭の中は焦燥感でいっぱいになっていく。
「もう何も聞くな。これ以上言いたくない」
ようやく口を開いた帝の言葉は、千早を到底納得させるものではなくて――。
「……あのね、帝」
「お願い。ここで待ってて。終わったら、俺、千早の言うこと何でも聞くから。――な?」
「……」
帝の言葉に、千早は悟る。
――ああ、もう、何を言っても無駄なんだ……。
帝は自分の意見を押し通すことしか考えていない。こうなってしまっては、もう自分の声は届かないことを、千早は確かに知っていた。つまり、答えは一つしか用意されていないのだ。
帝は傍から見れば寛容で寛大な人間だ。人当たりが良く他人の意見は一度はすべからく受け入れ真っ向からは決して否定したりはしない。それがどんなに非効率で筋の通っていない意見であろうと、だ。勿論最終的にはそのどうしようもない意見が採用されることはないが、それはきちんと相手を納得させる論理的な意見を展開した上でのことだ。
だがそれは一重に、帝は心の底では他人に全くと言っていいほど興味を持っていないからだった。だからこそ帝は冷静な視点で周りを説得し、そして相手の感情を瞬時に察知した上でその場その場に必要な言葉を適切に選択して心を動かすことができるのだ。
けれど、例外もある。
こと自分の身近な人間に対しては、彼は必要以上の執着を見せるのだ。それはすべての人間に当てはまることだろう。けれど、帝のそれは少々異常な程だった。
彼は、彼のもっとも近くにいる人間に対しては、それこそ自分の一部であるようにふるまったり、意のままに操ろうしたりする。意見が食い違うとあからさまに不機嫌な態度を取って見せたり、ときには攻撃的になったりもする。
そのことを、千早はよく知っていた。
それでも帝と付き合い続けているのは、それ以上の余りある魅力があるからなのだが……。ともかく、今の帝は何を言われても自分の意志を曲げる気はないようだ。それに今の帝がこうであるのは、自分の身を案じることから来るもの。ならば尚更、答えは一つしかない。
――帝の提案を受け入れた振りをして、ギリギリになってからやはり参加出来ると言って皆について行く。皆の前で言い張れば、帝もどうしようもないだろう。
そう考えた千早は、「わかった」と頷いた。
「……でも、帰って来たら今帝が隠していること、全部話してもらうからね」
――これは振りだ。けれど、あまりにもあっさり同意してしまっては不審がられてしまう。
千早はそれを見越して、不満たっぷりな様子で答える。
すると帝は一応納得してくれたようだ。千早の背中に回していた腕をほどき、「本当だな!?」と多少は顔を明るくして千早の顔をじっと見つめた。
千早がそれに頷くと、彼は今度こそ心から安心したようにほっと胸を撫でおろす。
「俺、帰ってきたら全部ちゃんと話すから」
「絶対だからね」
「ああ、約束する」
そうして、再び千早に近づく帝の顔。
「――え?」
何事かと思えば、帝は鼻先の触れそうな距離で、――囁く。
「行ってらっしゃいの、キスして」
「――っ!?」
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