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九◆廻りだす時間
十七
しおりを挟む――嗚呼……。
それは本当に一瞬だった。飛び散る、赤。売れた果実が弾け飛ぶように、真っ赤な血しぶきが地面に散った。生々しい鉄の匂いが辺りに立ち込め、土の上に朱い模様が浮かび上がる。
地面を赤く赤く――染めあげて。
「ち……はや……?」
彼はそれでも動けなかった。地面に広がっていく赤い血だまりを他人事のように眺めながら、彼はただ茫然とそこに立ち尽くすことしか出来なかった。周囲の悲鳴も、怒号も、罵声も――それら全てをまるで、夢の中のことのように感じながら……。
逃げ惑う人々が、立ち止ったままの沖田の腕や肩に容赦なくぶつかってきて、その場で倒れそうになる。地面を汚す血だまりから視線を逸らすことが出来ない沖田に、町民らは「邪魔だ」「どけ」などと言葉を吐きながら逃げ去っていく。
「……あ……あ、ぁ」
それでも沖田は動けなかった。よく見慣れた筈のその赤い色がいやに禍々しく、彼の思考を浸食していた。
「あ……ああ………」
朱に染まる千早の着物。少年を力一杯抱きしめたまま、ぴくりとも動かない彼女の背中。
「……う、……ッ」
刹那、酷い吐き気が込み上げた。彼は右手で口元を押さえ、堪えきれずに片膝をつく。
「――ぐ、……」
そして同時に彼の口から溢れ出したのは、先ほど食べていた団子だった。沖田は込み上げる吐き気と眩暈を抑えきれず、胃の内容物を全て土の上に吐き戻す。情けなくも、地面に両ひざをついたまま――。
――あぁ、何だよ……これ。こんなの、夢に決まっている。夢に、……決まってるだろ。
沖田の意識は今にもこと切れてしまいそうだった。耳鳴りが酷い。千早のもとに駆け付けなければならないのに、どうしても顔を上げられなかった。脳みそが直視することを拒んでいた。――見ていられない、と。
けれど、その時だ。――彼の耳に届いた微かな声が、その意識を一瞬で引き戻す。
「……沖田さん」
「――ッ!」
瞬間、沖田は大きく目を見開いた。今の声は間違いなく千早のものだ。
彼は顔を上げた。そしてようやく気が付いた。――斬られたのは、千早ではなかったのだ。斬られたのは男の方だったのだ。
沖田の視線の先で、千早に覆いかぶさるように崩れ落ち、彼女の着物を未だ赤く染め上げている無惨な亡骸。それは先ほどまで千早に斬りかかろうとしていた男だった。その男の手から落ちたのであろう刀の刃は、まだ血に染められてはいない。
「……千早」
ああ、あれは千早の血ではなかったのだ。あの血は男のものだったのだ。
――彼女は……無事だ。
それを確信した沖田は今度こそ立ち上がった。未だ鼓動は早いが、吐き気はもう感じない。
それを認識すると同時に、彼の頭は冷静さを取り戻す。そうして気が付いた。千早や少年らの向こう側から、事切れた男を冷たい瞳で見下ろす一人の侍がいることに。
それは先ほどまではなかった筈の気配。気づかない筈がない程の、強烈な殺気。
「……誰だ?」
沖田は呟く。
恐らく自分と同じくらいの歳であろうまだ若いその侍は、背中まであろうかという長い髪を首の後ろで括った、不思議な存在感をまとった男だった。以下長髪の男と呼ばせてもらうが――彼は既にこと切れてしまった男を、まるで虫けらでも見るような強烈な目つきで見下ろしていた。
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