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第二部
56.眠れぬ夜に(前編)
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その日の夜、使用人たちもすっかり寝静まった時間帯。
薄月の光だけが注ぐ部屋で、エリスはベッドから身体を起こし、ひとり小さく溜め息をついた。
(駄目だわ……。疲れているのに、どうしても眠れない)
眠ろうと目を閉じても、昼間のリアムとの会話が頭に過り、返って目が冴えてしまう。
――それに。
(このベッド……こんなに広かったかしら)
アレクシスが出張に出て二週間。
エリスは、シオンの連日の訪問の甲斐もあって、ようやく寂しさに慣れてきたところだった。
それなのに、今夜はまた一段と、ベッドが広くなった様に感じられる。
本来そこにあるはずの、息遣いと、温もり。
それがないことに、エリスは酷く不安になった。
「…………」
(わたしの部屋じゃ、ないみたい)
アレクシスのいない寝室は、まるで他人の部屋のようで。
エリスはその居心地の悪さに、よくないことと思いながらも、寝着のまま寝室を抜け出した。
十月も半ばの秋が深まるこの季節、夜の気温は十度を下回る。
身重の身体を冷やしてはならない――そうと知りながら、エリスはフラフラと、暗い廊下を彷徨い歩く。
物音一つしない静寂の中、昼間のリアムの苦し気な顔を思い出しながら――。
『オリビアは以前、殿下のことをお慕いしていたのです』
そんな言葉から始まった、リアムの独白。
それはまるで、死に際の懺悔のようだった。
「オリビアがいつから殿下を慕っていたのかは、私にもよくわかりません。けれど、オリビアは確かに殿下を慕っていた。そのことを、殿下自身も知っていらっしゃいました。とは言え、殿下は大の女性嫌い。私に気を遣いながらも、オリビアを避けていらっしゃった。……けれど、二年前のある日――」
リアムは語った。
二年前の春、オリビアとアレクシスとの間にトラブルがあり、その際にオリビアが左手に火傷を負ってしまったこと。
けれどアレクシスには、オリビアに火傷の痕が残ったことを知らせなかったことを――。
「あれは事故でした。殿下に恨みはありません。ですがあの事件以来、私たちはすっかり疎遠に……。その上父は、火傷の痕が残ったオリビアを『我が家の恥』だと罵り、遠く離れた辺境の地に追いやろうとしたのです」
だが、そんなときだった。
リアムの元に、アレクシスの結婚の報せが飛び込んできたのは。
しかも相手は小国の公爵令嬢。
リアムは当然、納得できなかったという。
「小国の公爵令嬢を娶るくらいなら、オリビアが相手でもいいのではないか。なぜオリビアでは駄目なんだ、と。私は、見も知らぬあなたを恨んだ。殿下から『近々会おう』と手紙を貰い、建国祭で会う約束を取り付けたときも、どうしたらオリビアを殿下の元に嫁がせられるのかと、そんなことばかり考えていたのです」
リアムはそう言うと、瞼を固く閉じ、後悔を噛みしめる。
「――だから、罰が当たったんでしょう」と。
「あの日――建国祭の式典の後、私は殿下との待ち合わせ場所に行くことができなかった。向かう途中に酔っ払い同士の喧嘩に遭遇し、ようやくその場を収めたと思ったら、今度はあなたと出会ってしまった。そして、あなたが殿下の妃であることを知ったのです」
リアムは、更に続ける。
「オリビアの結婚相手が正式に決まったのは、そのすぐ後のこと。邪な考えで殿下に近づこうとした私を、神はお許しにならなかったのでしょう。……だから、私はもう何一つ望んではならない……そう思ったのに…………再びあなたと再会し、欲が出てしまいました」
強い葛藤に揺れ動く、リアムの瞳。
それが、エリスを見定めて――二度、躊躇うように瞬いた。
「エリス様――」と、リアムが呟く。
「お願いです。オリビアを、殿下の第二側妃にしていただくよう、殿下にお口添えいただけないでしょうか。オリビアを憐れと思ってくださるのなら……あの子をどうか、殿下のお側においてやってはくださいませんか」
薄月の光だけが注ぐ部屋で、エリスはベッドから身体を起こし、ひとり小さく溜め息をついた。
(駄目だわ……。疲れているのに、どうしても眠れない)
眠ろうと目を閉じても、昼間のリアムとの会話が頭に過り、返って目が冴えてしまう。
――それに。
(このベッド……こんなに広かったかしら)
アレクシスが出張に出て二週間。
エリスは、シオンの連日の訪問の甲斐もあって、ようやく寂しさに慣れてきたところだった。
それなのに、今夜はまた一段と、ベッドが広くなった様に感じられる。
本来そこにあるはずの、息遣いと、温もり。
それがないことに、エリスは酷く不安になった。
「…………」
(わたしの部屋じゃ、ないみたい)
アレクシスのいない寝室は、まるで他人の部屋のようで。
エリスはその居心地の悪さに、よくないことと思いながらも、寝着のまま寝室を抜け出した。
十月も半ばの秋が深まるこの季節、夜の気温は十度を下回る。
身重の身体を冷やしてはならない――そうと知りながら、エリスはフラフラと、暗い廊下を彷徨い歩く。
物音一つしない静寂の中、昼間のリアムの苦し気な顔を思い出しながら――。
『オリビアは以前、殿下のことをお慕いしていたのです』
そんな言葉から始まった、リアムの独白。
それはまるで、死に際の懺悔のようだった。
「オリビアがいつから殿下を慕っていたのかは、私にもよくわかりません。けれど、オリビアは確かに殿下を慕っていた。そのことを、殿下自身も知っていらっしゃいました。とは言え、殿下は大の女性嫌い。私に気を遣いながらも、オリビアを避けていらっしゃった。……けれど、二年前のある日――」
リアムは語った。
二年前の春、オリビアとアレクシスとの間にトラブルがあり、その際にオリビアが左手に火傷を負ってしまったこと。
けれどアレクシスには、オリビアに火傷の痕が残ったことを知らせなかったことを――。
「あれは事故でした。殿下に恨みはありません。ですがあの事件以来、私たちはすっかり疎遠に……。その上父は、火傷の痕が残ったオリビアを『我が家の恥』だと罵り、遠く離れた辺境の地に追いやろうとしたのです」
だが、そんなときだった。
リアムの元に、アレクシスの結婚の報せが飛び込んできたのは。
しかも相手は小国の公爵令嬢。
リアムは当然、納得できなかったという。
「小国の公爵令嬢を娶るくらいなら、オリビアが相手でもいいのではないか。なぜオリビアでは駄目なんだ、と。私は、見も知らぬあなたを恨んだ。殿下から『近々会おう』と手紙を貰い、建国祭で会う約束を取り付けたときも、どうしたらオリビアを殿下の元に嫁がせられるのかと、そんなことばかり考えていたのです」
リアムはそう言うと、瞼を固く閉じ、後悔を噛みしめる。
「――だから、罰が当たったんでしょう」と。
「あの日――建国祭の式典の後、私は殿下との待ち合わせ場所に行くことができなかった。向かう途中に酔っ払い同士の喧嘩に遭遇し、ようやくその場を収めたと思ったら、今度はあなたと出会ってしまった。そして、あなたが殿下の妃であることを知ったのです」
リアムは、更に続ける。
「オリビアの結婚相手が正式に決まったのは、そのすぐ後のこと。邪な考えで殿下に近づこうとした私を、神はお許しにならなかったのでしょう。……だから、私はもう何一つ望んではならない……そう思ったのに…………再びあなたと再会し、欲が出てしまいました」
強い葛藤に揺れ動く、リアムの瞳。
それが、エリスを見定めて――二度、躊躇うように瞬いた。
「エリス様――」と、リアムが呟く。
「お願いです。オリビアを、殿下の第二側妃にしていただくよう、殿下にお口添えいただけないでしょうか。オリビアを憐れと思ってくださるのなら……あの子をどうか、殿下のお側においてやってはくださいませんか」
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