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第二部
55.呪いの傷痕(後編)
しおりを挟む実はシオン、お茶会の間ずっと違和感を覚えていた。
先週自分を助けてくれたときも、先ほどお茶をしていたときも、オリビアからは少しも「悲しみ」が伝わってこなかったからだ。
そんな彼女に、本当に友人が――自分たちが必要なのだろうか、と。
だが、その違和感はたった今解消された。
オリビアが可哀そうだというのは、あくまでも「リアムの主張」であり、少なくともオリビア自身は、自分を可哀そうだとは思っていない。
リアムの中のオリビアと、実際のオリビアに大きな差異があることを不思議に思ったシオンは、作業を再開しながら問いかける。
「オリビア様は、結婚が嫌だとは思われないのですか? 実は、リアム様からオリビア様の結婚について、既に伺っているんです。お相手は子爵様で、家同士の決めたことだと」
そもそも、自分たちがここに呼ばれた理由は、「オリビアを慰めるため」だ。
それなのに肝心のオリビアにその気がないとなれば、いったい何のために来たのかわからない。
そんな気持ちから出た質問だったが、オリビアの口から出てきたのは「そんなの嫌に決まっておりますでしょう」という、潔い肯定で。
予想していなかった答えに、シオンは手にしていたアボカドを、うっかりオリビアに渡し損ねてしまった。
「――あっ」
白い手袋をしたオリビアの指先に当たったアボカドが、土の上に落ちてコロコロと転がっていく。
「申し訳ありません……!」
シオンは落ちた実を拾うため、慌てて脚立を降りようとする。
収穫作業をしている時点で今更な気がするが、侯爵令嬢であるオリビアに、落ちた果実を拾わせるわけにはいかないと思ったからだ。
――が、そんなシオンの視線の先で、オリビアは落ちたアボカドに手を伸ばしていた。
「オリビア様、いけません! 手袋が汚れてしまいます! 僕が拾いますから!」
シオンはオリビアを静止する。
するとオリビアは一瞬動きを止めたものの、「手袋? 確かにそうね」と低く呟いて、次の瞬間には、左の手袋を外していた。
温室に降り注ぐ秋の陽光の下、オリビアの左手の火傷の痕が、シオンの前に晒される。
白魚の如く美しい右手とは対照的に、手首から甲にかけ、広い範囲にひきつった赤い皮膚。
その全く予想していなかった光景に、シオンは言葉を失った。
けれどオリビアは、そんなシオンの態度など気にも留めないという様に、傷跡の残る左手で、地面に落ちた果実を拾い上げる。
その実を収穫籠の中に入れると、脚立の側で立ち尽くすシオンを、憐れむような目で見据えた。
「あなたもそういう顔をしますのね。この傷痕を見ると、殿方はみんな同じ反応をする。――お兄様も」
「……っ」
「この手袋はね、お兄様のためだけに着けておりますの。お兄様が、この傷痕を見るたびに、泣きそうな顔をされるから」
オリビアは諦めたように息を吐くと、まるで罵るような口調で、こう続ける。
「わたくしにとって、この傷痕は『戒め』ですの。二度と間違いを犯さないようにという、強い楔。でも、お兄様にとっては『呪い』でしかない。だからわたくしは嫁ぐんですの。お兄様をこの『呪い』から解放してさしあげるためなら、どんな最低な相手にだって、この身を捧げるつもりでおりますわ」
――だから。
「わたくしたちのことは放っておいて。あなた方がお兄様とどういう関係かは知らないけど、お兄様にもわたくしにも、これ以上関わってはなりませんわ。でないとあなた、後悔することになりますわよ」
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