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第二部
54.呪いの傷痕(前編)
しおりを挟む一方シオンは、オリビアと共にアボカドの植わっているという温室の奥へと向かいながら、エリスについて考えていた。
(さっきの姉さん、やっぱり少し元気なかったな。アボカドをいただいたら、早々にお暇した方がいいかもしれない)
本人は「大丈夫」と言っていたが、その言葉とは反対に、エリスはサンドイッチを一口も食べていなかった。
茶菓子に手をつけないこと自体はマナー違反でも何でもないが、体調を崩してしまってからでは遅い。
それに――だ。
シオンは、この屋敷に着いたときのことを思い出す。
(姉さんってば、僕との約束を破って『オリビア様に正体を明かす』提案をしてたからな。リアム様が断ってくれたからよかったものの、またいつ同じことを言い出すかわかったもんじゃない。勝手にお茶会の招待を受けたことといい、最近の姉さんは冷静さに欠けてる気がする)
その原因は、アレクシスが不在であるからか。それとも、妊娠による精神作用か何かだろうか。
あるいは、オリビアに同情しすぎているせいなのか。
シオンには判断がつかなかったが、長居をすれば、ボロを出す可能性は高まるだろう。
となると、やはり、一刻も早く帰るに限る。
――そんなことを考えていたときだ。不意にオリビアが足を止める。
「この木ですわ」
その言葉にシオンが顔を上げると、そこには深緑色の実を沢山付けた木がそびえ立っていた。高さは裕に五メートルを超えている。
シオンは、想像以上に巨大な木を前に、呆けたような声を上げた。
「……え、これ?」
実はシオン、アボカドの木を見るのはこれが初。というより、食べたことすらない。
そもそもアボカドは帝国及び周辺諸国では栽培されておらず、出回っているものはすべて輸入品の上、流通量も少ないからだ。
(まさかこんなに大きい木だなんて……)
茫然とするシオンに、オリビアの指示が飛んでくる。
「何を呆けているんですの? さっそく収穫を始めますわよ。脚立と鋏、それと収穫籠はあの倉庫にありますわ。鍵は開いているから、取ってきてくださる?」
「――あ、……はい。もちろんです」
(確かに、この高さだと脚立は必須だろうけど……僕、部屋の灯りの掃除くらいでしか使ったことないんだよな)
地面から手を伸ばして収穫するものかと勝手に想像していたシオンは、やや心配に思いながら、室内倉庫へと走った。
脚立と鋏、収穫籠を拝借し、収穫作業に取り掛かる。
と言っても、作業自体は至極簡単で、適度な大きさに育ったアボカドの実を鋏で切って、下で待つオリビアに手渡していくだけだった。
(良かった。これくらいなら、問題ない)
シオンは鋏でアボカドの実を枝からパチンパチンと切り離しながら、オリビアに話を振る。
「――にしても、アボカドの木って随分大きくなるんですね? 温室で育てるサイズを超えているような気がしますが……」
するとオリビアからは、「そうね」と呆れ声が返ってくる。
「お兄様ったら、碌に下調べもしないで植えるんですもの。そういうところが、抜けてるのよ」
オリビアの話によると、苗木は一メートルにも満たない高さだったらしいが、十年ですくすくと成長し、今のサイズになったという。
しかも、アボカドは最終的に十メートルを超える高さになるとのことで、この秋を最後に、撤去する予定でいるとのことだった。
「え……抜いてしまわれるんですか? こんなに元気なのに?」
「ええ。お兄様は反対しているけど」
「なら、どうして」
確かに、これ以上大きくなれば、天井を突き破る心配も出てくるだろう。――が、この温室はまだまだ高さに余裕がある。そんなに急ぐ必要はないのではないか。
シオンが手を止め、オリビアへ視線を落とすと、オリビアはあっけらかんと答える。
「わたくし、次の冬にデピュタントを済ませたら結婚しますの。他の木はともかくとして、成長過程のこの子は庭師の手にも余るときがくる。だったら、いっそわたくしのいるうちに、と」
「…………」
「一応、温室の外に植え替えることも検討したんですのよ? でも、恵まれた環境で育てられたこの子が、外の気候に耐えられるとはどうしても思えませんの。わたくしの知らぬところで枯れてしまうくらいなら、わたくしの手で終わらせるのが筋というもの」
「……ご自分の……手で……」
「ええ」
「…………」
瞬間、シオンは悟ってしまった。
――ああ……なんだ、と。
(オリビア様はとっくに「覚悟」を決めているんだ。この人は、少しも可哀そうなんかじゃない)
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