90 / 151
第二部
35.姉心(後編)
しおりを挟む◇
「――え? じゃあ、マリアンヌ様とは知り合いというわけではないのね?」
「違うよ。お会いするのも言葉を交わすのも今日が初めて。ロビーで本を返却してたら、突然声をかけられたんだ。姉さんとそっくりだって。――確かに髪と目の色は同じだけど、僕が姉さんと似てるだなんて考えたこともなかったから、すごく驚いたよ」
「まぁ、そうだったのね」
それから少し後、エリスはどういうわけかシオンと共にロマンス小説の棚にいた。
そこには、本来いるはずのマリアンヌの姿はない。
というのも、マリアンヌはエリスと軽い挨拶を交わしたあと、すぐに帰ってしまったからである。
「あら、いけない。わたくし急用を思い出しましたわ。エリス様、申し訳ないけれど、本はまたの機会に」と言い残して。
エリスは、優雅に去っていったマリアンヌの後ろ姿を思い出す。
(マリアンヌ様はきっと、以前わたしがシオンの話をしたことを覚えてくださっていたのね。それで、気を遣ってくださったんだわ)
エリスは一月ほど前、シオンが宮を出て行ってしまった際、マリアンヌにシオンのことを相談していた。
『弟が何を考えているのか、わからない』と。
その時はこれといって解決策は見つからなかったが、マリアンヌは真摯に話を聞いてくれて、エリスの心は随分と軽くなったものだ。
マリアンヌはきっと、その時からずっと、シオンのことを気にしてくれていたのだろう。
(本当にお優しい方だわ)
そんなことを考えながら何冊か本を見繕っていると、シオンが手近な本をパラパラとめくりながら、珍しそうに言う。
「へえ。姉さんってこういう本も読むんだね。全然知らなかった。僕がエメラルド宮にいたときは、もっと硬い本ばかり読んでいただろう? もしかして、僕に気を遣っていたの?」
そう問われ、エリスははたと気付く。
確かに、シオンの前では読まないようにしていたな、と。
「ええ、そうね。何だか、あなたの前では読んだらいけないような気がして……。どうしてかしら」
エリスが答えると、シオンは「ふーん」と呟き、意味深に目を細める。
「なるほどね。姉さんの中の僕って、やっぱりそういう感じだったんだ。でも、今はそうじゃないんだね?」
「え……? ええ。確かに今は平気だわ。ロマンス小説を読むようになったのはこっちに来てからだから、あのときはまだ、恥ずかしい気持ちもあったのかもしれないわね。実家には、こういったものは置いていなかったから」
「――実家、か。……まぁ、そうだよね。父さんは、こういうのは嫌いだろうからな」
「……?」
刹那、突然シオンの口から出た父親の存在に、エリスは小さな違和感を覚えた。
それに今、一瞬シオンの声が沈んだ様に聞こえたのは、気のせいだろうか。
とは言え、確かにシオンの言葉に間違いはない。
エリスの実家には、文学的な、あるいはおとぎ話的な小説本はあれど、ロマンス小説のような本は一冊たりと置いていなかった。
父親が、『低俗』だとして、大層嫌っていたからだ。
(図書館で読もうにも、大衆向けの棚には近づくことすら禁止されていたのよね)
エリスは、かつての息苦しい日々をまるで遠い昔のことのように思い出しながら、シオンに声をかける。
「ねぇシオン。わたしの借りる本は決まったけれど、あなたは何も借りなくていいの? 何か目当ての本があるなら、探すのに付き合うわ」
するとシオンは、手にしていた本を棚に戻しながら、「僕はいいよ。今日は返しにきただけだから」と言って、こう続けた。
「でも、姉さんさえ良ければ、この後少し時間を貰えないかな? 偶然とはいえ、せっかくこうして会えたんだ。もう少し一緒にいたい」
「……!」
「ね、いいでしょう? 姉さん」
「…………」
(まぁ、シオンったら……)
その甘えるような声と仕草に、エリスは途端に姉心を刺激される。
大人になったと思ったら、こうして甘えてくるなんて、我が弟はなんと魔性なのだろう。
エリスは、特に断る理由もなかったこともあり、シオンの誘いを受けることにした。
「ええ、勿論いいわ。あなたの気が済むまで、一緒にいましょう?」
そう言って微笑むと、エリスはシオンと二人、並んで歩き出した。
131
お気に入りに追加
1,528
あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう
天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。
侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。
その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。
ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。
婚約破棄を、あなたのために
月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる