81 / 146
第二部
26.チェスと兄心(前編)
しおりを挟むそんなこんなで、あっという間に演習の出立前日となった日の昼下がり、アレクシスはどういうわけか、第二皇子のチェスの相手をさせられていた。
時刻はちょうどアフタヌーンティーに相応しい時間帯。
場所はクロヴィスの執務室の奥に備えられたプライベートルームであるため、観客はゼロである。
「さあ、お前の番だよ、アレクシス」
「…………」
「言っておくが、わざと負けようなどとは考えるなよ? 私には全てお見通しだ」
「そのような心配は無用です」
クロヴィスの挑発に、アレクシスは真顔で返す。
――が、実際に心の中で思っていたのは、こうだ。
(なぜ俺はこんなところでチェスをしているんだ。一刻も早く帰ってエリスと過ごさなければならないのに)
と。
アレクシスは黒の歩兵を動かしながら、十五分前のことを思い出す。
それは明日に備えて早めに帰ろうと、セドリックと共に執務室を出てすぐのこと。
アレクシスはクロヴィスと廊下で鉢合わせし、呼び止められた。
「何だ、もう帰るのか? ――ふむ。ならば一局付き合え。話しがある」と。
(……一局、だと?)
クロヴィスとのチェスにいい思い出のないアレクシスは、「話ならここで。チェスは遠慮します」とすぐさま切り返した。
けれどクロヴィスは「ここでは話せない内容だ」と譲らなかったため、しぶしぶ付いてきたところ、なし崩し的にチェスをすることになり、今に至るというわけだ。
(にしても、側近を全員追い払うとは……)
今、隣の執務室に待機しているのはセドリックただ一人。
いつもならクロヴィスに張り付いているはずの三人の側近は、「お前たちは下がれ。一時間暇をやる」というクロヴィスの一声で、一斉に部屋から出て行ってしまった。
(余程聞かれたくない内容なのか? だが、ならばなぜセドリックは残されたんだ? 兄上の考えることは、昔からよくわからん)
アレクシスは、「兄上の番ですよ」と言いながら、対面に座るクロヴィスの様子を伺う。
チェス盤の乗った丸テーブルの反対側で、椅子の背面にゆったりと背を預け、優美な笑みを浮かべるクロヴィス。
アレクシスが一手打つ度に興味深そうに目を細め、鋭い手で斬り込んでくるその表情は、本気で自分とのチェスを楽しんでいるようにしか見えない。
が、実際は決してそうではないことを、アレクシスは端から悟っていた。
(やはり兄上は強い。セドリックならともかく、俺では歯が立たんな)
クロヴィスのチェスに対する姿勢は、昔から少しも変わっていない。
勝つべきときには勝ち、負けるべきときには負ける。
クロヴィスにとってチェスとは、戦い方や勝敗のつけ方、ゲームの間に交わす言葉の一つ一つまで、すべてが政治の一部だった。
相手を生かさず殺さず、戦意を喪失しないギリギリのところを責め続けるときもあれば、相手を立たせるために、そうと気付かせずに気持ちよく勝たせてやることもある。
それらは全てクロヴィスの圧倒的な強さの成せる技だったが、けれどどういうわけか、アレクシスに対してだけは一切の容赦がなかった。
つまり、アレクシスは未だかつて一度もクロヴィスに勝てたことがないのである。
そのせいで、五十敗を超えたころから勝とうという気すら持てなくなってしまった。
137
お気に入りに追加
1,527
あなたにおすすめの小説
大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。
でも貴方は私を嫌っています。
だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。
貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。
貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる