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第二部
19.夏の宵(中編)
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エリスがその夜のことを思い出していると、不意に、アレクシスがシオンの名を口にする。
「そうだ、エリス。シオンが昨夜、学院の寮に移ったそうだ。今日セドリックから報告があった」
「――!」
その内容にエリスは一瞬瞳を見開くと、そっと身体を起こし、感情を押し殺す様に微笑んだ。
「そうですか。一週間もセドリック様にお世話になって……次お会いしたら、直接お礼を申し上げなければなりませんわね」
「礼? ……礼か。あいつが好きでしたことだから、必要ないと思うがな」
「そういうわけには参りませんわ。わたくしは、あの子の姉ですもの」
そう。シオンは宮を去ってからの一週間、セドリックに世話になっていた。
セドリックが、「シオンのことを気に入った」という理由で。
だが、それが単なる気遣いに過ぎないということを、エリスは理解していた。――というより、そうとしか考えられなかった。
とは言え、せっかくの好意を無下にするのも悪いし、シオンを一人にしておくことに心配が拭えなかったエリスは、セドリックの申し出を有難く受け取ったのだ。
「そんなに心配なら、手紙を書いたらどうだ?」
アレクシスは、膝枕をやめてしまったエリスの腰を引き寄せると、今度は膝の上に座らせる。
するとエリスは頬を染め、けれど、拒絶する様に瞼を伏せた。
「手紙は書きません。わたくし、決めましたの。あの子の方から連絡してくるのを、いつまでも待つと」
「…………」
その頑なな眼差しに、アレクシスは困ったように眉を下げる。
我が妻はなかなかに強情だ、と。
(……だが、そこもいい)
そう思ってしまうのは、惚れた弱みであろうか。
――が、このままではまた、エリスの心はシオンでいっぱいになってしまう。
それを危惧したアレクシスは、悩みに悩んだ末、最後の一手を打つことにした。
アレクシスはグラスに残った酒を一気に飲み干しテーブルに置くと、エリスの身体をさっと腕に抱き抱え、ソファから立ち上がる。
「きゃっ」と小さく悲鳴を上げたエリスの顔を至近距離で覗き込み、悪巧みをする子供の様に微笑んだ。
「君に一つ、いいことを教えてやろう」
「いいこと、ですか?」
「ああ。これを聞いたら、きっと君もシオンの見る目が変わる」
「……?」
アレクシスは、不思議そうに自分を見上げるエリスをベッドまで運ぶと、部屋の灯りを一つだけ残し、他を手早く落として回る。
そうして自分もベッドに横になると、エリスの身体を腕に抱き寄せ、こう尋ねた。
「君は、シオンの成績表を見たことがあるか?」
「成績表、ですか?」
予期せぬ質問に、エリスは眉を寄せた。
が、やや逡巡した末、慎重に答える。
「直接見たことはありませんわ。ですが父からは、『中の下』だと聞いております。最も、父は決してシオンを褒めませんでしたから、実際は『中の上』くらいだと思うのですが。……でも、どうしてそのようなことを?」
質問の意図がわからず困惑顔のエリスに、アレクシスは「やはりな」と呟いた。
「それは間違いだ。シオンは少なくともここ六年、毎年次席を取っていた。つまり、君の実家に送られていた成績表は、シオンが学長に頼んで用意させた偽物だ」
「……っ」
突然語られた内容に、エリスは大きく目を見張る。
「そんな……偽物だなんて。それにあの子が次席だなんて、信じられませんわ」
「だが確かな事実だ。俺は実際の成績表を見たからな。それも、主席は王族に譲り、敢えての次席だ。次席までは学費が全額免除されるから、それで十分ということだったのだろう」
「学費の免除……? ですが父は、毎年学費を学園に振り込んでおりましたのよ。そのお金は、いったいどこに……」
「ああ。俺もそれが気になってセドリックに調べさせたら、シオンはその金を学園側から受け取り、投資していたことがわかった。投資先は金融業、建設業、造船業、金属加工業など多岐に渡るが、どれも有望な投資先ばかりだ。まさか貴族であるシオンに商才があったとは、恐れ入った」
「……そんな……あの子が……そんなことを」
エリスはいよいよ困惑を深める。
あの純粋で真面目なシオンが、学園を巻き込んで成績表を偽造し、浮いた学費で投資をしていたなどと言われても、まったくもって信じられなかった。
けれど、アレクシスが言うのだから間違いない。嘘をつく理由もないのだから。
「そうだ、エリス。シオンが昨夜、学院の寮に移ったそうだ。今日セドリックから報告があった」
「――!」
その内容にエリスは一瞬瞳を見開くと、そっと身体を起こし、感情を押し殺す様に微笑んだ。
「そうですか。一週間もセドリック様にお世話になって……次お会いしたら、直接お礼を申し上げなければなりませんわね」
「礼? ……礼か。あいつが好きでしたことだから、必要ないと思うがな」
「そういうわけには参りませんわ。わたくしは、あの子の姉ですもの」
そう。シオンは宮を去ってからの一週間、セドリックに世話になっていた。
セドリックが、「シオンのことを気に入った」という理由で。
だが、それが単なる気遣いに過ぎないということを、エリスは理解していた。――というより、そうとしか考えられなかった。
とは言え、せっかくの好意を無下にするのも悪いし、シオンを一人にしておくことに心配が拭えなかったエリスは、セドリックの申し出を有難く受け取ったのだ。
「そんなに心配なら、手紙を書いたらどうだ?」
アレクシスは、膝枕をやめてしまったエリスの腰を引き寄せると、今度は膝の上に座らせる。
するとエリスは頬を染め、けれど、拒絶する様に瞼を伏せた。
「手紙は書きません。わたくし、決めましたの。あの子の方から連絡してくるのを、いつまでも待つと」
「…………」
その頑なな眼差しに、アレクシスは困ったように眉を下げる。
我が妻はなかなかに強情だ、と。
(……だが、そこもいい)
そう思ってしまうのは、惚れた弱みであろうか。
――が、このままではまた、エリスの心はシオンでいっぱいになってしまう。
それを危惧したアレクシスは、悩みに悩んだ末、最後の一手を打つことにした。
アレクシスはグラスに残った酒を一気に飲み干しテーブルに置くと、エリスの身体をさっと腕に抱き抱え、ソファから立ち上がる。
「きゃっ」と小さく悲鳴を上げたエリスの顔を至近距離で覗き込み、悪巧みをする子供の様に微笑んだ。
「君に一つ、いいことを教えてやろう」
「いいこと、ですか?」
「ああ。これを聞いたら、きっと君もシオンの見る目が変わる」
「……?」
アレクシスは、不思議そうに自分を見上げるエリスをベッドまで運ぶと、部屋の灯りを一つだけ残し、他を手早く落として回る。
そうして自分もベッドに横になると、エリスの身体を腕に抱き寄せ、こう尋ねた。
「君は、シオンの成績表を見たことがあるか?」
「成績表、ですか?」
予期せぬ質問に、エリスは眉を寄せた。
が、やや逡巡した末、慎重に答える。
「直接見たことはありませんわ。ですが父からは、『中の下』だと聞いております。最も、父は決してシオンを褒めませんでしたから、実際は『中の上』くらいだと思うのですが。……でも、どうしてそのようなことを?」
質問の意図がわからず困惑顔のエリスに、アレクシスは「やはりな」と呟いた。
「それは間違いだ。シオンは少なくともここ六年、毎年次席を取っていた。つまり、君の実家に送られていた成績表は、シオンが学長に頼んで用意させた偽物だ」
「……っ」
突然語られた内容に、エリスは大きく目を見張る。
「そんな……偽物だなんて。それにあの子が次席だなんて、信じられませんわ」
「だが確かな事実だ。俺は実際の成績表を見たからな。それも、主席は王族に譲り、敢えての次席だ。次席までは学費が全額免除されるから、それで十分ということだったのだろう」
「学費の免除……? ですが父は、毎年学費を学園に振り込んでおりましたのよ。そのお金は、いったいどこに……」
「ああ。俺もそれが気になってセドリックに調べさせたら、シオンはその金を学園側から受け取り、投資していたことがわかった。投資先は金融業、建設業、造船業、金属加工業など多岐に渡るが、どれも有望な投資先ばかりだ。まさか貴族であるシオンに商才があったとは、恐れ入った」
「……そんな……あの子が……そんなことを」
エリスはいよいよ困惑を深める。
あの純粋で真面目なシオンが、学園を巻き込んで成績表を偽造し、浮いた学費で投資をしていたなどと言われても、まったくもって信じられなかった。
けれど、アレクシスが言うのだから間違いない。嘘をつく理由もないのだから。
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