ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな@コミカライズ連載中

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第二部

13.優しさの理由(前編)

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 ◆

 ――時は数分前に遡る。

 セドリックからアレクシスの昔話を聞かされたシオンは、まさに『選択』を迫られていた。
『アレクシスの小姓になるか、今夜中に宮を出ていくか』という選択である。

 けれど実質、選択肢は一つしかないと言っても過言ではない。
 シオンはセドリックから、『殿下アレクシスに害を成す存在だと判断したら、お前を排除する』という意思を示されたからだ。

 それは脅し以外の何物でもなかった。

 実際シオンが、「それは脅しですか?」と尋ねると、セドリックは平然と答える。

「そう思ってくださって構いませんよ。私は、エリス様の弟としてならばあなたを受け入れられても、殿下の小姓としては、認めるわけには参りませんから」と。

 その言葉を聞いたシオンは、何よりも真っ先にこう思った。

 ――なるほど。だからセドリックは、急に態度を変えたのか、と。

 今日までシオンは、宮廷舞踏会の夜を除き、セドリックと挨拶程度しか話したことがなかった。
 エメラルド宮で顔を合わせても、向こうから話題を振ってくることはまずないし、あくまで『他人』といった態度で接してくる。

 つまり、『セドリックは自分に全く興味がないのだろう』――というのが、この二週間のシオンの見解だった。

 そんなセドリックが、今頃になって突然態度を変えたものだから、シオンはとても驚いた。
 アレクシスの悲惨な過去よりも、セドリックの態度の変化への衝撃の方が大きかったほどだ。

 だが、その理由はセドリックの今の言葉によってはっきりした。

 セドリックはアレクシスにしか興味がなく、そして、どこまでもアレクシスの幸せを願っている。
 だから彼は、『アレクシスの小姓』という、アレクシスに最も近い立場に収まりかけている自分を、牽制しているのだろう。


(この男、殿下の十倍は厄介だ)

 シオンは、対面に座るセドリックの様子を伺いつつも、瞼を伏せる。

 正直、彼は悩んでいた。

 シオンは、アレクシスの小姓にはなりたくないが、それでエリスの側にいられるなら安いものだと思っていた。
 この十年、エリスのことだけを考えて生きてきた彼にとって、これはまたとないチャンスだった。

 けれど同時に、『本当にそれでいいのか。この提案に乗っかるということは、自分の負けを認めていることになるのでは』という気持ちが沸いてくるのも事実。

 昼間、自殺未遂まがいの騒ぎを起こし、エリスや使用人に心配と迷惑をかけた自分。
 そんな自分を『処罰』するどころか、むしろ『善意を与えてくる』アレクシスと比べ、自分はどれだけ器が小さいのだろう――と。

 もしここでこの提案を受け入れたら、自分は今後一生、アレクシスに恩を感じて生きなければならなくなるのでは。そんな屈辱に耐えられるのか、と。

(お金なら後でいくらだって返せる。でも、地位や立場はそうはいかない)

 そもそもシオンは、学院を卒業後、アレクシスに学費も滞在費用も全て返済するつもりでいた。
 だから、アレクシスに何の遠慮もするつもりはなかった。

 だが、小姓などになってしまったらそうはいかない。

 ――そんな風に考えてしまう自分の打算的なところにも、惨めな気持ちが込み上げた。

(僕は姉さんの側にいたい。でもそれは、ただの僕の我が儘だ。姉さんのためじゃなく……僕のため)

 自分は、アレクシスやセドリックとは違う。

エリスの幸せのため』と口では言いながら、心では全く逆のことを考えている。

 心に浮かぶのはいつだって、『アレクシスと姉が不仲であれば』『アレクシスに他に好きな人がいれば』『二人の心が離れれば』――自分がエリスを手に入れることができるのに、という、よこしまな感情ばかりなのだから。

「……僕は……」

 認めたくなかった。自分の心の弱さを、どうしても認めたくなかった。

 大切な人の幸せを願うこともできず、かといって、欲望に忠実に生きることもできない中途半端な自分。
 エリスのためには宮を出ていくべきだとわかっているのに、決断できない自分が心底情けない。

 ――だが不意に、そんなシオンの中にとある疑問が沸いてくる。

 それがどうしても気になったシオンは、おずおずと口を開いた。

「あの……セドリック殿、一つ、お尋ねしてもいいですか?」
「? ええ、どうぞ?」

 セドリックは一瞬驚いた顔をしたが、答える姿勢を見せてくれる。
 シオンはそんなセドリックに、『この人は、根っこのところでは善人なのだな』と思いつつ、問いかけた。

「どうしてセドリック殿は、ここにお住まいではないのですか? 先ほどの話からすると、あなたは爵位をお持ちでない。つまり、比較的自由の効く身のはず。それでいて殿下の側近ならば、小姓と同じく、この宮に住まうこともできるのでは? それなのに、どうしてそうなさらないのですか?」
「――!」
「教えてください、セドリック殿。僕なら、大切な人の側には少しでも長くいたいと考える。でもあなたはそうしない。それは、いったいどうしてなのです?」

 すると、セドリックは何かを考えるように目を細める。

「……そうですね。理由は色々とありますが……」

 そして、もの悲し気に微笑むと、静かな声でこう言った。

「殿下はあれから十年以上が経った今も、私に負い目を感じていらっしゃる。そんな私が昼も夜も共にいたら、殿下の心が休まらないでしょう? まあ、それは恐らく、エリス様も同じだと思いますが」――と。

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