ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな@コミカライズ連載中

文字の大きさ
上 下
65 / 151
第二部

10.それぞれの葛藤(前編)

しおりを挟む
「私は今でも、ずぶ濡れで戻られたあの日の殿下のお顔を忘れることができません。――当時、女性には特に強い嫌悪感を示されるようになっていた殿下が、『少女に命を救われた』と、頬を赤く染めていたのですから」
「――!」
「もうお分かりですよね? 殿下はあの日、恋をされたのです。あなたの姉君のエリス様に、命のみならず、心までも救われたのです」
「……っ」

 刹那、シオンは言葉を失った。
 まさかアレクシスに、そんな悲惨な過去があるとは思いもしなかったからだ。

(殿下の初恋が姉さんであることは、姉さんから直接聞いていたけど……)

 彼は既に知っていた。十年前ランデル王国で出会った少年が、アレクシスであったことを。
 この二週間の間に、エリスから直接聞かされていたからだ。

「ねぇシオン、覚えてる? わたしたち、十年前にランデル王国で、湖に落ちた男の子を助けたことがあったでしょう? ほら、二人で宿を抜け出して、迷子になったときの」――と。

 忘れるはずがなかった。

 エリスと離れるのが嫌で、「姉さんと離れたくない」と我が儘を言った自分のことを。
 そのせいで迷子になり、エリスを不安にさせたこと。

 けれど街を彷徨う最中、切羽詰まった表情の年上の少年を見つけたエリスが、謎の正義感を発揮して少年をどこまでも追いかけたこと。

 その後、湖のほとりで、何かを取ろうと手を伸ばして水に落ちた少年を、エリスと共に助けたことを――。

 とは言えシオンは、エリスにこの話を聞かされるまで、その少年がアレクシスだったとは思いもしなかったけれど。


(にしても、僕にこんな話をするなんて……いったいどういうつもりで……)

 内心、シオンは動揺していた。あまりにも不自然な状況に、困惑を隠せなかった。

 自分に『処分』を言い渡すはずのセドリックが、突然語った十年前の真相に、どう反応すればいいのかと。
 もしやセドリックは、自分の同情心を買い、自ら身を引かせるつもりなのだろうか――などと考えてしまうほどには混乱していた。

 そんなシオンの考えを読み取ったのか、セドリックは静かな声で告げる。

「私は、別にあなたに同情してほしいとも、殿下の状況を理解してくれとも思ってはおりません。ただ、知っていただきたいのです。あなたに辛い過去があるように、殿下にも、私にも、耐えがたい過去がある。そしてその重さは、決して比較できるものではないということを」

 セドリックは、続ける。

「殿下は、あなたを『小姓』にしてもよいと仰っておりました。小姓にしては少々とう・・が立ちすぎておりますが、殿下の小姓であるならば、私同様、男子禁制のこの棟に立ち入ることが許されますから」
「……!」
「ですが、ならば尚のこと、あなたは知らねばなりません。殿下は身内の愛に飢えている。そのせいで、血の繋がりのある者にはとても弱いのです。あなたがエリス様の弟である限り、殿下はあなたが何をしようと、決して無下にはなさらない。――ですが私は違います。もしもあなたが殿下に害を成す存在であると判断したそのときは、殿下のめいに逆らってでも、あなたを排除するでしょう」
「――っ」

 セドリックの冷えた眼差し。
 その奥に潜む殺意は間違いなく本物で――シオンはごくりと息を呑んだ。

 セドリックは、尚も続ける。

「さあ、シオン殿。今の話を踏まえた上で、あなた自身がお決めください。殿下の小姓になるのか、ならないのか――ご自分の意志で」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】貴方の傍に幸せがないのなら

なか
恋愛
「みすぼらしいな……」  戦地に向かった騎士でもある夫––ルーベル。  彼の帰りを待ち続けた私––ナディアだが、帰還した彼が発した言葉はその一言だった。  彼を支えるために、寝る間も惜しんで働き続けた三年。  望むままに支援金を送って、自らの生活さえ切り崩してでも支えてきたのは……また彼に会うためだったのに。  なのに、なのに貴方は……私を遠ざけるだけではなく。  妻帯者でありながら、この王国の姫と逢瀬を交わし、彼女を愛していた。  そこにはもう、私の居場所はない。  なら、それならば。  貴方の傍に幸せがないのなら、私の選択はただ一つだ。        ◇◇◇◇◇◇  設定ゆるめです。  よろしければ、読んでくださると嬉しいです。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

処理中です...