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第二部
10.それぞれの葛藤(前編)
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「私は今でも、ずぶ濡れで戻られたあの日の殿下のお顔を忘れることができません。――当時、女性には特に強い嫌悪感を示されるようになっていた殿下が、『少女に命を救われた』と、頬を赤く染めていたのですから」
「――!」
「もうお分かりですよね? 殿下はあの日、恋をされたのです。あなたの姉君のエリス様に、命のみならず、心までも救われたのです」
「……っ」
刹那、シオンは言葉を失った。
まさかアレクシスに、そんな悲惨な過去があるとは思いもしなかったからだ。
(殿下の初恋が姉さんであることは、姉さんから直接聞いていたけど……)
彼は既に知っていた。十年前ランデル王国で出会った少年が、アレクシスであったことを。
この二週間の間に、エリスから直接聞かされていたからだ。
「ねぇシオン、覚えてる? わたしたち、十年前にランデル王国で、湖に落ちた男の子を助けたことがあったでしょう? ほら、二人で宿を抜け出して、迷子になったときの」――と。
忘れるはずがなかった。
エリスと離れるのが嫌で、「姉さんと離れたくない」と我が儘を言った自分のことを。
そのせいで迷子になり、エリスを不安にさせたこと。
けれど街を彷徨う最中、切羽詰まった表情の年上の少年を見つけたエリスが、謎の正義感を発揮して少年をどこまでも追いかけたこと。
その後、湖のほとりで、何かを取ろうと手を伸ばして水に落ちた少年を、エリスと共に助けたことを――。
とは言えシオンは、エリスにこの話を聞かされるまで、その少年がアレクシスだったとは思いもしなかったけれど。
(にしても、僕にこんな話をするなんて……いったいどういうつもりで……)
内心、シオンは動揺していた。あまりにも不自然な状況に、困惑を隠せなかった。
自分に『処分』を言い渡すはずのセドリックが、突然語った十年前の真相に、どう反応すればいいのかと。
もしやセドリックは、自分の同情心を買い、自ら身を引かせるつもりなのだろうか――などと考えてしまうほどには混乱していた。
そんなシオンの考えを読み取ったのか、セドリックは静かな声で告げる。
「私は、別にあなたに同情してほしいとも、殿下の状況を理解してくれとも思ってはおりません。ただ、知っていただきたいのです。あなたに辛い過去があるように、殿下にも、私にも、耐えがたい過去がある。そしてその重さは、決して比較できるものではないということを」
セドリックは、続ける。
「殿下は、あなたを『小姓』にしてもよいと仰っておりました。小姓にしては少々とうが立ちすぎておりますが、殿下の小姓であるならば、私同様、男子禁制のこの棟に立ち入ることが許されますから」
「……!」
「ですが、ならば尚のこと、あなたは知らねばなりません。殿下は身内の愛に飢えている。そのせいで、血の繋がりのある者にはとても弱いのです。あなたがエリス様の弟である限り、殿下はあなたが何をしようと、決して無下にはなさらない。――ですが私は違います。もしもあなたが殿下に害を成す存在であると判断したそのときは、殿下の命に逆らってでも、あなたを排除するでしょう」
「――っ」
セドリックの冷えた眼差し。
その奥に潜む殺意は間違いなく本物で――シオンはごくりと息を呑んだ。
セドリックは、尚も続ける。
「さあ、シオン殿。今の話を踏まえた上で、あなた自身がお決めください。殿下の小姓になるのか、ならないのか――ご自分の意志で」
「――!」
「もうお分かりですよね? 殿下はあの日、恋をされたのです。あなたの姉君のエリス様に、命のみならず、心までも救われたのです」
「……っ」
刹那、シオンは言葉を失った。
まさかアレクシスに、そんな悲惨な過去があるとは思いもしなかったからだ。
(殿下の初恋が姉さんであることは、姉さんから直接聞いていたけど……)
彼は既に知っていた。十年前ランデル王国で出会った少年が、アレクシスであったことを。
この二週間の間に、エリスから直接聞かされていたからだ。
「ねぇシオン、覚えてる? わたしたち、十年前にランデル王国で、湖に落ちた男の子を助けたことがあったでしょう? ほら、二人で宿を抜け出して、迷子になったときの」――と。
忘れるはずがなかった。
エリスと離れるのが嫌で、「姉さんと離れたくない」と我が儘を言った自分のことを。
そのせいで迷子になり、エリスを不安にさせたこと。
けれど街を彷徨う最中、切羽詰まった表情の年上の少年を見つけたエリスが、謎の正義感を発揮して少年をどこまでも追いかけたこと。
その後、湖のほとりで、何かを取ろうと手を伸ばして水に落ちた少年を、エリスと共に助けたことを――。
とは言えシオンは、エリスにこの話を聞かされるまで、その少年がアレクシスだったとは思いもしなかったけれど。
(にしても、僕にこんな話をするなんて……いったいどういうつもりで……)
内心、シオンは動揺していた。あまりにも不自然な状況に、困惑を隠せなかった。
自分に『処分』を言い渡すはずのセドリックが、突然語った十年前の真相に、どう反応すればいいのかと。
もしやセドリックは、自分の同情心を買い、自ら身を引かせるつもりなのだろうか――などと考えてしまうほどには混乱していた。
そんなシオンの考えを読み取ったのか、セドリックは静かな声で告げる。
「私は、別にあなたに同情してほしいとも、殿下の状況を理解してくれとも思ってはおりません。ただ、知っていただきたいのです。あなたに辛い過去があるように、殿下にも、私にも、耐えがたい過去がある。そしてその重さは、決して比較できるものではないということを」
セドリックは、続ける。
「殿下は、あなたを『小姓』にしてもよいと仰っておりました。小姓にしては少々とうが立ちすぎておりますが、殿下の小姓であるならば、私同様、男子禁制のこの棟に立ち入ることが許されますから」
「……!」
「ですが、ならば尚のこと、あなたは知らねばなりません。殿下は身内の愛に飢えている。そのせいで、血の繋がりのある者にはとても弱いのです。あなたがエリス様の弟である限り、殿下はあなたが何をしようと、決して無下にはなさらない。――ですが私は違います。もしもあなたが殿下に害を成す存在であると判断したそのときは、殿下の命に逆らってでも、あなたを排除するでしょう」
「――っ」
セドリックの冷えた眼差し。
その奥に潜む殺意は間違いなく本物で――シオンはごくりと息を呑んだ。
セドリックは、尚も続ける。
「さあ、シオン殿。今の話を踏まえた上で、あなた自身がお決めください。殿下の小姓になるのか、ならないのか――ご自分の意志で」
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