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第二部

5.エリスとシオンの午後のひととき(後編)

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 ◇


 それからしばらく、二人はお茶を嗜みながら談笑した。 

 エリスが、「勉強の方はどう?」と聞くと、シオンは「順調だよ。今日は帝国法について勉強したんだけど、法体系はランデル王国とそれほど変わらなかったんだ。これならきっと、入学までには間に合うと思う」と笑顔で答え、

 シオンが「姉さんは今日何をしていたの?」と尋ねれば、エリスは「午前中は本を読んで、その後はスコーンを焼いていたわ。今あなたが食べているものを」と微笑み、シオンを驚かせた。

「えっ、これ、姉さんが焼いたの?」
「そうよ。実は昨日のパイと、一昨日のサンドイッチもわたしが作ったの」
「嘘!? ……全然気が付かなかった。確かに、度々部屋から姉さんの気配がなくなるなと思ってはいたけど……」
「? わたしの気配?」
「――あ。……いや、こっちの話」
「……?」

 シオンはエリスから視線を逸らし、皿の上の食べかけのスコーンをじっと見下ろす。
 あまりに居心地が良すぎて、本来の目的を忘れてしまっている自分を不甲斐なく思いながら――。
 

 シオンが予定より早く帝国にやってきたのは、エリスとアレクシスを別れさせたいがためだった。

 冷酷無慈悲として悪名高い帝国の第三皇子。そして、過去に五回もの婚約を破談にしたほどの大の女嫌い。
 でありながら、ランデル王国に初恋の女性がいるというアレクシスの魔の手から、姉を解放しなければと。

 そのために、まずは内情を探らねば――そう考えたシオンは、アレクシスのいない時間帯を狙ってエリスを訪ね、宮に泊めてもらえるよう誘導した。
 と同時に、「お世話になる人たちの名前を憶えたい」と言って、エリスから使用人のリストをもらい、徹夜して頭に叩きこんだ。

 翌日からは、使用人たちと親密になるため奔走した。
 仕事を手伝い、愚痴や悩みを聞き、彼らの主人であるアレクシスとエリスを褒め称えた。

 そうして使用人たちが自分をすっかり信用したところで、アレクシスの情報を聞き出すつもりでいた。

 だが、それよりも早く、シオンは気付いてしまったのだ。

 エリスがアレクシスを好いていることに。
 そしてまた、アレクシスもエリスを愛しているということに。

(帝国では『離縁』が認められている。だから、殿下さえ納得させることができれば、姉さんを取り戻せるはずだったのに……)
 
 三ヵ月前の舞踏会のときは、二人の間に今のような信頼感は生まれていなかった。
 少なくとも、エリスはアレクシスに、それほど好意を抱いているようには見えなかった。

 だからシオンはあの日、堂々とアレクシスに牽制したのだ。「姉を返せ」と。

 それなのに、この三ヵ月の間にいったい何が起きたのか。

 本命がいるはずのアレクシスはどこまでもエリスを大切にしているし、エリスがアレクシスに向ける微笑みはまさに、『愛する夫』へ向けるそれである。

(まさか、姉さんは本気で殿下を慕っているのか?)

 演技であると思いたかった。
 仲のいい夫婦の振りをしているだけだと信じたかった。

 けれど、エリスにアレクシスのことを尋ねれば尋ねるほど、エリスの本気が伝わってくる。
 それに、アレクシスがエリスを見つめる瞳に秘めた熱情は間違いなく本物で、シオンは悟らざるをえなかった。

 ――自分こそが邪魔者なのだ、と。
 二人はとっくに相思相愛で、弟の自分が出る幕はないのだと。

 けれどだからといって「はいそうですか」と退散することはできなかった。

 たった一人の大切な姉を奪っていったアレクシスに、苦汁を舐めさせてやりたい。
 どんな小さなことでもいい。復讐してやらねば気が済まない、と。

(こうなったら、居座れるだけ居座ってやる。――ああ、そうだ。どうせなら、ここから学院に通えばいいじゃないか。そうすれば、僕は毎日姉さんに会える)

 それが子供っぽい考えであるとはわかっていた。
 エリスのことを少しも考えていない、自分本位の我が儘だということを、頭ではちゃんと理解していた。

 それでも、どうしようもなく許せなかったのだ。
 エリスの心を攫っていった、アレクシスのことが。

(姉さんは、僕の姉さんなんだ。簡単には渡さない)

 シオンは決意した。
 このまま大人しくここを離れて堪るかと――それは、意地のようなものだった。

 だがエリスは、そんなシオンのよこしまな考えには少しも気が付かず、シオンを昔のように可愛がった。
 失った十年の歳月を取り戻すように、どこまでもシオンを子供扱いし、甘やかすのだ。

 おかげでシオンは日を追うごとに毒気を抜かれていった。

 宮に来たばかりのときは昼も夜もエリスにべったり張り付いていたのが、今ではそれも、アレクシスがいるときだけ。
 昼間は自室で、学院入学前の予習をするほどの落ち着きぶりだ。

(きっと姉さんは、僕が二人の邪魔をしようと思っていることなんて、少しも気付いていないんだ)

 そう思うと、途端に罪悪感が込み上げてくる。
 だがそれでも、今のシオンの中に『エメラルド宮を出ていく』という選択肢は存在しなかった。


 ――急に静かになったシオンを心配したのか、エリスはティーカップをソーサーに置き、小さく首を傾げる。

「シオン、どうしたの? あなた最近、よくそういう顔をするわね。何か悩み事があるなら、話してくれていいのよ? わたしじゃ頼りなければ、殿下に相談しても――」
「――ッ」

 するとシオンは、ハッと一度は顔を上げたものの、再び視線を手元に落としてしまった。
 何か考えている顔だ。

 実際シオンは、今ここで言うべきか、言わざるべきか、悩んでいた。
 ――が、数秒考えたのち、決意したようにエリスを見据える。

「じゃあ、一つ。お言葉に甘えて……いいかな?」

 いつになく真剣な表情の弟に、エリスは少しばかり違和感を覚えたものの、「もちろん」と微笑む。
 すると、シオンは躊躇いがちに唇を開き――、

「僕、これからも今みたいに、ずっと姉さんと暮らしたい。寮には入らずに、ここから学院に通いたいんだ。だから、お願い、姉さん。一緒に、殿下を説得してくれない?」

 ――と、すがるような声で告げたのだった。
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