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第二部

3.アレクシスの悲劇(後編)

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 ◆◆◆


「あの男、いったいいつまで居座るつもりなんだ……!」

 当初は数日の予定だったはずなのに、結局シオンは二週間が経った今もエメラルド宮に泊まり続けているのだ。
 それも、エリスの隣の部屋に。

 おかげでアレクシスはこの二週間、一度もエリスの部屋を訪れることができないでいた。


 アレクシスは、苛立ちのあまり書類をぐしゃりと握りつぶす。
 するとセドリックは作業を止め、主人に憐憫れんびんの眼差しを向けた。

「お気持ちはわかりますが、だからといって今さら追い出すのは難しいでしょう。あと一週間耐えれば寮の準備も整うのですから、いっそ諦めてはいかがです?」
「何だと!? お前はいったい誰の味方なんだ! お前は俺に、この苦行をあと一週間も味わえというのか!?」
「そうは言っていませんが、この二週間のシオン殿はまるで心を入れ替えたように、殿下を慕ってくださるではないですか。使用人からの評判もいいですし」
「――っ! それが演技だとしてもか……!?」
「まぁ、そうですね。それに、他でもない殿下ご自身が仰ったのですよ。たった二日で百名以上いる使用人全員の顔と名前を覚えるなど、なかなかできることではない、と」
「……ッ、それは……確かに、そう言ったが」

 実際シオンはこの二週間、エリスにもアレクシスにも、何一つ害を与えるようなことはしていない。

 それどころか、どこまでも礼儀正しく接してくる。
 アレクシスにも、使用人にも。

 宮にやってきた翌日には使用人全員の顔と名前を暗記し、朝から庭師の水やりを手伝い、メイドが重い荷物を持っていたら率先して運び、侍従にもコックにも礼を欠かさない。

 それは一見すると貴族の誇りを捨てた行動にも思えるのだが、けれど媚びへつらう様子はまったくないものだから、使用人たちからは少しも侮られることはなく、むしろ慕われているのである。

「流石はエリス様の弟君ね」
「姉と同じく心優しいお方なのだろう」
「シオン様がいらっしゃるからか、最近はエリス様がよくお笑いになるの」
「殿下のことも、とても慕ってくださっているそうだ。昨日なんてエリス様と二人、『殿下がいかに素晴らしいか』を、真剣に語り合っていたと聞いたぞ」

 ――といった具合に。

 そのせいで、アレクシスはシオンに強く出られずにいた。

(確かにシオンは、俺と二人きりであろうと敵意を向けてくることはない。むしろ不気味なまでに好意的だ。――だが、時折背後から感じる視線は……)

 アレクシスは、シオンの自分に対する態度は演技であると考えていた。
 なぜ――と聞かれると上手く答えられないが、不意にただならぬ気配を感じて振り向くと、そこには必ずシオンの姿があるからだ。

(あの男は心を入れ替えてなどいない。表面上そう見えるように取り繕っているだけで、今も俺のことを疎ましく思っているはずだ)

 そうでなければ、エリスと二人きりになろうとするアレクシスの邪魔をするわけがない。
 何かともっともらしい用事をつけてシオンが割り込んでくるのは、アレクシスをエリスから遠ざけるためだろう。
 

「俺は決めたぞ。今夜こそシオンと話をつける。セドリック、お前も協力しろ。作戦会議だ」
「作戦会議……って。もしかしてそれ、今からやるって言ってます? 仕事が溜まりに溜まっているこの状況で?」
「当然だろう。お前はさっきの俺の言葉を聞いていなかったのか? このままでは仕事どころではない、溜まる一方だぞ……!」

 アレクシスは真顔で言い切って、眉間に深く皺を刻む。
 するとセドリックは少しばかり思案して、諦めた様に瞼を伏せた。

 アレクシスの言うとおり、このままでは仕事は遅れるばかり――そう判断したのだろう。

「仕方ありませんね。でしたら一先ず、私がシオン殿と話してみましょう。殿下が話すと、こじれる未来しか見えませんので」
「――! そうか! 引き受けてくれるか!」
「まぁ、上手くいくかはわかりませんが。とりあえず、話すだけ話してみますよ」
 
(正直気は進まない。が、これも殿下の幸せのため……)

 セドリックは、かつて自分自身に立てた誓いの内容を思い出し、窓の外の高い空を見上げるのだった。
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