上 下
58 / 122
第二部

3.アレクシスの悲劇(後編)

しおりを挟む

 ◆◆◆


「あの男、いったいいつまで居座るつもりなんだ……!」

 当初は数日の予定だったはずなのに、結局シオンは二週間が経った今もエメラルド宮に泊まり続けているのだ。
 それも、エリスの隣の部屋に。

 おかげでアレクシスはこの二週間、一度もエリスの部屋を訪れることができないでいた。


 アレクシスは、苛立ちのあまり書類をぐしゃりと握りつぶす。
 するとセドリックは作業を止め、主人に憐憫れんびんの眼差しを向けた。

「お気持ちはわかりますが、だからといって今さら追い出すのは難しいでしょう。あと一週間耐えれば寮の準備も整うのですから、いっそ諦めてはいかがです?」
「何だと!? お前はいったい誰の味方なんだ! お前は俺に、この苦行をあと一週間も味わえというのか!?」
「そうは言っていませんが、この二週間のシオン殿はまるで心を入れ替えたように、殿下を慕ってくださるではないですか。使用人からの評判もいいですし」
「――っ! それが演技だとしてもか……!?」
「まぁ、そうですね。それに、他でもない殿下ご自身が仰ったのですよ。たった二日で百名以上いる使用人全員の顔と名前を覚えるなど、なかなかできることではない、と」
「……ッ、それは……確かに、そう言ったが」

 実際シオンはこの二週間、エリスにもアレクシスにも、何一つ害を与えるようなことはしていない。

 それどころか、どこまでも礼儀正しく接してくる。
 アレクシスにも、使用人にも。

 宮にやってきた翌日には使用人全員の顔と名前を暗記し、朝から庭師の水やりを手伝い、メイドが重い荷物を持っていたら率先して運び、侍従にもコックにも礼を欠かさない。

 それは一見すると貴族の誇りを捨てた行動にも思えるのだが、けれど媚びへつらう様子はまったくないものだから、使用人たちからは少しも侮られることはなく、むしろ慕われているのである。

「流石はエリス様の弟君ね」
「姉と同じく心優しいお方なのだろう」
「シオン様がいらっしゃるからか、最近はエリス様がよくお笑いになるの」
「殿下のことも、とても慕ってくださっているそうだ。昨日なんてエリス様と二人、『殿下がいかに素晴らしいか』を、真剣に語り合っていたと聞いたぞ」

 ――といった具合に。

 そのせいで、アレクシスはシオンに強く出られずにいた。

(確かにシオンは、俺と二人きりであろうと敵意を向けてくることはない。むしろ不気味なまでに好意的だ。――だが、時折背後から感じる視線は……)

 アレクシスは、シオンの自分に対する態度は演技であると考えていた。
 なぜ――と聞かれると上手く答えられないが、不意にただならぬ気配を感じて振り向くと、そこには必ずシオンの姿があるからだ。

(あの男は心を入れ替えてなどいない。表面上そう見えるように取り繕っているだけで、今も俺のことを疎ましく思っているはずだ)

 そうでなければ、エリスと二人きりになろうとするアレクシスの邪魔をするわけがない。
 何かともっともらしい用事をつけてシオンが割り込んでくるのは、アレクシスをエリスから遠ざけるためだろう。
 

「俺は決めたぞ。今夜こそシオンと話をつける。セドリック、お前も協力しろ。作戦会議だ」
「作戦会議……って。もしかしてそれ、今からやるって言ってます? 仕事が溜まりに溜まっているこの状況で?」
「当然だろう。お前はさっきの俺の言葉を聞いていなかったのか? このままでは仕事どころではない、溜まる一方だぞ……!」

 アレクシスは真顔で言い切って、眉間に深く皺を刻む。
 するとセドリックは少しばかり思案して、諦めた様に瞼を伏せた。

 アレクシスの言うとおり、このままでは仕事は遅れるばかり――そう判断したのだろう。

「仕方ありませんね。でしたら一先ず、私がシオン殿と話してみましょう。殿下が話すと、こじれる未来しか見えませんので」
「――! そうか! 引き受けてくれるか!」
「まぁ、上手くいくかはわかりませんが。とりあえず、話すだけ話してみますよ」
 
(正直気は進まない。が、これも殿下の幸せのため……)

 セドリックは、かつて自分自身に立てた誓いの内容を思い出し、窓の外の高い空を見上げるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

処理中です...