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第一部
44.リアムとの再会(中編)
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エリスは走った。一刻も早くアデルに追いつこうと。
けれど、人の波が邪魔をしてなかなか前に進めない。
そもそも、エリスは少なくともここ十年、まともに走ったことがないのだ。
そんな彼女が、アデルに追いつくというのは無謀な話だった。
(これでは見失ってしまうわ……!)
今はまだ、シーラ、アデル共に直線上に見えているが、もし角を曲がったりしたら……。
だが悪い予感というものは当たるもので、桃色の風船は、二つ先の角を左に曲がってしまった。
その後ろを、アデルが十秒ほど遅れて曲がり、エリスもそれを追いかける。――が、その刹那。
――ドンッ!
と全身に衝撃が走り、エリスは後方によろめいた。
人とぶつかったのだ。
「……っ」
(倒れる――!)
瞬間、エリスは身体を強張らせ、ぎゅっと瞼を閉じた。
だがどういうわけだろうか。いつまで経っても身体を打ち付ける感覚がない。
「……?」
いったいなぜ――と恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、どこか既視感のある顔だった。
「これは失礼を。先を急いでいたもので。お怪我はございませんか?」
エリスが転ばぬよう、咄嗟に支えたであろう腕を何事もなかったかのように放し、申し訳なさそうに微笑んだその顔に、エリスは確かに見覚えがあった。
ラベンダーブラウンの澄んだ瞳と、それと同じ色の艶のある髪。
女性受け抜群であろう眉目秀麗な顔だちに、柔らかな微笑み。
モスグリーンの軍服を纏っていることから、アレクシスと同じ陸軍所属であることがわかる。
(あら。この方、どこかで……)
エリスは素早く記憶を回顧する。
けれどそれより早く、相手の方が思い出したようだ。
「おや。あなたは図書館でお会いした」と。
その言葉を聞き、エリスもはた、と思い出した。
二週間と少し前、帝国図書館で声をかけてきた紳士のことを。
そう、名前は確か――。
「リアム・ルクレール様、でしたかしら」
エリスが呟くと、目の前の男――リアムは目を細め、
「覚えていてくださったとは光栄です」
と、笑みを浮かべる。
だがその表情は前回と比べ、どこか白々しい。
(何だか、前と少し印象が違うわね)
そういえば先ほどリアムは、『先を急いでいたもので』と言っていた。
つまり、彼の笑顔が白々しく感じるのは、早くこの場を立ち去りたいという気持ちの表れなのだろう。
もちろん、それはこちらも同じだが。
エリスはリアムの後方をちらと見やり、アデルの姿がまだ消えていないことを確かめてから、リアムに会釈する。
「先をお急ぎなのでしょう? わたくしも急いでおりますので、これにて」
最後にニコリと微笑んで、サッとリアムの横を通りすぎる。
けれどリアムは何を思ったのか、すぐさまエリスを呼び止めた。
「レディ、お待ちを」と。
「……?」
仕方なくエリスが振り向くと、リアムはなぜか、困惑気に眉を寄せている。
「無礼を承知で申し上げますが……パートナーか、あるいは従者などはお連れでないのですか? 図書館でも、おひとりでいらっしゃいましたよね?」
「……前は、連れておりましたわ」
「では、今は?」
「おりませんけれど……それが何か?」
(前回も思ったけれど、この方、心配性が過ぎるんじゃないかしら。見ず知らずのわたしにこんなことを言うなんて。……それとも、女性は扇子より重いものを持たざるべきという、偏った女性像をお持ちだとか?)
エリスはリアム以上に困惑しながら言葉を返す。
するとリアムは再び唇を開き何か言おうとしたが、その声は、通りの向こうから響いた人々の悲鳴によってかき消された。
「きゃああ! 子供が川に落ちたわ……!」
「二人だ! 落ちた嬢ちゃんを助けようとして、坊主まで飛び込んじまった!」
「誰か! 早く浮き輪とロープ! 釣り竿でも何でもいい! 持ってこい!」
「泳げる人はいないのかい!? あのままじゃどっちも沈んじまうよ!」
人々の怒号が、エリスの耳に飛び込んでくる。
それを聞いた彼女は、真っ先に走り出した。
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