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第一部

43.リアムとの再会(前編)

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『妹さんは栗色の髪と瞳、水色のドレスを着ていて、身長は百二十センチ弱。桃色の風船を持っている……で、間違いない?』
『間違いない。風船の代金を払ってる間に、いなくなったから』
『なら、風船を目印に探してもらった方が早いかもしれないわね。――大丈夫、ちゃんと見つかるわ』
『……うん』

 エリスは本部へ向かう間、少年――名をアデルといった――から話を聞いていた。
 まずは妹シーラの特徴やはぐれた際の状況を。
 その後、どうして子供だけでこんなところにいるのかを、慎重な声で尋ねた。両親は一緒ではないのかと。

 するとアデルは、時折言葉を詰まらせながら語った。

 彼の家は商家で、帝都へは父親の仕事の都合で訪れていること。
 だが母親は幼い弟の世話のため、ランデルに残っており、ここには父親と妹しかいないこと。
 またその父親も、今朝から商談のために出掛けていて不在であり、お祭りへは妹と二人だけで来ていること――そして最後に、小さな声でこう付け加えた。

『父さんからは、宿を出ちゃ駄目って言われてたんだ。仕事から戻るのを待ってろって。でも待ちきれなくて……。少しならいいだろうって……すぐに戻ればわからないって……使用人の目を盗んで、出てきたんだ。……だからもしシーラに何かあったら、全部……全部、俺のせいなんだ』

 まさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。
 意思の強そうな褐色の瞳を後悔に滲ませて、拳を握りしめるアデル。

 その横顔に、エリスは心臓が締め付けられるような心地がした。
 もし自分が彼の立場だったとして、偶然、運悪く兄妹を迷子にしてしまうならいざ知らず、それが自分の浅はかな行動が招いた結果だとしたら、後悔してもしきれない。

 それに、今まさに迷子になっているシーラは、相当な不安を抱えているはずだ。

(そう言えば昔、シオンと一緒に迷子になったことがあったわね。……そうよ。あれは確かランデル王国で……。だからわたし、必死に言葉を覚えたんだったわ)


 ――あれは八歳の夏。
 シオンを留学先のランデル王国に送り届け、共に過ごした一週間のうちの、最後の日のこと。

「姉さまと離れたくない」と泣き出したシオンを連れて、エリスは滞在先の宿から抜け出した。
 きっと家出か何かのつもりだったのだろう。
 父親に対する反抗か、あるいは、シオンと二人だけで生きていこうと思ったのか。今ではもう忘れてしまったが――とにかく、その後迷子になったときの、酷く不安だった気持ちだけは覚えている。

 言葉も通じぬ異国の地で、右も左もわからなくなったあの絶望感。

 気付いたときには宿に戻っていたが、二人一緒でも不安で不安で仕方なかったのだ。
 もしあのときシオンとはぐれていたら――そう考えるだけでゾッとする。


 そんな記憶と相まって、エリスはより一層、シーラを見つけてあげなければと意気込んだ。

 彼女は注意深く周囲の様子を観察しながら、アデルと共に本部へ向かう足を速める。


 そうして、南門が見えてきた――そのときだった。


「――っ!」

(あれって……!)

 エリスは、視界に映ったモノに目を見張った。
 そう。それはまさしく、桃色の風船だったのだから。

 広場の外――南門の向こう側、雑踏の中に浮遊する、一つの風船。
 目を凝らすと、その風船を持っているのは水色のドレスを着た少女であることがわかる。

(きっとシーラだわ……!)

 エリスは確信した。そして、横に立つアデルを振り向いた。
 すると、アデルも自分とほぼ同時か、あるいはそれよりも早く、シーラの存在に気付いていたのだろう。
 サッと顔色を変え、シーラのいる方に向かって、一目散に走り出す。

『シーラ!』と、大声で妹の名を叫びながら――広場の外側へと、一直線に駆けていく。

 エリスは、そんなアデルを追いかけようと、ドレスの裾を持ち上げた。

 けれど足を一歩踏み出したところで、脳裏にアレクシスの顔が過り、立ち止まった。
 『広場からは出るな』という朝の言葉を思い出したからだ。 

「……っ」

 エリスはアレクシスの言葉の意味をきちんと理解していた。

 情があるかは別として、あれは自分を心配してくれての言葉だった。自分を思いやってくれた上での発言だった。

 それを今、自分は裏切ろうとしている。
 それが、とても心苦しくて。

 けれど今のエリスには、アデルを一人で行かせる選択肢は存在していなかった。

 帝国語を話せないアデルやシーラを、二人だけにする訳にはいかない。
 もしこのあと彼らに何かあったら、自分は一生後悔する、と。

(約束を守れず申し訳ありません、殿下。でも、きっと時間までには戻って参りますから)

 エリスは時計塔を振り返り――唇をきゅっと引き結ぶ。
 そして再びドレスの裾を持ち上げると、今度こそアデルの背中を追いかけた。


 
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