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第一部

40.建国祭の朝

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 季節は初夏。
 建国祭当日を迎えた日の朝、ようやく使用人たちが起き出す時間帯。

 式典前に警備の最終確認をするため、アレクシスはいつもより二時間早く起床し、寝室にて身支度を整えていた。
 
 侍従に用意させた桶の水で顔を洗い、髭を剃って、頭髪用のクリームで髪を整える。
 式典時の髪型はオールバックと決まっているので、いつもよりも念入りに。

 服装は黒の軍服だ。
 本来ならば皇族は祭事の際、皇族用の礼服を身に着けるのが慣わしだが、将官以上であれば軍服を身に着けてもよいこととされている。
 そのためアレクシスは、皇族用の華美な衣装を好まないということもあり、常に軍服を纏っていた。

 なお、黒は陸軍の将官クラス以上にのみ許された至高の色で、現在帝国内でこの軍服を着られるのは全兵力百万人のうち、アレクシスを含めて五十名のみである。


 身支度を終えたアレクシスが部屋を出ると、廊下はしんと静まり返っていた。
 窓からは朝日が眩しいばかりに注ぎ込んでいるが、時刻はまだ六時を回った頃。本館の、しかも二階の廊下を通る使用人はいない。今日は朝食も不要だとあらかじめ伝えてあるので、尚更だ。

 アレクシスは一階に下り、真っすぐ玄関ホールに向かった。
 そろそろセドリックが迎えに来る頃合いだ――と思っていたら、ホールにはセドリックだけでなく、エリスの姿もある。

(エリス? なぜここに……)

 今日は見送りはいらないと伝えてあったはずだが――。

 そう思いながら玄関ホールに入ると、アレクシスに気付いたエリスがいつものように挨拶をしてくれる。
「おはようございます、殿下。今日は絶好の祭典日和ですね」と。

 そのどこまでも清らかな声と笑顔に、アレクシスはごくりと喉を鳴らした。

 理由はもちろん、エリスの笑顔に愛しさが込み上げたから――というのもあるが、それ以上に、緊張していたからである。


 アレクシスは今日、建国祭のパレードが終わったら、エリスに気持ちを打ち明けようと決めていた。
「君を好きになってしまった」「君のことをもっと知りたい」と。

 そしてできれば、『エリスに触れない』というあの日の約束を、撤回したいと考えていた。

 だが当然のことながら、その気持ちを受け入れてもらえるかはわからない。
 エリスは、『自分を許す』と言いはしたが、『好意を持っている』とは言っていないからである。

 つまり思いを伝えたところで、上手くいく可能性は低いということで――。

 とは言え、このまま思いを秘めておくというのは現実的に難しい。
 シオンが帝国に留学してくることが決まった今、たとえ玉砕しようとも、自分の気持ちをエリスに伝えておく必要があった。

 そうでなければ、あのシオンには太刀打ちできない。
「僕の方が姉さんを愛しているのに」と気迫のこもった目で睨みつけてきたあの男に、言葉一つ言い返せない状況でいることは、自身のプライドが許さなかった。

 さりとて、上手くいかなかったときのことを考えると気が滅入るのもまた事実。
 だからアレクシスはその可能性を考慮して、告白の日取りを今日に決めたのだ。

 建国祭の間の三日間は、国民の祝日。

 稼ぎ時の接客業や、医療、警察関係者その他一部の業種を除き、全国民の仕事は休み。当然宮廷も閉まるわけで、今日の式典を終えれば完全にフリー。
 よって、玉砕しても精神を立て直す時間は十分に取れるはず――と。

 それにアレクシスにはもう一つ、どうしても片付けておかなければならない問題があった。
 エリスに思いを伝える前に、清算しておかなければならない、セドリックにも知られていない大きな問題が。

 それを片付けるために、アレクシスは今日、とある人物・・・・・と会うことになっている。
 エリスに気持ちを伝えると心に決めた翌日、アレクシスの方から「建国祭中ならば時間が取れる」と手紙を送ったところ、向こうは今日を指定してきた。

 時間はパレードの後、帝都中央広場での第二皇子クロヴィスのスピーチが終わってすぐ。エリスとの待ち合わせの一時間前だ。
 指定場所は広場から近いので、まあ問題はないだろう。


(エリス……待っていてくれ。俺は今日、必ず君に気持ちを伝える。君が望もうと、望むまいと)


 アレクシスは心の中で思考を整理した末、ようやくエリスに答える。

「ああ、そうだな。良い天気だ。君と祭りを回るのが楽しみだ」と。

 するとエリスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑みを零した。

「はい。わたくしも楽しみです、殿下」

 小鳥がさえずるような声に、その可憐な笑顔に、アレクシスの胸が熱くなる。
 ああ、きっとこれが『いとしい』という感情なのだろうな、と。

 舞踏会の後、自分の気持ちに気付いたときは大いに戸惑ったものの、今では少しずつ慣れてきて、エリスの笑顔を見る度に込み上げるこの感情が、心地いいとさえ思うようになった。

 もっとエリスの笑顔を見ていたいと、そう願うようになった。

(女嫌いの俺が、よもやこのような感情を知ることになるとはな)

 物心ついたときから女と言うものが嫌いだった。
 昔湖で命を救ってくれたひとりの少女を除いて、嫌悪感を抱くことはあれど、自分から触りたいと思ったことは一度もなかった。

 それなのに今自分は、彼女に触れたいと思っている。エリスを抱き締めたいと思っている。
 
 その為にはまず、自分の気持ちを伝えなければ。
 その上で、彼女に気持ちを受け入れてもらわなければならない。

(現状からするとかなり厳しいが、それでも俺は……)

 アレクシスはエリスを抱き締めたくなる衝動を押し留め、踵《きびす》を返す。

「ではまたパレード後に会おう。何かあればマリアンヌを頼れ。――ああそれから、昨日も伝えたが俺が行くまで広場からは出るんじゃないぞ。建国祭の間は周辺国からの観光客が多いせいで、揉め事が起きやすいんだ」
「承知しておりますわ。殿下の方こそ、お気を付けてくださいね」
「ああ、ではな」
 
 そう言い残し、今度こそエリスに背を向ける。
 そしてセドリックを伴って、休日前の最後の仕事を片付けるために宮を出た。
 
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