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第一部

37.帝国図書館にて(前編)

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 同じ頃、エリスはマリアンヌと共に帝国図書館を訪れていた。

 先日マリアンヌから借りた恋愛小説がとても面白く、「ぜひ同じ作家の他の作品を読んでみたい」と伝えたところ、「ならさっそく借りに行きましょう」と誘われたからである。


 帝国図書館とは、言わずもがな帝国内最大の図書館だ。

 言語・文化の垣根なく大陸全土からありとあらゆる分野の書物が集められており、蔵書数はなんと一千万巻。"英知の泉"と称され、帝国民に広く利用されている。

 そんな図書館に初めて足を踏み入れたエリスは、感嘆の息を漏らした。


(凄いわ。本棚が天井まであるなんて)

 吹き抜けになったホールの向こうに広がる三階層のフロアは、奥の壁が見えないほどずっと先まで続いている。
 そこに並ぶ何百もの本棚は、各フロアの天井にまで届いてた。
 
 マリアンヌとのお茶会で水晶宮を訪れた際にも思ったが、流石は帝国だ。規模が違う。

 それに、市民に一般開放されているだけあって人がとても多い。
 老若男女、階級の境なく、大勢の人に利用されているのがよくわかる。

 ホール内のフリースペースに目を向けると、まだ五、六歳と思われる――服装からして労働階級の――子供が行儀よく絵本を読んでいて、感心するばかりだった。

(凄いわ。あんなに小さいのに字が読めるのね。帝国市民の識字率がほぼ十割と聞いたときは信じられなかったけど、本当だったんだわ)

 帝国がこれだけ強大な力を維持できているのは、軍事力だけでなく、教育によって技術水準を日々進歩させているからなのだろう。


 エリスがそんなことを考えていると、マリアンヌは微笑ましげに目を細める。

「エリス様、わたくしは借りた本を返して参りますわね。恋愛小説は二階のF607の列にありますから、お先に行って見てくださって構いませんわ」

 そう言って、侍女を伴い返却窓口へと歩いていく。

 エリスはそんなマリアンヌの背中を見送って再び館内をぐるりと見渡し、胸をときめかせた。


 エリスは読書が好きだった。
 というより、正しくは『読書しかなかった』と言うべきかもしれないが。

 祖国で家族から虐げられていた彼女が、刺繍やピアノといった淑女教育以外で触れることができたのは、唯一本だけだったからだ。


(今思えば、ユリウス殿下に恋をしたのは、物語の影響もあったのかもしれないわ)

 侍女を連れ立って階段を上りながら、エリスはそんなことを考える。


 幼かった自分はユリウスのことを、ヒロインを悲劇的な運命から救い出す、物語の中の聡明で勇敢な王子たちに重ねて見ていたのかもしれない。
 火傷のことを庇ってもらったことで、この人だけが自分を救ってくれるのだと、過剰に依存し、期待してしまったのかもしれない、と。


 ――エリスは気付けばそんな風に、ユリウスのことを過去として受け入れられるようになっていた。

 ときおり不意にユリウスの顔を思い出すことはあっても、それによって胸が痛むことはない。
 ユリウスを恋しく思うことも、恨みを思い出すこともない。

 それはきっと、今の生活に満足しているからだろう。

 侍女たちは相変わらず親切だし、マリアンヌのおかげで令嬢たちとも馴染めてきている。シオンとの手紙も再開できた。

 アレクシスとの関係も悪くない。
 不愛想なところは相変わらずだけれど、会話は目に見えて増えきているし、それにアレクシスはここのところ、毎週のように花を贈ってくれるのだ。

 最初はアスチルベ、次は赤い薔薇、それからブルースターと、昨日はストロベリーキャンドルを。

 エリスは受け取った花を思い出し、頬を赤く染める。
 なぜなら、贈られた花の花言葉には、すべて『愛』や『恋』といったメッセージが含まれていたからだ。

(まさか殿下が花言葉を知っていらっしゃるとは思わないけれど……)

 アスチルベは『恋の訪れ』、赤い薔薇は『愛情』、ブルースターは『幸福な愛』、そしてストロベリーキャンドルは『人知れぬ恋』。

 花言葉はもともと愛や恋にまるわるものが多いとはいえ、偶然にしては少々できすぎな気がする。

 まさかアレクシスは自分のことが好きで、それを花言葉で伝えようとしているのでは――エリスはもう何度目かわからないその考えに思い至り、けれど否定するように、小さく首を振った。

(いいえ。それだけはあり得ないわ。だって殿下は、女性がお嫌いなんだもの)

 現にアレクシスは今も、公務以外では一定以上の距離を詰めてこない。
 それに何より、『好き』や『愛してる』と言った類の言葉は、一度だって言われたことはないのだから。
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