ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな@コミカライズ連載中

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第一部

29.消えたエリス

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 同じ頃、アレクシスはセドリックと共に東側の廊下を足早に進んでいた。
 その顔を、強い苛立ちに染めて――。


 ことは数分前に遡る。

 アレクシスが他国の軍事関係者と話をしていていると、マリアンヌが血相を変えてやってきた。
 そして「エリスがいなくなった」と言うのだ。

 詳しい説明を求めると、マリアンヌはこのように話した。

 お花を摘みにいって戻る途中、東側の廊下をエリスと思われる女性が歩いていた。
 その女性は、他国の衣装を着た男と一緒だった。追いかけたようとしたが、東側の廊下に着いたときには既にいなくなった後だった――と。

 マリアンヌはそれが人違いだった可能性も考慮し、会場に戻ったあと一通りエリスの姿を探したという。
 けれど、どこにもいないのだ、と。

 それを聞いたアレクシスが、今度は廊下で見たという男の特徴を尋ねると、「銀色の髪の男」だったと返ってくる。

 その答えに、アレクシスは確信した。エリスを連れ出したのは、ジークフリートに違いない、と。


「いったいあの男は何がしたいんだ。――セドリック、お前はどう思う?」

 アレクシスは、自分の斜め後ろを歩くセドリックの意見を求める。
 けれど流石のセドリックも、これには何の考えも浮かばないようだった。

「わかりかねます。ジークフリート殿下とエリス様の間に、特に面識はないはずですし」
「となると、またあいつの悪い癖か?」
「ああ、例の……」
「あの男は"他人の欲望を知りたがる"癖がある。その上、悪気なくそれを叶えてやろうとするからな。エリスから俺の情報を聞き出すなんてことは、流石にしないだろうが……厄介だな」


 アレクシスの知る限り、ジークフリートという人間は基本的には善人だ。

 性格は軽いところがあるが、人を思いやる心があるし、他人に悪意をぶつけたり、見下すといったこともない。王族にありがちな傲慢さも持っていない。

 だが一つだけ、どうにも困ったところがあった。

 それは、"他人の願いや欲望を知りたがるところ"。そしてそれが彼自身の理にかなっていると思えば、多少強引な手を使ってでも実際に叶えてしまうところだった。


(あの男は毒だ。……それも、猛毒だ)

 人間誰しも心の中に欲望を秘めている。それを、ジークフリートは叶えてしまう。
 すると叶えられた人間はどうなるか。

 望みを叶えてもらったことに恩を感じ、それが繰り返されることで次第に陶酔していくようになる。
 あるいは、一部の者は弱みを握られたと思い、逆らえなくなる。

 どちらにせよ、ジークフリートから離れられなくなるのは同じだ。

 実際アレクシスも留学中、ランデル王国で"思い出のエリス"を探しているときにジークフリートに声をかけられたことがある。
 “人探しなら僕が手伝おう。すぐに見つけてあげるよ”――と。

 アレクシスはきっぱり断ったが、それが返ってジークフリートの興味を引いてしまったのか。
 その後卒業するまで、ジークフリートにまとわりつかれる羽目になった。

 まぁ、アレクシスは徹底的に無視を続けたのだが。

 ――とは言え、これらは全て四年以上も前のことだ。今のジークフリートが当時と同じであるとは限らない。

 だからアレクシスは油断していたのだ。四年も経てばその悪癖も多少は収まっているのではないか、と。

 だが実際はこの有り様だ。
 ジークフリートの目的がわからないとはいえ、アレクシスに何の断りもなくエリスを連れ出したとなると、あまりいい状況ではないだろう。



(ランデル王国の重臣たちは何をやっているんだ。自国に閉じ込めておけばいいものを)

 アレクシスはぐっと拳を握りしめる。
 

 ――すると、そのときだった。 
 廊下の先の角から足音が聞こえ、一人の男が姿を現す。

 光り輝く銀髪に、青みがかった灰色の瞳。四年前と変わらぬスラっとした細身の体躯。
 それは紛れもなく、ジークフリート本人だった。

「……ジークフリート」

 その姿が視界に入るや否や、アレクシスは眉間に大きく皺を寄せた。
 すると向こうもアレクシスに気が付いて、意味深に目を細める。

 その唇が薄く笑み、よく通るテノールの声がアレクシスの名を呼んだ。

「やあ、久しぶりだね、アレクシス。元気だったかい?」
「…………」

 何ともありきたりな挨拶だ。もしエリスのことさえなければ、アレクシスとて普通に返事をしただろう。
 けれど、今だけは無理だった。

 アレクシスはジークフリートの眼前に立ち、あからさまに敵意を漏らす。

「お前、エリスを知らないか?」と。

 だがジークフリートは怯まない。
 どころか、どこか困ったように眉を下げ、一層口角を上げたのだ。

「彼女は僕が預かった――って言ったら、君は怒るかい?」
「――何?」

 挑発するような物言いに、アレクシスの瞼がピクリと痙攣する。
 セドリックは、いつアレクシスがぶちぎれるかと思うと気が気ではなかった。

 ジークフリートは平然と言葉を続ける。

「ああ、すまない。本当に怒らせるつもりはないんだ。僕はただ、頼まれて君を呼びにきただけ。君に会いたいっていう人がいてね。だから、そんなに怖い顔をしないでくれ」
「頼まれた? 誰からだ。エリスもそこにいるのか?」
「ああ、彼女もそこにいる。一緒に来てくれるだろう?」
「…………」

 なんだかよくわからないが、つまり自分に会いたいという者がいて、そのせいでエリスは連れていかれたということだろうか。

 正直まだ的を得ないが、これ以上尋ねてもジークフリートは答えないだろう。

(どちらにせよ、そこにエリスがいるなら行かない選択肢はない)

 アレクシスはセドリックと目を合わせ頷き合うと、ジークフリートの後を追って中庭へと向かった。
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